少しの時間が経って。ふたりは、手頃な折れた木に腰掛けていた。
 十夜が言った。

「実は、お前が森で囮になっていると聞いて、捜しに来たんだ。見つけるのが遅くなって、すまなかった」
「いいえ。来てくださって、嬉しいです……。いつも、あなたが救ってくれるんですね……」
「……。俺は、お前が実家に連れ戻されているのも、知らなかったんだ。もっと早くに気がつきたかった。……お前を失っていたかもしれないことを思うと、ぞっとする」

 そう言って、十夜は伊織の肩を抱いた。
 伊織は、依頼通りの妖怪はでたが、鬼がそれを丸呑みにしてしまったのだと話した。

「鬼をおひとりで祓えるなんて、かっ、かっこよかったです……っ。……でも、どうしてここがわかったんですか?」
「兎崎が、俺の所に来た。羊垣内に依頼がいっているのは、皆知っている。どうやら、街中で遊んでいたお前の妹を不審に思って、話を聞いたらしい」
「ミナちゃんが……。そう、なんですね……」
 彼女には、裏切られた――と思う。複雑な思いだ。だけど、だけど。
「わたし、……ミナちゃんと、もう一度話してみたい、です……」
「そうか」

 十夜はそう言って、伊織の頭を撫でた。

「しかし、まさか、羊垣内家がこんな胸くその悪い退治方法をしているとは思わなかった。――本当に、お前の家族の仕業なんだな……?」
「………… はい」
「つらかったな」
「……はい。でも、十夜さまに見つけてもらえたので、もう、大丈夫です。……これが夢じゃなければ、ですけど……」
「夢なものか」

 そう言って十夜は、伊織のおでこにキスをした。その不意打ちに、伊織の顔は一気に紅潮する。

 伊織がおでこを押さえながら悶えていると、十夜が真顔で聞いてきた。

「さっき口にしたのに、おでこでも恥ずかしいのか?」
「も、もちろんです……っ」
「ふむ。そうか。可愛いな」
「……っ!」

(し、心臓がもたないかも……っ)

 ぽんぽんと、頭を撫でられる。伊織の顔は、赤くなりっぱなしだった。
 ふたりを、静かな夜が包む。風が出てきて、草むらが揺れて音を立てた。
 十夜は、言った。

「さて、お前を連れてさっさと帰りたいところだが、――どうやら来客らしい」
「……え……?」
「後ろにいろ。俺が守る」

 十夜が、伊織を庇うように立つ。

(なに……? 人の気配……?)

 風に乗って、草を踏む音と、人の話し声が聞こえてくる。
やがて木陰から、人影が現れた。その姿を認めた伊織は、息を呑んで立ち上がる。

「あらー? お姉さま、どーして縄を抜けてらっしゃるの?」

 現れたのは、梨々子と父・栄介だった。

「これは一体……?」

 父は、あたりを見渡して、驚いた顔を浮かべた。それもそのはず、鬼との戦闘で、木々は倒れ、地面はえぐれていた。
 梨々子は、ずんずん歩いて、こちらへ近づいてきた。

「やーねぇ。歩きにくい! これ、妖怪は来たけど暴れちゃったのかしら? お姉さまがちゃぁんと餌になっておいてくれないから、逃げちゃったんじゃない? ねー。どうなのー?」
「――お前が、羊垣内梨々子だな?」
「あら? この殿方はどなた? 私のことをご存じなの?」

 十夜は、梨々子を睨んだ。

「伊織を妖怪の餌として、おびき寄せるなんて、どうかしている……! 彼女は危うく、命を落とすところだったんだぞ!」
「えー? お姉さまはいっつも死んでなんかないし! 今も生きてるでしょう?」
「〝いっつも〟だと……!? 貴様……!」
「あら? ……あなた、よく見たらずいぶんとイケメンだわ。……どなたなの?」

