「さて、伊織を連れてさっさと帰りたいところだが、――どうやら来客らしい」
「……っ! 梨々子……」
「あらー? お姉さま、どーして縄を抜けてらっしゃるの?」

 現れたのは、梨々子と使用人たちだった。

 伊織は、思わず十夜の陰に隠れる。

「大丈夫だ」
「…………」

 十夜が後ろ手に伊織の頭を撫でる。


 梨々子は、つかつかと前にでてきた。

 そして十夜の顔を見ると、少し驚いた顔をして――うっすらと笑みを浮かべた。

「……お姉さま、その方はどなた? ……ずいぶんなイケメンとご一緒なのね」
「…………梨々子」
「ねぇあなた! もしかしてお姉さまを不憫に思って助けてくださったのかしら? あいにくお姉さまはあの羊垣内の令嬢でして、これくらいなんともないのよ。そうね、あなたなかなかかっこいいし、よかったら今晩私と――」
「断る」
「……はい?」
「……お前が、羊垣内梨々子だな」
「あら? 光栄ですわ。私の名前を知ってらっしゃるなんて――」
 
 梨々子は、まだ状況が理解できていない。ニコニコと笑っている。
 
 十夜の目に、怒りの色が浮かんだ。
 
「お前が! 伊織をいじめているのか……! 伊織は危うく命を落とすところだったんだぞ!」
「え!? ちょ、なんなの!? お姉さまはいっつも死んでなんかないし! ちょっと、お姉さま!! この人はなんなの!?」
「きゃ……!?」
 
 梨々子が急に伊織につかみかかり――
 十夜がその手を払い落とした。

「伊織に触れるな」
「なっ……!?」
 
 梨々子は手を押さえながらうろたえている。
 
 その時、
 
「梨々子!」
「お、お父さま! お母さま!」
「ふん。揃ってお出ましか」

 森の木立がまた揺れて、現れたのは、父と継母、それと使用人たちだった。
 伊織の父が前にでる。
 
「……誰だ! 貴様は……!?」
「男……っ! 伊織、お前、やっぱり男がいるのね!」 

 月明かりに照らされた森の中で、十夜と伊織の家族は対峙していた。


「どこのどいつだか知らんが、娘から離れろ……!」

 父がつかつかと前へ歩いてきて、

「――……九頭竜……」

 それが誰だか分かると、驚愕の表情とともに明らかにうろたえた。

「栄介さん? あの男は何者なの?」
「……これはこれは。九頭竜家の若さま。…………今日はどういったご用件で? ……妖怪の見回りですかな?」
「いいや。伊織を――娶りに来た」
「……!」
 
 十夜は、父をまっすぐ見据えて言った。

「彼女はご実家にいるとずいぶんしんどいようだ。このまま九頭竜家が貰い受ける」
「……あいにくですが。うちの伊織にはもう縁談が決まっているもので」
「鳥飛田だろう」
「ほう。さすが九頭竜家。情報がお早いようで」

 十夜は苛ついた顔で言う。
 
「あれは正式には決まっていないと聞いたが」
「だからといって破談にはできない。まだ結納はさせていないが……もうすでに、鳥飛田家には多額の借金を肩代わりしてもらっているんだ」
「……借金? お父さま、今借金って言ったの?」
 
 梨々子が聞くが、父は答えない。
 
 十夜は冷たい目をして父を見た。

「知るか。彼女には関係ないだろう」
「家のために働くのが娘だ! 伊織が羊垣内が育てた!」
「伊織は、俺がもらう」
「だめだ!」
 
 言いながら、父の頭に羊の巻き角が現れる。
 そして、懐から呪符を取り出すと、素早く宙に放る。
 放られたそれは、ぽぅ……と光ると、父を取り囲むようにずらりと空中に並んだ。
 
「ふん……」

 十夜の右手に――青い炎がともる。
 
「はっ!」
 
 父の気合いとともに、呪符が一斉に十夜に向かって飛んで行く。数百枚の紙は十夜に貼り付こうとして――一枚たりとも届かなかった。
 すべて、十夜の周囲にまるでバリアでもあるように静止する。
 
「なっ……!?」
「たわいもない」
 
 そして、十夜の手から放たれた炎により
 
 ボォォ
 
 と簡単に燃えてしまった。


「そ、んなばかな……! 火で燃えるような呪符ではない……!」
「普通の火ではない。妖術には妖術だ」
 
 それから十夜は、指をついっと動かした。

「ぎゃあああっ」
 
 突如、父の腕が燃える。
 
「栄介さんっ」
「お父さまっ!」
 
 継母と梨々子が、父に駆け寄った。
 
「…………」
 
 十夜が腕を下げると、火は消えた。
 父はだらりとぶらさがった腕を庇うようにして立つ。
 ふらふらとして見せた父は、……次の瞬間ニヤリと笑った。

「……まだだ」
 
 十夜の背後に、呪符が現れる。
 隠し球を仕掛けていたようだ。
 
 しかし、

 それらは十夜にたどり着く前に地面に落ちた。

「なっ……!」
「ふん……」


 梨々子が、目を丸くする。
 
「お、お父さまがこんなに簡単にやられるなんて……」
「龍の腕を使うまでもないな」
 
 十夜が言った。
 
「こんなざまで羊の当主とは嘆かわしい。羊垣内栄介。お前を今後の定期会合への参加を禁ずる。そして、羊垣内梨々子の跡継ぎも剥奪する」
「な……っ!?」
「ちょっとあなた! なんですの? 羊垣内は梨々子しかいないというのに……!」
「そ、そうよ! 私が後を継げなくなったらうちはどうなるの!?」
 
