物置小屋の座敷牢――それがいつもの折檻部屋だった。
 伊織は、がしゃん、と乱暴に牢に投げ入れられる。
 埃が立ち、伊織は思わず咳き込んだ。木造の床は傷み、掃除のされていない部屋だ。

 鉄格子の鍵を使用人が閉めると、継母が鉄格子の前に近付いてきた。


「お前、三日でキレイになったわ」

 そう言って継母は、伊織をじろりと睨んだ。

「でも、だからこそ。確かめるなんてことをして――もし、万が一があったら……ね? だから、はっきりなんてさせないほうがいいのよ」

(……!)

 継母は、庇ってくれたわけでも、伊織の言葉を信じてくれたわけでもなかった。
 ただ、父も継母も、伊織が『未婚の純潔である』という価値を保ちたいだけだった。
 それに伊織は気がついたけれど、震えてなにも言えなかった。

 ――この場所に来ると、嫌な思い出しかない。これからどうなるのか考えると、目を伏せるしかできなかった。


 継母は言った。

「さすがに結婚前に死なれたら困るから、これからは食事と毛布は運んであげる。結納の日が決まったら出してあげるわ。だから――しばらくここにいなさいね」
「……はい」

(……しばらく、って、いつまでだろう……)

 伊織は、数日は閉じ込められそうなことを思い、うつむこうとした――その時だった。
 
 バチンッ
 肩に衝撃が走る。

「痛っ……!」

 顔を上げると、

 ヒュッ。
 檻の隙間から鞭が飛んできて、伊織は慌てて目を瞑る。

 バチンッ。
 衝撃で、今度は太ともに痛みが走る。

「痛っ……。……」

 バチンッ、バチンッ――

 鞭を打つのをなんどか繰り返して、継母はようやく手を止めた。

「……顔にはしないでおいてあげたわ。感謝しなさい」
「……ぅ…………」

 伊織は、継母と目線を合わせられず、打たれた手で体をぎこちなくさすった。

(手が、体が、じんじんする……)

「ふん」

 継母は伊織を見下ろして睨んでいた。


 やがて鞭をしまうと、小屋を出て行った。

 「………………」

 あとには、ボロボロになった伊織だけが残された。
 拳を握ろうとしたが、力が入らず、伊織はうなだれた。

(……平穏な、生活だけを、望んでいるのに……)

 カビくさい臭いと埃まみれの部屋は、伊織の心を一層惨めにさせた。

 そんな中、頭に浮かぶのは――

「十夜さま……」

 誰もいない部屋で、伊織は小さく呟いた。



 以前の伊織なら、こういう時、実母のお守りを握りしめていた。
 生前の実母からもらったという認識だけがあるそれは、伊織にとって唯一の支えだった。
 ――いや、支えだと、思っていなければ、暮らしていけなかった。
 母からもらったという記憶はぼんやりで、だからこそ、それだけでは心細かった。

「本当は、ずっと、……本当に支えになってくれる人と、出会いたかった……っ」

(そんな人からもらったお守りなら、わたしは――)

「……あ」

 伊織は、はっとして胸元を探る。

「そうだ。十夜さまの手紙……」

 十夜からの手紙――家に着いたときに運転手から渡された――のことを思い出したのだ。
 服の中に忍ばせておいた手紙を取り出す。

 折りたたまれた便せんを、そっと広げた。
 そこには、達筆な字でこう書いてあった。


『伊織 辛くなったら呼んでくれ これからも助けになろう――十夜』

「――…………」
 
 読み終わった伊織の目から、涙の雫がぽろりぽろりと零れる。

 十夜さま、十夜さま。
 じゃあ、じゃあ、今、会いたいです。

「十夜さま……そばに……来てください……!」


 しん……と静まりかえった部屋の中で、伊織の言葉だけが空しく響く。


「……なんて……。あはは……」

 こんな部屋で――ひとりで口に出したところで、……叶いっこない。
 伊織は、指先で涙を拭った。


「『呼んで』、って、お家を訪ねて呼び鈴を鳴らしに行ってもいい、ってことだよね。わたし……あはは……。わたし、わたし、……。…………」
 

 ――嬉しいです、十夜さま。
 もう会えないのかもって、思ってたので、これからがあるって聞けて、嬉しいです、十夜さま。
 辛くないって言ったら、嘘になります。
 でも、わたしにはもう、どうすることもできなくて。
 十夜さまに、相談できれば、よかったのかもしれません。
 でも、わたしは、わたしのする行動でなにかが変わってしまうのが怖くて、とても怖くて。
 相談する勇気が持てませんでした。


 わたしの相手はあなたではなかったけれど。


 ――これでもう少し、耐えられると思います。



 ぽつんとひとり、ほこりっぽい折檻部屋で。
 伊織は、ぎゅっと便せんを抱きしめた。



 ***





 それから、何時間かが経って。夜中のことだった。

「…………」

 伊織の体が少し光り、頭から巻き角が現れる。
 眠れぬ夜に、そっと、自分に向かって眠らせる能力をかける。

「…………」

 そして伊織はようやく、眠りにつくことが出来た。



 その様子を、扉の隙間から見ている者がいた。――伊織の父・栄介だ。
 カノコと梨々子に任せたが、――少し様子が気になって見に来たのだ。
 幸い、伊織の顔に傷はついていないようだ。

 しかし、今はそんなことはどうでもいい。
 
「なんだ、アレは……? もしや、眠らせる能力……か? ……そんな、アレは……。」

 栄介は眉をひそめると、しばらくの間考えた。

やがて、

「……だとすると、……私は間違っていない」

 静かに折檻部屋の戸を閉めた。




――――
――――――――


 それから、三日が経った。
 
 伊織は相変わらず折檻部屋に閉じ込められている。

 話は、九頭竜財閥のオフィスに移る。