 不躾な質問をする梨々子を、父は下がらせた。

「……これはこれは。九頭竜家の若さま。今日はどういったご用件で? ……妖怪の見回りですかな?」
「羊垣内家の当主、お前はこれを知っていたのか?」
「うちはうちのやり方だ。九頭竜家といえども、口出ししないでもらいたい」
「いいや。俺にも関係がある」

 十夜は、父をまっすぐ見据えて言った。

「伊織を、俺の妻として迎える」
「ふっ。九頭竜家の若さまともあろう方が、わざわざ、うちの伊織でなくとも良いのではないですか?」

 月明かりに照らされた森の中で、十夜と伊織の家族は対峙していた。

 姉を庇う男が九頭竜十夜だと知ると、梨々子は、爪を噛んで伊織を睨んだ。

 その視線に耐えられず、伊織は、思わず十夜の陰に隠れた。
 すぐに十夜が、「大丈夫だ」と囁いてくれる。

 十夜は父の方に向き直ると、言った。

「彼女はご実家にいると、ずいぶんとつらいようだ。このまま俺がもらい受ける」
「あいにくですが。うちの娘は、もう縁談が決まっているもので」
「……知っている。鳥飛田家だろう」
「ほう。さすが九頭竜家の若さま。情報がお早いようで」

 父は言った。

「この縁談は、破談にはできない。まだ結納はさせていないが……もうすでに、鳥飛田家には多額の借金を肩代わりしてもらっているんだ」
「……借金? お父さま、今、借金って言ったの?」

 梨々子が聞くが、父は答えない。

 十夜は冷たい目をして、父を見た。

「知るか。彼女には関係ないだろう」
「家のために働くのが娘だ! この子は羊垣内(わたし)が育てた!」
「伊織は、俺が娶る。もう、お前たちの元へ戻ることはない」
「だめだ!」

 言いながら、父の頭に羊の巻き角が現れる。そして、懐から呪符を取り出すと、素早く宙に放る。呪符の文字は赤く光ると、父の背を囲むようにずらりと並んだ。

「娘を返せ!」
九頭竜(おれ)に力で挑むというのか……」

 十夜の右手が、変化する。白龍の腕に――青い炎がともる。

「はぁっ!」

 十夜が腕を振るうと、竜巻のような熱風が巻き起こる。地面にあった木や石の破片を巻き込みながら、父へと向かって行く。
 しかし、熱風が内側から裂けた。木や石の破片が、逆流して降り注ぎ、十夜は伊織を庇った。

「風なら、私も起こせるので……ねっ!」

 父が呪符の束を放ると、宙に浮かんだそれは、十夜に向かって飛んで行く。
そして、十夜に近付くと、ボン、と小爆発を起こした。
 十夜が走ってよけると、呪符は追尾してきた。

「面倒だな」

 十夜の白龍の腕に、パチパチと電流が流れ始める。

「はぁっ!」

 上空に向かって腕を振るうと、青い電撃が呪符を撃ち落とした。呪符の燃えかすが、パラパラと黒い塵になって、あたりを舞った。

「たわいもない。この程度の能力(ちから)か?」
「ふん! さすが九頭竜、とでも言ってもらいたいのかっ!?」

 父は、さらに呪符を放る。今度は、呪符は一列になって向かってくる。長い紐のようになったそれは、十夜の体に巻き付こうとし、――白龍の爪で引き裂かれた。

(まだ、ある!)

 気配を感じ、十夜は後ろ手に、呪符を叩き落とす。左の、人の手では呪符は消えず、振り向きざまにもう一度右手で叩き潰した。
 体勢を立て直した十夜が、もう一度腕を振るう。繰り出された電撃は、父へまっすぐに向かった。

「ぐわっ!?」

 電流が直撃し、呻きながら地面に転がった父は、……次の瞬間ニヤリと笑った。

「……まだだ」

(!)

