「そうでした。灰簾夫婦の娘……和華ちゃんとは姉妹関係になっているんでしたっけ、私」
「この世界では罪を犯せば、当たり前のように一族郎党で処罰を与えられる。お前の無実が証明されたとしても灰簾子爵家の娘という理由だけで、あの一家の罪を問われてしまう。これを回避する方法は一つしか無い。灰簾家から籍を抜いて、政府や官憲さえも手が届かない至上の存在に――青龍の伴侶になるしかない。本当はもう少し用意を整えて、浪漫のある求婚をしたかったのだが……」
「大丈夫ですよ! 三日前にもされましたし、それに清水さまが認めているのなら、私たちは実質的にもう婚約関係にあるのではないかと……」
三日前に蛍流からは「伴侶として共に生きて欲しい」と求婚されて承諾し、海音を認めた清水によって、背中には伴侶の証である龍の痣が刻まれた。それで十分だろう。海音が蛍流の伴侶であることは紛れもない事実である。蛍流が気にするところは、どこにも無いように思われるが……。
「それもそうだが、やはりお前の希望は出来る限り叶えてやりたい。書面だけで済ませるのではなく豪華な婚礼衣装を身に纏って、清水におれたちの関係を正式に認めてもらおう。そのためにも快復してくれ。早く仕立てたいのだ。お前が纏う白無垢を」
「白無垢を着られるんですか。角隠しに振袖を合わせて、お神酒を酌み交わすだけじゃなくて……?」
「雲嵐殿に尋ねたところ、白無垢に限らなくても過去には他の七龍の伴侶がウエディングドレスを所望したという話を聞いた。同じウエディングドレスを用意してもらえないか頼むつもりだ。そういえば、その際に色打掛も勧められたな。いくつか見繕ってもらうことになったから、お前に似合うものを一緒に選ぼう」
「ウエディングドレスと色打掛も仕立てるんですか? 白無垢だけじゃなくて……?」
「おれたちの時間は無限にあるんだ。気が済むまで徹底的に式を挙げたいだろう。日に何度もお色直しするのは大変だろうから、一度合わせたら写真家か絵師を呼んで艶やかな綺羅を纏った姿を残してもらうつもりだ。それならいつまでも手元に残せるからな。御守りとして部屋に飾るつもりだ」
話しをどんどん進めてしまう蛍流についていけず、海音はあたふたしてしまう。婚姻を急ぐ理由は分かったが、ただ単に蛍流と籍を同じにするだけではいけないのか。
ここに来た直後に聞いた話では、婚姻は書面だけで済ませて、後はお神酒を酌み交わすくらいとのことだったが……。
「前に聞いた時は書面を取り交わすだけって言っていましたよね。どうして急に神前式をやることになったんですか……っ!?」
「夢だったのだろう、白無垢を着るのが。前に語っていたな。ウエディングドレスのことも」
「確かに言いましたが、でもあの時の蛍流さんは乗り気じゃなかったですよね。伴侶が希望すれば親族くらいなら呼んでくれると言っていましたが……私にはいませんし、そこまで豪勢にしなくたっていいです」
「あの時はな。だが今は違う。おれが見たいのだ。お前のその……白無垢姿を」
どこか照れ臭そうに頬を染めながら目を逸らした蛍流にぽかんとしてしまう。そして海音は小さく吹き出したのだった。
「ありがとうございます。それなら私も見たいです。蛍流さんの紋付き羽織袴姿を。私が白無垢を着るなら、蛍流さんも一緒に着てくれますよね?」
「そ、そうだな……仕立てが間に合えば……」
「話しに割り込むようだが、白無垢と紋付き袴ならこの屋敷にあったと記憶している。色打掛もな。歴代の青龍とその伴侶たちが着たもので、俺たちの父さんと母さんも神前式で着たと聞かされている。状態が良ければ手直しだけで着られると思うぞ」
「そうなのか……」
「良かったですね。これならすぐに祝言を挙げられそうです」
昌真の助け舟に海音は笑みを浮かべるが、それでも蛍流はまだどこか気もそぞろであった。他にも心配事があるのかもしれない。
昌真はそれを察したのか、音も無く立ち上がると部屋から出て行った。「あまり遅くなるなよ」とだけ残して。
そうして蛍流と二人きりになったが、蛍流は緊張しているのか咳払いをする。
「ところで七龍の伴侶になる者は、人の名を捨てて別の名で生きるという話を覚えているか」
「はい。新しい名前と神気を七龍に認めてもらうことで、伴侶として受け入れられるんでしたよね」
「そうだ。祝言を挙げるにあたって、お前の伴侶としての名を考えてみたのだが、その……見てもらえないか。気に入らなければ、また考え直す。伴侶として正式に認められてしまえば、今後はこの名前で呼ばれるようになる。死んでもずっとだ。本名を呼んで良いのは、伴侶の夫となる七龍だけ。すなわちおれだけとなる。それでその……忌憚ない意見を聞かせて欲しい」
