「………………ん」

 十夜が目を覚ましたとき――部屋は明るかった。目を閉じたときと同じように、十夜は部屋の壁にもたれて座っていた。そして、いつのまにか掛け布団を掛けられていることに気がついた。

「…………?」

 最近はいつも寝たと思っても夜中に起きることが多く、夜明けまで寝たことはない。

 昨夜は、寝たふりをしていただけだった。目を瞑っているだけの、寝たふりをしたつもりだった。
 しかし、朝だ。おかしい。いつの間にか、朝になっている……。

「これはいったい、どういうことだ……? 俺は今まで、寝ていたのか……?」

 こんなことは、初めてだ。
 体を少し動かす。体が軽い。頭も痛くない。すっきりしていて、気持ちが良い。

「驚いたな……」
 本当に、驚いた。最近では朝まで眠れたことはなかったのに。


 九頭竜十夜は不眠症だった。
 いつも涼しい顔をしているが、ぐっすり眠れたならもっと良いだろうにと常々思っていた。
 しかし、それは弱みになると思って――十夜は誰にもそうとは話していなかった。
 元々あまり眠れない質だったが、最近は輪に掛けてひどくなった。
 祓い屋の仕事、――表の会社の仕事。当主跡継ぎ、お見合いの話、最近出没する妖怪の多さ……そのすべてが、十夜をぐっすりとは眠らせない。

「睡眠導入剤薬を飲んだら?」と言われても、十夜は「仕事のパフォーマンスが落ちる」と拒否していた。()(うま)(みつ)(なり)に言わせれば、「うーん。寝不足の方がパフォーマンスは落ちると思うんだけど……」という具合なのだった。
 
(俺が不眠症なのを彼女は知らないだろうから、単純に一般的な知識として目を瞑るように言ったのだと思ったが……)

 実際、十夜は毎晩そうして過ごしている。
 しかし、それだけでは疲れはとれないものだ。


(そうだ。彼女はどうなった?)
 
 十夜が部屋を見ると、少し離れた部屋の隅で、伊織は寝息を立てていた。
 布団も被らず、横にもならず、座って眠っている。

「…………」
「すぅ……すぅ……」

(なんでこんな隅に……? せめて敷き布団を使えばいいだろう)

 ゆっくり、近付いてみる。

 そこで十夜は、伊織の髪のあいだから羊のような巻き角が生えているの気付いた。

「これは……」

 伊織、眠ったままだ。


 角にそっと触れる。――それは触れることが出来た。

(羊、か……)

「…………」

 目が冴えた状態で見た彼女は、――なんだか昨夜よりもキラキラ輝いて見えたし、白い肌は透き通るようだった。
 
(……? いや、俺はなにを……)
 
 十夜は、目を細めて伊織を見る。
 小さくなっている伊織は、ふわふわした髪と相まって、なんだか本当に子羊のようだ。

(……元から、こんな感じだったか?)


 十夜が伊織を見ていると、伊織の頬をつぅ――と涙が伝った。

「う……っ。うう……」
「……お前は、……また、泣いているのか……?」

「…………」
 十夜は掛け布団を持ってくると、そっと伊織に掛けた。



  ***



「うぅん……」

 伊織が目を覚ますと、体に布団が掛けてあった。

「あれ……」

 なんだか、温かい。これは、布団のぬくもり、いや――

「とっ……! ……十夜さま……!?」

 すぐ隣に、十夜が座っていた。
 伊織は、いつの間にか十夜に寄りかかって眠っていたらしい。慌てて少し離れようとすると――その手がパシッと掴まれた。

「起きたか」
「と、十夜さま……!」

 カアと顔が熱くなる。

(と、十夜さまといっしょに眠っていただなんて……! ど、どうして……!?)

「わ、わたしすみません、そんなつもりじゃ、……離れて眠っていたんですけど、どうしてこんなことになっているのか……!」
「俺がお前に布団を被せた後、お前の頭があまりにもかっくんかっくんなるものだから、俺の肩を貸した」
「そ、そう、なんですか……。お恥ずかしい……です……」

(十夜さまの肩を枕にしてしまうなんて……)

 伊織は恥ずかしさで小さくなった。

 十夜は言った。

「その角は?」
「え? つの、ですか?」

 一瞬、なんの話をされたのか分からず、伊織はきょとんとする。

(つの? ……角?)

 真っ先に思い浮かんだのは、妹の梨々子や父の頭に現れる角のことだった。
 伊織は、自分の頭を触る。――なにか、硬いものがある。形をなぞると――それはくるりと巻いていることが分かった。

「え、え……!?」
「なんだ、知らなかったのか」

 部屋の中には小さな机があり、机の上には手鏡があった。
 十夜はそれを取ってくると、伊織に向けてやる。

「あ……」

 それは、梨々子が能力を使うときに生える角とよく似ていた。もちろん、父のものとも。とすると、

「これは、羊の角、です……。わたしの家族にも、同じものが能力を使うときだけ生えます」
「なるほどな」

 鏡を見ていると、やがて伊織の角は、スゥーっと消えていった。

「あ……消えました……。妹のも、能力を使った後は角が消えます」
「とすると、今お前は能力を使っていたのか?」
「え? え……。わ、わかりません。わ、わたしは……。その……。ただ、十夜さまがよく眠れますようにって、祈っただけで……」
「……なるほどな」
「えっと…………、その。わたしにこれといった能力は、ないはずなのですが……」

 妹の呪符の――手伝いというか、下準備というか。それくらいしか、できないはずだった。

(どうして、角が……)


 十夜は、「ふむ」と腕組みをする。

「……実は、俺は昨夜、今までになく眠れた。……確か、以前の羊の当主に、人や動物を眠らせることができる者がいたと聞いたことがある。つまりは、それがお前の能力なんじゃないか?」
「わたしに、羊の能力が……」
「そうじゃないと、あり得ん」
「え?」
「……いや。こっちの話だ」

 十夜は涼やかに笑って、伊織の手を取った。
 
「……いい力だな」
「そう、でしょうか」
「ああ。素晴らしい能力だ」

(わたしにも、力があったんだ……)

 伊織は、無能と今日まで罵られてきた。――つい、昨日も。

(でも、)

 十夜の顔を見る。

「――どうした?」
「あの、わたし……。十夜さまの、お役に立ったってことでしょうか……?」
「ああ。そうだ。ありがとう」
「そう、ですか……!」

(十夜さま、顔色が昨日よりいいみたい)

 そのことが、なによりも嬉しく感じた。