 十夜の背後に、呪符が現れる。隠し球があったのだ。最初の呪符を放ったとき、いくつかを彼の背後に潜ませるように仕掛けてあったのだ。
 十夜はすぐさま右腕を振るい、青い斬撃がいくつかを撃ち落としたが、数枚が十夜の背中に貼り付いた。

 ボン! 小爆発が起きる。

「ぐっ……!?」

(なんだ、これは……!?)

 驚いたのは、その衝撃ではない。まるで、背骨がぐにゃぐにゃになってしまったかのような、錯覚。上手く立てない感覚に、十夜は抗った。

(催眠術の類いか!? しかし、こんなものは錯覚だ……!)

 父は懐から、黒く染めた呪符を取り出した。それは数百枚の束で、すべて宙に放る。それらは、十夜に貼り付こうとして――ギュンと急旋回し、伊織へ向かった。

 急に自分へ向かってきた攻撃に、伊織は「ひっ……!」と小さく悲鳴を上げる。

 ベタベタベタ! 呪符が勢いよく伊織の体に貼り付いた。

「きゃあっ!?」
「なっ……!? 伊織っ!!」

 十夜が叫んで、駆けて来ようとした。――が、まっすぐ走れない。

 その隙に、父が猛然とやってきた。
 父は、目を見開くと、伊織の肩に圧力を掛けた。

「家へ帰るぞ、伊織。役立たずのお前が役に立つときが来たんだっ!」
「ぐっ……。お父さま……っ」
「今まで育ててやった恩も忘れて、馬鹿娘が!」
「きゃああっ!?」

 呪符のしめつけが強くなる。物理的に内臓を潰されるかのようなしめつけに、伊織は苦悶の表情を浮かべた。

 意識が、ぼうっとしてくる。

 父の声が、ぼんやりと響く。

「お前は私の言うことを聞け。お前は家のために生きるんだ。お前が鳥飛田家に嫁ぐことで、家の助けになるんだぞ。無能なお前を、今日まで育ててやった親の言うことが、聞けないのか?」
「う……」
「鳥飛田家には話をつけてある。嫁いでも、羊垣内家の呪符作りはさせてやろう」

(そうなんだ……。わたしは、これからも家族のために……)

 伊織は、ぼんやりとした頭で、思う。

(わたし、ずっとお父さまに認められたかった……。わたしは、そのために、呪符を書いてきたの……)


 いつかの、十夜の声が響く。

 ――「こんなことは、もうやめてくれ」
 ――「これは、呪いの呪符だ。護符じゃない。お前の家族は、お前をいいように使っただけだ。これを書くと、気力が吸い取られるんじゃないか?」
 ――「もう、解放されて良いんだ」

「十夜、さま……」

 彼の名前を呼ぶと、ぼうっとしていた意識が、戻ってくる。

 伊織は、地面を踏みしめて言った。

「……お父さま。わたしは、もう呪符は、書きません。家にも帰りませんし、鳥飛田家にも嫁ぎませんっ。わたしっ、十夜さまと結婚したいです……っ」
「い、おりぃぃいっ!!」

 激高する父は、拳を振り上げ――。

「ぎゃあああっ!?」

 突如、父の腕が燃える。それと同時に、伊織の体に貼り付いた呪符が、粘着力を失ったかのようにはらりはらりと剥がれ落ちた。急に解放された体は、ふらりとよろめき、

「大丈夫か」
「は、はい」

 とん、と十夜に支えられた。
 伊織を左腕に抱いた十夜が、白龍の腕を下げると、父を燃やしていた火は消える。
 だらりとぶらさがった腕を、庇うようにして、座り込んだ父は言った。

「そ、んなばかな……! ありえない……! これは、簡単に燃えるようなやつじゃ、ないはずだ……っ! それに、どうやって催眠から……っ!? 」
「俺は強いんだ。九頭竜の力を、なめるな」
「くっ……! そ、そうだ……! 金を。金をくれるなら、伊織を九頭竜家の嫁にやってもいい! 結納金は払わないぞ! お前が金を寄越せ!! 」
「結納金などいらない。だが、下劣なお前たちに払う金もない!」