そう言って、蛍流が懐から丁寧に折り畳まれた白い紙を渡される。元の世界のコピー用紙と違って柔らかな紙質の和紙を破らないようにゆっくり広げると、そこには水茎の跡も麗しい蛍流の文字で大きく二文字の漢字が書かれていたのだった。
その二文字にうっとりと見惚れていると、何も言わない海音が心配になったのか蛍流がゆっくり話し出す。
「名前とは、全ての人間が最初に貰う贈り物であり、生涯背負い続けるものだ。それ故に適当に付けることは許されない。そう思いながら、師匠はおれと兄さんの七龍としての名前を考えたそうだ。兄さんに関しては、おれと師匠だけ名前を二つ持っているのが狡いと駄々をこねたから考えたと言っていたが……」
「それでも蛍流さんと昌真さんの名前はどちらも素敵ですよね。師匠さんの想いが込められていますし、お二人をよく表した名前だと思います」
「その名前もこれまでのお前との思い出を振り返って考えたものだ。幾度と熟考したが、どうしてもこの名前が一番お前らしさを表していると思った。お前のその優しさには何度も救われた。その全てを包み込むような慈悲深い心も。それらを踏まえた上で、元の名前からあまりかけ離れていない名を考えた。元の名は両親から与えられた贈り物だからな。もう二度と会えないとしても、産み育てた両親を忘れてはいけないという自戒を込めて……」
「ありがとうございます。とても気に入りました。蛍流さんの想いが込められた素敵な名前です。この名前を受け取ってもいいでしょうか?」
「ああ。受け取ってくれ。雲嵐殿に頼んで、明日にでも青の地の政府と他の七龍たちに周知してもらおう。そして国中に知ってもらいたい。おれの自慢の伴侶――優海を」
優海。それがこの世界で海音が得た宝物の一つ。この世界に来たことで失ったものもあったが、裏腹に得たものもあった。
これから失ったものに匹敵するような、多くの宝物を得られるだろうか。この山の上で、愛する人と共に――。
蛍流の流麗な文字で書かれた新たな名を抱き締めて泣き笑い顔を浮かべた海音だったが、ふと蛍流の穏やかな笑みが影を帯びる。
「この世界では罪を犯せば、当たり前のように一族郎党で処罰を与えられる。お前の無実が証明されたとしても灰簾子爵家の娘という理由だけで、あの一家の罪を問われてしまう。これを回避する方法は一つしか無い。灰簾家から籍を抜いて、政府や官憲さえも手が届かない至上の存在に――青龍の伴侶になるしかない。本当はもう少し用意を整えて、浪漫のある求婚をしたかったのだが……」
「大丈夫ですよ! 三日前にもされましたし、それに清水さまが認めているのなら、私たちは実質的にもう婚約関係にあるのではないかと……」
三日前に蛍流からは「伴侶として共に生きて欲しい」と求婚されて承諾し、海音を認めた清水によって、背中には伴侶の証である龍の痣が刻まれた。それで十分だろう。海音が蛍流の伴侶であることは紛れもない事実である。蛍流が気にするところは、どこにも無いように思われるが……。
「それもそうだが、やはりお前の希望は出来る限り叶えてやりたい。書面だけで済ませるのではなく豪華な婚礼衣装を身に纏って、清水におれたちの関係を正式に認めてもらおう。そのためにも快復してくれ。早く仕立てたいのだ。お前が纏う白無垢を」
「白無垢を着られるんですか。角隠しに振袖を合わせて、お神酒を酌み交わすだけじゃなくて……?」
「雲嵐殿に尋ねたところ、白無垢に限らなくても過去には他の七龍の伴侶がウエディングドレスを所望したという話を聞いた。同じウエディングドレスを用意してもらえないか頼むつもりだ。そういえば、その際に色打掛も勧められたな。いくつか見繕ってもらうことになったから、お前に似合うものを一緒に選ぼう」
「ウエディングドレスと色打掛も仕立てるんですか? 白無垢だけじゃなくて……?」
「おれたちの時間は無限にあるんだ。気が済むまで徹底的に式を挙げたいだろう。日に何度もお色直しするのは大変だろうから、一度合わせたら写真家か絵師を呼んで艶やかな綺羅を纏った姿を残してもらうつもりだ。それならいつまでも手元に残せるからな。御守りとして部屋に飾るつもりだ」
話しをどんどん進めてしまう蛍流についていけず、海音はあたふたしてしまう。婚姻を急ぐ理由は分かったが、ただ単に蛍流と籍を同じにするだけではいけないのか。
