ある晴れた日のことだ。
 九頭竜財閥のオフィス・十九階。十夜の執務室に、十夜と啓吾の姿はあった。

「そういえば十夜さん、聞いてくださいよ! 今年はオタマジャクシがたくさん生まれたんですよ」
「……そうか」
「水槽を大きいものに替える作業をしてて。でもまあ、捕まえるのも慣れたもんですよ」

 そう言って啓吾は笑った。
巳沼の家では実際に白蛇を祀っており、その餌となるカエルを養殖しているのを、十夜は知っていた。

(つまり――)

「お前はヤゴなんだな」
「え?」
「ん?」

 啓吾に聞き返され、十夜も聞き返した。

(……? あっているだろう)

 十夜は、真面目な顔で言った。

「オタマジャクシを集めてるのだから、ヤゴだろう。それとも、タガメということか?」
「誰がですか?」
「お前がだ」
「はぁ。せめて蛇って言ってくださいよ。まぁ別にいいですけど。……無駄に田んぼの知識がありますね」
「…………」

 十夜は、一瞬眉を寄せると、すぐに中断した仕事を再開する。

 ――昔から、こうだ。

(……ギャグのつもりなんだが)

 別に笑われもしないし、よくわからないと返されるばかりだ。

(一体なぜなんだ……?)

 そう思ったが、考えてもきっと仕方のないことだ。十夜はそこで意識を切り替え、そのことは忘れていった。
 



 それから半年の月日が経った、ある夜のことだ。

 十夜が家の廊下を歩いていると、向こうから伊織が歩いてくるのが見えた。
 彼女が家にやってきて、少しの日数が経っていた。

 伊織はサキと並んで話ながら歩いており、ずいぶんウチにも慣れたものだ、と十夜は思った。
 十夜に気がつくと、伊織は少し明るい顔をして――俺の気のせいかもしれないが――こちらにやってきた。

「あ……。十夜さま、お、お疲れ様、です……」
「めずらしいな」
「え?」
「髪だ」
「ああ、えっと……。少しサキさんのお手伝いをしていて……。邪魔になるといけないので……」

 彼女は、めずらしく髪をくくっていた。長い栗色の髪をひとつにしばって、その毛先は毛束に沿ってくるりと巻いている。――こういうのを、馬の尻尾とたとえるのだと聞いたことがある。だが、むしろ――……。

「リスのようだな」
「え?」

 伊織がきょとんとした顔で、俺を見上げる。その様子もやっぱり、馬というよりリスに見えた。
 すると、伊織は目を細めて、

「ふふ……っ。はい。そうかもしれません」

 そう言って、いつもみたいに小さく笑った。

「…………」

 その様子を見ると、なんだかほっとして、別に息を止めていたわけでもないのに、呼吸が楽になる気がした。


 一方、伊織の方はというと――。
 十夜のたとえやギャグがわからない時も、もちろんある。彼の発言は時々言葉足らずで、思考回路が飛躍したものもあるためだ。
 しかし、伊織はそれをツッコまない。
 十夜が楽しそうな様子を見るだけでなんだか嬉しくて、思わず笑みがこぼれてしまうのだった。


(了)