 十夜がそう言って右腕をあげると、再び父の腕が青い炎で燃え出す。
「ぐがぁああっ!? 」

 悶絶する父は、地面に転がった。

 その時、十夜の腕にパパパパッと、新たな呪符が貼り付いた。
「よくも、お父さまを……!」

 梨々子が、両手を前に出して呪符を操っていた。
「貴様か」
「ふん。私だって、無能なお姉さまと違って、呪符が扱えるんだから! 炎っ!! 」

 呪符の文字が赤く光り、赤い炎が生まれる。しかし、十夜が右腕を振るうと、梨々子の呪符は炎ごとすぐに剥がれ落ちた。残り火のそれを足で踏むと、あっさりと鎮火し、呪符は燃え屑となった。
「もう終わりか?」

 梨々子は十夜を睨みながら、新たな呪符を懐から取り出したが、

「ぎゃあああっ!? 」

 電撃を受けて、数メートル先まで無様に転がった。艶のあった髪は焦げ、チリチリになっている。今しがた塵となってしまったもの以外、もう、梨々子が所持している呪符はなかった。
 梨々子は、キッと十夜を睨んだが、立ち上がれずに足を押さえて座り込んだ。

「な、なんなのよ……っ! ……お、お父さまと私が、こんなに簡単にやられるなんて……っ!? 」

 父を見ると、のびている。梨々子は、十夜を睨むだけだった。 
 彼らとの戦いが終わったと見て、十夜の腕は、人のものに戻った。

「伊織、大丈夫だったか? 破片などが、飛んでこなかったか?」
「大丈夫です。ありがとうございます」
「そうか」

 十夜はそう言って、小さく微笑むと、伊織の頭を撫でた。



 バタバタと、木立から人が駆けてくる音がした。

「十夜さーん! うわ、なんですかこれ! めちゃくちゃじゃないですかー!」
「とーやくーん! わーお、伊織ちゃんいるー!」
「今頃来たのか」

 やってきたのは、啓吾と満成、それから彩女にミナもいた。
 ミナは、ばつの悪そうな顔をしている。

「……伊織ちゃん……。ミナ、こんなことになるなんて……思わなくって。いっしょに任務に行った後、梨々子ちゃんに会って。梨々子ちゃんは、伊織ちゃんには朝人さまがいるっていうし、彩女さまもハッピーで、ちょうどいいって、思ってしまったんです。……そしたら、今日……」


 梨々子ちゃんは、まるで休日のように街でのんびりと化粧品を買っていました。
 だから、ミナは聞いたんです。

「あれ? 今日の任務って、梨々子ちゃんは行かないんですか?」
「あはっ。そうねぇ、ミナさんは手伝ってくださったし、教えて差し上げようかしら。実はね、今――お姉さまが対処してくれてるのよ」
「は、はぁ? ……伊織ちゃんって、なんにもできませんよ? 本当に、なにも……。それは、梨々子ちゃんが一番知っているんじゃあ……」
「そうよ。無能なお姉さまは、なぁんにもできないわ。だけど、私たちって妖怪の気に当てられても、少々のことじゃあ死なないでしょう? だから……ね? 囮になってもらっているのよ。妖怪なんかを捜すために、ずぅっと森の中を歩き回らなくてもいい、効率的なやり方よ。兎崎も分家にやらせてはどう?」