 十夜の下した断罪に、三人が食ってかかる。
 しかし、十夜の半径一メートルには入れない。見えない力で足止めされている。

 十夜はきつい口調で言った。

「それと。今後一切、伊織に近付くことを許さない」
「なにを馬鹿なことを! 伊織はうちの娘だ!」
「そ、そうよ! お姉さまがいなくなったら、妖怪討伐はどうすればいいの!?」
「もうお前達に討伐依頼がくることもないだろう」
「……っ!」

 梨々子が、唇を噛んだ。

「なんだ。お前も戦うか?」
「ぐ……っ!!」

そこへ、新たな足音が――ふたつ。

「なんだ。何事なのか」
「若さま、これは……」

 やってきたのは、猿城寺ヤシロと、巳沼啓介だった。

「いやー若さまってば、巳沼の調査隊より早く飛んで行ってしまったので、驚きました。……羊垣内の調査はできたみたいですね」
「俺は、そこで巳沼に会って、……羊垣内の問題だと聞いたから」

「ヤシロさまぁっ!」

 梨々子の顔が、ぱあっと明るくなる。

「そ、そうよっ!! 私は猿城寺ヤシロさまと婚約するんだから!! いくらあんたが序列一位の龍の家でも、序列三位の猿の家をコケにすることは許されないはずよっ!! ヤシロさまっ!! 私を助けて!!」
「断る」
「えっ……!?」

 梨々子は、ヤシロの顔を見た。
 ヤシロは、淡泊な表情をしている。

「……先ほどからの話、少し聞いていた。俺は、お前の盾になってやるほど、お前のことが好きではない」
「え……っ? な、なにそれ……? ヤシロさま……?」
「婚約する前で良かった。父には話しておく」
「ヤシロさま……!」

 梨々子が体を震わせたが、ヤシロはもう梨々子を見ていなかった。

 ヤシロは、十夜に向かって言う。
 
「『猿』からも、異論はない」
「そうか」

 十夜は涼しい顔で言った。

「では、羊垣内梨々子の次期当主は剥奪ということで。次の”羊”は会合で決めておく」
「そんなことが許されるの……!?」
「お前達が伊織にしたことの方が許されない!」

 十夜がピシャリと言うと、梨々子は体をぶるりと震わせた。
 
 十夜は、伊織の手を引く。

「いくぞ。伊織」
「は、はい……十夜さま」

「待て! 伊織!」
「……!」
 父に呼び止められ――伊織は振り返った。

「お前は、父と――羊垣内家を捨てるのか! 育ててもらった恩を忘れて――……!」
「……! お、お父さま……。わ、わたしは、……」
「悔しいっ! 全部お姉さまのせいだわ……! お姉さまだけが幸せになるなんて、許せないっ!!!」

 梨々子が、伊織に掴みかかる。伊織が父に気を取られている間に、そばに来ていたのだ。
気付いたときには、伊織は梨々子に胸ぐらを掴まれていた。
 梨々子が叫ぶ。

「なんでなのっ!! 私の未来を奪って!! なんなのよっ!!」
「り、梨々子……っ!!」
 
 伊織は、梨々子の手を押し返そうと腕に力を込めた。
 しかし、梨々子はなかなか剥がれない。
 

「お姉さまのくせに! お姉さまのくせにっ!!」
「…………っ」

 伊織は、黙ったままぐいぐいとその手を押し返す。
 ふたりは少しの間もみ合い、
 

 そして。

 パァン。
 と、乾いた音がして。

 ()()()梨々子の頬を平手打ちした。

「ハァ……ハァ……ハァ……!」

 梨々子に反撃したのは今までで初めてで、伊織は動機で息を切らす。
 その一回は、勇気の一回だった。

 梨々子は、なにをされたか分からず、呆然として頬を押さえている。
 まさか、姉が反撃してくるとは夢にも思わなかったのだろう。


過呼吸になるほど、肩で息をする。
 そんな伊織の肩を、十夜がそっと優しく抱いた。

「十夜さま……」
「よく、頑張ったな」
「……はい」


 伊織は、家族に向き直る。
 

「わたしは、もう、羊垣内には戻りません……。今まで、育ててくださって、ありがとうございました……」


 そうして、深々と御辞儀をしたのだった。

 騒がしい夜が、終わりを告げる。