ここに来た直後に聞いた話では、婚姻は書面だけで済ませて、後はお神酒を酌み交わすくらいとのことだったが……。
「前に聞いた時は書面を取り交わすだけって言っていましたよね。どうして急に神前式をやることになったんですか……っ!?」
「夢だったのだろう、白無垢を着るのが。前に語っていたな。ウエディングドレスのことも」
「確かに言いましたが、でもあの時の蛍流さんは乗り気じゃなかったですよね。伴侶が希望すれば親族くらいなら呼んでくれると言っていましたが……私にはいませんし、そこまで豪勢にしなくたっていいです」
「あの時はな。だが今は違う。おれが見たいのだ。お前のその……白無垢姿を」
どこか照れ臭そうに頬を染めながら目を逸らした蛍流にぽかんとしてしまう。そして海音は小さく吹き出したのだった。
「ありがとうございます。それなら私も見たいです。蛍流さんの紋付き羽織袴姿を。私が白無垢を着るなら、蛍流さんも一緒に着てくれますよね?」
「そ、そうだな……仕立てが間に合えば……」
「話しに割り込むようだが、白無垢と紋付き袴ならこの屋敷にあったと記憶している。色打掛もな。歴代の青龍とその伴侶たちが着たもので、俺たちの父さんと母さんも神前式で着たと聞かされている。状態が良ければ手直しだけで着られると思うぞ」
「そうなのか……」
「良かったですね。これならすぐに祝言を挙げられそうです」
昌真の助け舟に海音は笑みを浮かべるが、それでも蛍流はまだどこか気もそぞろであった。他にも心配事があるのかもしれない。
昌真はそれを察したのか、音も無く立ち上がると部屋から出て行った。「あまり遅くなるなよ」とだけ残して。
そうして蛍流と二人きりになったが、蛍流は緊張しているのか咳払いをする。
「ところで七龍の伴侶になる者は、人の名を捨てて別の名で生きるという話を覚えているか」
「はい。新しい名前と神気を七龍に認めてもらうことで、伴侶として受け入れられるんでしたよね」
「そうだ。祝言を挙げるにあたって、お前の伴侶としての名を考えてみたのだが、その……見てもらえないか。気に入らなければ、また考え直す。伴侶として正式に認められてしまえば、今後はこの名前で呼ばれるようになる。死んでもずっとだ。本名を呼んで良いのは、伴侶の夫となる七龍だけ。すなわちおれだけとなる。それでその……忌憚ない意見を聞かせて欲しい」
そう言って、蛍流が懐から丁寧に折り畳まれた白い紙を渡される。元の世界のコピー用紙と違って柔らかな紙質の和紙を破らないようにゆっくり広げると、そこには水茎の跡も麗しい蛍流の文字で大きく二文字の漢字が書かれていたのだった。
その二文字にうっとりと見惚れていると、何も言わない海音が心配になったのか蛍流がゆっくり話し出す。
「名前とは、全ての人間が最初に貰う贈り物であり、生涯背負い続けるものだ。それ故に適当に付けることは許されない。そう思いながら、師匠はおれと兄さんの七龍としての名前を考えたそうだ。兄さんに関しては、おれと師匠だけ名前を二つ持っているのが狡いと駄々をこねたから考えたと言っていたが……」
「それでも蛍流さんと昌真さんの名前はどちらも素敵ですよね。師匠さんの想いが込められていますし、お二人をよく表した名前だと思います」
「その名前もこれまでのお前との思い出を振り返って考えたものだ。幾度と熟考したが、どうしてもこの名前が一番お前らしさを表していると思った。お前のその優しさには何度も救われた。その全てを包み込むような慈悲深い心も。それらを踏まえた上で、元の名前からあまりかけ離れていない名を考えた。元の名は両親から与えられた贈り物だからな。もう二度と会えないとしても、産み育てた両親を忘れてはいけないという自戒を込めて……」
「ありがとうございます。とても気に入りました。蛍流さんの想いが込められた素敵な名前です。この名前を受け取ってもいいでしょうか?」
「ああ。受け取ってくれ。雲嵐殿に頼んで、明日にでも青の地の政府と他の七龍たちに周知してもらおう。そして国中に知ってもらいたい。おれの自慢の伴侶――優海を」
優海。それがこの世界で海音が得た宝物の一つ。この世界に来たことで失ったものもあったが、裏腹に得たものもあった。
これから失ったものに匹敵するような、多くの宝物を得られるだろうか。この山の上で、愛する人と共に――。
蛍流の流麗な文字で書かれた新たな名を抱き締めて泣き笑い顔を浮かべた海音だったが、ふと蛍流の穏やかな笑みが影を帯びる。