(……はぁ? 羊垣内伊織は無能で、会合にも出てこない。だけど、だからって、家ではそんな扱いなんですか……?)――……。
 

「知らなかったとはいえ、梨々子ちゃんに協力してしまって、ごめんなさいっ!」

 ミナは、頭を下げた。

「あと、彩女さまって十夜さまのことが好きじゃなかったみたいで、本当にごめんなさいっ! ミナの勘違いでした!」

「え……。そ、そうなんですか?」

 伊織は、目を丸くする。十夜が彩女を好きではないと聞かされたが、彩女の方がどう思っているのかは、気になっていた。
 彩女がやってきて、頭を下げる。

「伊織さん。わたくしからも、申し訳ありませんでしたわ。なんだか、わたくしの言い方が悪かったようで……。昔から、紛らわしいと、よく言われますの」
「は、はぁ……」

 あの日、九頭竜家の玄関で、伊織は彩女に耳打ちをされた。

 ――「あなたのおかげで、父が焦りましてね。わたくし、ようやく縁談が進みますの。ありがとうございますわ」
 ――「長かったですわ。……でも、ようやくですの。……あなたも、どうか幸せになってくださいませね?」

 彩女は、もじもじと恥ずかしそうに言った。

「わたくしの父は、確かにわたくしを九頭竜家に嫁がせることを考えておりましたわ。でも、実は、……ここだけの話なのですけれども」

 彩女は、男子の方をちらりと見て、こちらを見ていないとわかると、声を落として続きを話した。

「実は、わたくし は別の殿方のことを好いておりまして……。彼は虎月家(うち)より序列が低いもので、父には渋られておりましたの。でも、あなたが十夜さまの前に現れて、父もようやく諦めてくれましたのよ」

「そ、そういう意味だったんですか……」

 驚きの事実に、伊織は目を丸くしてばかりだ。
 ミナが、彩女に尋ねた。

「伊織ちゃんを牽制するために、お茶会に呼んだんじゃなかったんですか?」
「まさか。十夜さんがわたくしも お会いしたことのない羊垣内家のご令嬢を囲っていると聞いて、羨ましくて、お会いしてみたかったのですわ。わたくし、伊織さんを独占している十夜さんが、気に入りませんでしたの」

 彩女は言った。

「わたくしの振る舞いが、ミナにあんなことをさせてしまったのですわ。ですから、申し訳ありませんでした」
「ご、ごめんなさいっ!」

 彩女とミナは、再び頭を下げる。

 そんなふたりに気圧されながら、伊織はこれまでのことを思い出す。

(……そうか、わたしも、勘違いだったんだ……)

「…………」

 伊織は、ふたりに近付いた。

「……わたし、お友達って、初めてでした。……今は驚いてばかりですけれど。また、いっしょにお茶でも飲めたら、嬉しい、です……」
「伊織ちゃん……!」
「伊織さん……!」

 顔を上げたふたりの顔が、ぱっと明るくなる。
 伊織は、眉を下げて小さく笑った。

「話は終わったか?」
「十夜さま」

 十夜が来たので、伊織はどうして皆が来たのかと聞いた。すると、どうも伊織のことを捜すのに、彩女の予言では山の名前しかわからなかったのだという。そこで皆で山に入って、手分けして捜していたとのことだった。その結果、十夜が一番に伊織を見つけたということだった。

「そうだったんですね……。ありがとうございます……」

 伊織は、深々と頭を下げる。


 その時、弱々しく「伊織……待て……」という声がした。父の声だ。
 振り返ると、父が、梨々子の支えで体を起こして、こちらを見ていた。

 全員の前に十夜が出て、言った。

「人権を無視した方法で妖怪祓いをするなど、由緒正しい十二支の家として、嘆かわしい。この卑劣な行為を、到底、看過することはできない。序列第一位・九頭竜家として、宣告する。羊垣内を、十二支の家から追放する! それと。今後一切、伊織に近付くことを許さない。これは決定事項だ」
「な……っ!? なにを馬鹿なことを!」
「ちょっと! なんなの? 羊垣内 を追放って、どういうことよっ!?」

