「ここが、街で一番流行りの喫茶店だ」
「これって……」

 伊織は、その洋風の建物を見上げた。
青色のペンキで塗られた鮮やかなレンガに、すっととんがった三角の屋根。窓は大きく、窓枠には細かな装飾がついている。
 
 未だ街には木造の茶色が並ぶ中、その建物は一際目立っていた。

 時刻は十時をまわったところだ。
 明るい青空が広がっている。
 
 伊織と十夜は、街にでてきていた。
 九頭竜家の車を降りて、少し歩いた先にこの喫茶店はあった。

 十夜は言った。

「ここは、九頭竜家の経営する店のひとつだ。今、(とう)(きよう)で一番人気があるらしい」
「す、すごい人、ですね……。……休日だから、でしょうか?」
「毎日だそうだ」

(すごい……)
 
 店の前には、入店待ちの行列が出来ている。若い女子が多いが、カップルの姿も多く見られる。
 ここは九頭竜家の経営する高級喫茶店で、デートに人気の場所だった。

 もっとも、伊織はそんなことは知らない。街の情報には疎いからだ。
 喫茶店に入るのに、行列ができるということさえ知らなかった。

(これに並ぶの……かな?)

 しかし十夜はそれには並ばず、伊織を連れて店のドアを開けた。

 カランカラン。
 鐘の音が鳴って、店の中から人が出てきた。

「これはこれは。若さま!」
「上に上がるぞ」
「どうぞどうぞ!」
 
 『店主』の名札をつけた男性が、十夜に深々と御辞儀をする。
 入り口すぐの階段には太いロープが張られていたが、それをとって
「さあこちらへ」
 と案内される。

「伊織嬢。二階だ」
「え、あ……っ。はい……!」


伊織たちは、二階に上がった。

(……誰もいない)

 二階に上がると、客は一人もいなかった。
 緩やかなクラシック音楽だけが流れる。

「二階は、一般人はこない」
「若さまや他の九頭竜家の皆さまがいつ来られてもいいように、常に開けてあります」
「そうなんですね」

窓から、店の外が見える。
 あの行列を全部抜かしての入店、なんだかドキドキしてしまう。……さすがオーナーである。


 フロアにあるのは、白い机に、ふかふかの椅子。
 そこへ伊織たちは座った。


 十夜が、メニュー表を伊織に渡す。

「好きなものを頼め」
「は、はい。えっと……」

 パラリ。
 縦長のそれを開く。
 ……思ったよりたくさんのメニューが書いてある。
 
(どうしよう。こんなところ、来たことないから……)

 メニュー表を見ても、何が何やらさっぱりだ。

 十夜が言った。
「異国で流行っているハーブティーや紅茶などもそろえている」
「そ、そうなんですね」

(ハーブティー? ……? お茶にどうしてこんなに種類があるの……?)

 それが顔に出ていたのか、十夜が「羊垣内では紅茶は飲まないのか?」と聞いた。
 
「は、はい。お茶と言えば緑茶でして……」
「ふむ。緑茶もだせるが」
「い、いえ! わ、わたし……これにします……!」

 伊織が指さしたのは、コーヒーの絵だった。

「…………伊織嬢。これを飲んだことが?」
「い、いえ。ただ、その……なんとなくメインっぽい、のかと思いまして」
「…………ふむ」

十夜は少しだけ考える仕草をして、
 
「まあ、いいだろう。もしダメでも――何種類でも頼んでいいからな」
「え? ダメ、って?」
「店主。コーヒーをふたつ」
「かしこまりました」
「……?」

 十夜は、再びメニュー表に目を落とした。

「そうだな。あとは――これなんかどうだ? ここの看板メニューなんだが」
「これ……ですか?」

 十夜が指をさしたのは、『プリン・ア・ラモード』だった。

「は、初めて見ます……」
「興味あるか?」
「えぇっと……」

 メニュー表の写真を見る。
 黄色いプルプルしたものの上に、クリームやさくらんぼが乗せてある。

 伊織の喉が、ごくりと鳴った。

「お、お願いします……!」



「お、美味しい……!」
 伊織は、初めてのプリン・ア・ラモードを食べていた。
 ぷるぷると揺れる黄色のプリンに、飴色のカラメルはほろ苦く、しかし生クリームが乗っているので、その苦さはまるで気にならない。シロップ漬けのさくらんぼは甘く、そのすべてがひとつのメニューとして完成されていた。
 
「十夜さま、これ、美味しいです……!」
「そうか、それは良かった。……うちの店もたまにはやるな」
「頭京で一番人気なのも、頷けます」

好きな食べ物をと聞かれても、今までなにも答えられなかった。
 米……魚……干物……漬物……そういったことしか思いつかなかった。
 しかし、今度からは甘い物だと言えそうだ。

「すごいですね……。こんな食べ物が、この世にあったなんて……」
「家で菓子は食べないのか?」
「えっと……、その……」

 家ではいつも、梨々子がお菓子を食べている。
 しかし、伊織はそれをもらえないため、羊垣内家でどのような甘味が食されているのかを知らなかった。

「…………」

(世間は、こういうのを食べてるんだ……)

 黙ってしまった伊織の頬に、十夜の手が伸び――、
 
「付いてるぞ」

 そう言って十夜は、手に付いたクリームを食べた。

「……っ!」

驚いて、まばたきを増やす。恥ずかしくて、顔が熱い。
 十夜は、穏やかな笑みを浮かべている。

「甘いな」
「……!」

そんな中、
「失礼いたします。コーヒーをお持ちしました」
 店主がやってきて、伊織はようやく止めていた息を吐いた。
 
 そしてその後すぐに伊織は、甘い紅茶に変更することとなった。



 ***



 ふたりは、しばらくの間ティータイムを楽しんだ。
 口数は多くないが、……穏やかな時間だ。


(わたしが、こうして十夜さまとお出かけしてるなんて……。なんだか夢みたい)
 
 伊織は、ティーカップを置いた。

「あの、今日はどうしてこのような……こと、を……」
「ん? 休みの日くらい、外出したっていいだろう」
「は、はい。ですがどうしてわたしも――」
 
 ドカン!
 と建物に衝撃が走り、伊織は言葉を切った。

(なっ……なに!?)

 十夜の表情が一瞬で険しくなる。

「すまない伊織嬢。――妖怪だ」

 十夜は立ち上がった。

 穏やかなデートは、突然終わりを告げる。