 父が驚き、梨々子が大声を出した。
 十夜は言った。

「羊垣内家の財産は、すべて取り上げる。お前たちは、牢に入って贖罪 を果たした後、今後は一般市民として暮らすんだ」
「は、はぁっ!?」

 梨々子は、怒りを露わに、焦げた髪を振り乱した。

「牢ってなに!?  財産を取り上げるってなに!? お姉さまは生きてるじゃないっ !!  不当だわっ!! 」

 梨々子は叫ぶ。

「それに、うちは商家なのよっ! 祓い屋の仕事とは別に、ちゃあんと仕事があるんだから! そっちの財産は別でしょ!」
「何を言ってるんだ? 『羊』の本家だから商権があったんだ。順序が逆だ。……それに、さっき商家の方は赤字だと、当主が言わなかったか?」

 十夜がそう言って、父の方を見た。
 梨々子が振り返って、渋い顔を歪める父を見る。梨々子は、父を揺すった。

「そ、そんな……! お父さま! 私、お金がないなんて、嫌よ!」
「……っ! お前と嘉代子がっ! 着物や化粧品ばかり買うからだろうっ!! それに、お前があんな馬鹿みたいな退治方法をするからっ、だからこんなことになったんだっ!! 」
「わ、私のせいだって言うのぉっ!?」

 父と梨々子は、ふたりとも苦々しい顔をした。
 十夜は、続けて言った。

「そして、伊織と鳥飛田朝人との縁談は破談とする。よって、鳥飛田家が羊垣内家の借金を肩代わりする契約を、破棄する」
「なんだと!? それじゃあ、うちの借金はどうしろって言うんだ!?」
「普通に働いて返すんだな」
「借金地獄の一般市民ってこと!? 嫌よ!! 私は、絶対に嫌!!」

 抗議する梨々子と、父が騒ぐ。

「ねぇ、『羊』はこの後どうするの? とーやくん」

 と、後ろから満成が聞いて、

「羊の分家から選ぶ。それはまた、会合で決めよう」

 そう十夜が答えた。

 そこへ、もうひとりの足音がした。この場に必要な――十夜の呼び出しでやってきた、最後のひとりがやってきたのだ。
 梨々子は、彼の姿を見ると、ぱっと明るい顔をして駆け寄った。

「ヤシロさまっ!!」
「……梨々子」

 猿城寺ヤシロは、いつも通りの淡泊な三白眼で、梨々子を見た。
 梨々子は、ヤシロと腕を組んだ。

「そうだわ! 私、ヤシロさまと婚約してるんだもの! 私だけは助かるわよね!? ねぇ、ヤシロさま! 私を、『猿』の家に連れて行ってくれないかしらっ?」
「……梨々子。羊垣内は、追放されたんだろう」
「ええ。でも、私はヤシロさまの奥さんになるんだもの。猿城寺家で暮らすわ。羊垣内家の当主には、なれなくて残念だったけれど。私、猿城寺でもいいし!」

 そう言って、梨々子は背の高いヤシロを見上げた。
 たとえ羊垣内家でなくとも、猿城寺家なら、分家になろうとも良い暮らしができると踏んだのだ。
 しかし、ヤシロの返答は、淡泊なものだった。

「梨々子、お前が『羊』から外れるなら、俺はお前と結婚しない。婚約は、破棄だ」
「……え? ヤシロさま? なに、言って……」
「『猿』の家は、一族の繁栄を目標に、お前と婚約した。一般人のお前と結婚するメリットは、ない。十二支のうちのどこかの家と婚約しないと、俺には意味がないんだ」

 それは、すがすがしいまでの、〝家柄主義〟。
 梨々子は、目を見開いて言った。

「なにを、言ってるの……? 私、可愛いでしょう? 美しいでしょう? 呪符だって扱えるのよ……?」
「梨々子。近々、婚約破棄の件で会おう。書類を書いてもらいたい」
「は、はぁ……っ?」

 梨々子が体を震わせたが、ヤシロはもう梨々子を見ていなかった。
 ヤシロは、十夜に向かって言う。

「『猿』からも、異論はない」
「そうか」
 十夜は頷いて、彩女にとらせた議事録を確認しに行った。


(これで、本当に終わるんだ……)

 伊織は、不思議な気持ちだった。
 裂けた地面や折れた木々を、眺める。――本当に、助けてもらったんだ……。

(もう、実家で受けたつらいこともなくて、大好きな十夜さまと結婚して、ずっといっしょに暮らしていけるんだ……)

 これからのことに思いを馳せ、ほぅ……っとしていると、

「……ゃ……しぃ……」

 梨々子が、ぐるりと首を回して、伊織を見た。

「悔しい……っ。お姉さまだけが幸せになるなんて、許せない……っ」

 地面を蹴って、梨々子が、伊織に掴みかかる。
 気がつくと、伊織は胸ぐらを掴まれていた。
 梨々子が、叫ぶ。

「全部お姉さまのせいだわ! なんでなのっ!! 私の未来を奪って!! なんなのよっ!!」
「り、梨々子……っ!! は、離して……っ!」

 十夜が騒ぎに気が付いて、飛んでくる。

 その間、伊織は、梨々子の手を押し返そうと腕に力を込めた。しかし、梨々子はなかなか剥がれない。

「お姉さまのくせに! お姉さまのくせにっ!! あんたみたいなノロマでグズで無能な女が……っ!!  どうしてっ!? 」
「……っ」
「この私が追放でっ! あんたが九頭竜ですってぇっ !?  冗談じゃないわよっ!! 」

 伊織は黙ったまま、ぐっと梨々子の手を押し返す。
 梨々子は叫ぶ。

「許せないっ! あんたのせいで、私の人生めちゃくちゃよっ! 謝りなさいよぉっ!! 」
「……っ」
「謝れって言ってんのよっ!! 」

 ふたりは少しの間、もみ合い、そして。
 パァン――と、乾いた音がして。
 伊織が、梨々子の頬を平手打ちした。
 梨々子に反撃したのは、これが 初めてで、伊織は動悸で息を切らす。その一回は、勇気の一回だった。
 梨々子は、なにをされたかわからない様子で、呆然として頬を押さえている。まさか、姉が反撃してくるとは、夢にも思わなかったのだろう。
 しかし、すぐに我に返ると、再び掴みかかってきた。

「なっ、なにすんのよぉぉおおぉっ!? 」
「きゃぁっ!? 」
「あんたっ! この私をぶったわねっ!?  無能のくせに!!  この私をぉおぉっ!? 」

 梨々子は逆上しており、伊織の頬をはたき返すと、強い力で髪を引っ張った。

「……っ」

 梨々子は叫ぶ。

「あんたは落ちこぼれなのよっ! 底辺で暮らすのがお似合いなのよっ! それが九頭竜だなんて、絶対に許せない! 無能女のくせに!」

景色が揺らぐ。梨々子の怒声が、頭にガンガンと響く。暴れる妹の腕を掴んで、押さえるのがやっとだ。

 そんな中、視界の端に、十夜の姿が見えて――。伊織は言った。

「わたしは、む、無能じゃ、ありません……!」
「はぁっ!?  なに寝言言ってんのよ!!  このっ! 無能無能無能無能っ!! 」
「今、証明します……!」

掴んだ腕に、力を込める。するとそこから、
 パァァアアア――と、光が発生した。

「なっ――!? 」

 梨々子は、目を見開くと――動きを止めた。そして、ガクンと膝から崩れ落ち、地面にドサリと倒れた。

 静かになった梨々子からは――寝息が聞こえ出す。梨々子は、眠ったのだ。

「ハァ……ッ、ハァ……ッ、ハァ……ッ!」

 伊織は、過呼吸になるほど、肩で息をしていた。
 そんな伊織の肩を、十夜がそっと優しく抱いた。
 頭に現れた巻き角は消える。
 伊織は、彼の顔を見上げた。

「ハァ……ッ、と……っ、十夜さま……っ」
「よく、頑張ったな」
「……はい……っ」

 伊織は、十夜に体を預けた。
 騒がしい夜が、終わりを告げる――……。