「ジジイの言うことを聞け。わかったな」

 伊吹の言葉に「はい」と何人もの声が合わさった返事が響く。まるで軍隊のようだと思っていると、千早の頭が小突かれた。言うまでもなく、小突いてきたのは伊吹だ。今朝ほど仕打ちは酷くないが、痛みがまったくないわけではない。なるべく感情を表に出さずに左手で頭に触れる。

「呆けてる場合か? 俺達は祠だ、行くぞ」
「……はい」

 別に呆けてはいなかった。呆けていたとしても、小突く必要はないだろう。そうは思いつつも言い返すことはせず、千早は伊吹の後ろを歩く。

「千早!」

 後ろから祖父に名を呼ばれ、千早は足を止めて振り向いた。心配そうな目でこちらを見る祖父に、胸がきゅっと締め付けられる。

「無茶はするな。わかったな」
「うん、おじいちゃんも」
「……ほら、行くぞ」

 祖父に手を振り、千早は伊吹と共に祠へと向かうために山へと入って行った。
 基本的に、山に入るのは明るい時間帯に限られている。当然だが明かりなど一つもなく、足元は見えない。また、暗闇は何かと良からぬものを呼び寄せる。あの祠と暗闇は相性がいいと言っても過言ではない。
 それに、と千早は柄を握り締めた。
 朝と夕方では、瘴気の濃さがほんの少しだが違うのだ。太陽の光に弱いのか、それとも、太陽が瘴気を抑えてくれているのか。
 これは誰にも話したことがない。ただ、千早がそう思いたいだけなのかもしれないからだ。

 しかし、千早が思っていることが当たっていれば。
 太陽という偉大な味方がいない今、瘴気はどれほどの濃さになっているのだろうか。呑み込まれたりしないだろうか。
 考えても仕方がない不安に、押し潰されそうになる。少しでも楽になればと息を吐き出した瞬間、顔面に光を当てられた。その眩しさに思わず足を止め、両目を瞑る。

「さっきから溜息ばかり吐きやがって。辛気くさくなるからやめろ」
「は、はい」

 どうやら伊吹が持っていた懐中電灯の明かりを向けられたようだ。そんなに溜息をついていたとは思わず、千早は小さな声で「すみません」と謝った。
 再び歩き出す。さく、さく、と落ち葉を踏む音だけが聞こえ、二人の間に会話はない。
 それにしても意外だった。伊吹が、一七夜月(かのう)家が、こうして朝日奈家に協力してくれるとは。
 祖父を追って一七夜月家へと向かったが、千早が着いた頃には伊吹と二人で作戦会議をしていた。祖父曰く、一七夜月家は乗り気ではなかったものの、伊吹が説得してくれたそうだ。見直した、と祖父は笑っていた。

 本当に、伊吹を信じていいのだろうか。
 普段のやりとりから、千早は祖父のように素直に受け止められない。何か裏があるのではないか。そんなことを思いながら前を歩く伊吹の背中を見ていると、前から足音が聞こえなくなった。
 千早も足を止めると、伊吹がこちらを振り返る。またしても懐中電灯の明かりを顔面に当てられ、千早は両目を瞑った。

「さっきから背中がむず痒い。何か言いたいことでもあるのかよ」
「べ、別に」
「今なら聞いてやるって言ってんのに」

 気分がいいのか、何なのか。
 わからないが伊吹がそう言うのなら、と千早はおずおずと口を開いた。

「……どうして、協力してくれたのですか」
「祠の封印が解かれたらまずいことくらいわかる。本家や分家を持ち出して断るのは違うだろ」

 はい終わり、と強引に会話を切り上げ、伊吹は歩き出した。千早も慌てて後をついていく。
 少しほっとしてしまったのと同時に、伊吹に申し訳なくなった。
 何せ、いつもどおり「本家で何とかしろ」と言ってくるだろうと考えていたからだ。祖父が見直したというのも、今ならわかる気がする。

「今日来ようとしている奴らはすぐに手が出る。自分の身くらいは自分で守れよ」

 珍しく、伊吹が話しかけてくる。これまで会話という会話としたことがない。もう一生分話しているのではないかと思ってしまうほど。
 それとも、何か起きてしまうのか。それの前触れか。至極失礼なことを考えているのだが、千早はそれには気付かず、緊張しながら言葉を返す。

「暴力沙汰を起こしているのですか?」
「ライブ中継を止めようとした地元民と揉めてたよ。心霊スポット? そんなものに勝手にするなってな」

 千早は次回予告のみだが、伊吹はほとんどの動画をざっくりとだが見たようだ。こちらが何も言わずとも話してくれた。
 今日来ようとしている者達は、心霊スポットと呼ばれるところに行くことがほとんどらしい。が、稀にあまり周知されていない村へ行くそうだ。
 そこでそれらしいものを見つけて、新たな心霊スポット発見と謳うために。

 これでは、地元民と揉めるのも無理はない。勝手にやってきて、勝手にそう広めようとするのだから。
 歴史や意味など、何も知らずに。

「俺達の役目は、封印が解かれるのを阻止すること。まずはジジイ達が止めにかかる予定だが、それを突破してきた場合は……いいか、躊躇(ためら)うなよ」
「……はい」

 祠に近付くにつれ、ねっとりとした空気が肌につく。足取りも重くなり、瘴気のせいか息もしづらい。
 手に持っていた柄を、千早は今度は強く握り締めた。


 * * *


 駄目だ、と誰もが叫んだ。行くな、とも。
 それでも、彼らは歩みを止めなかった。話を聞かなかった。
 阻止しようとする者達を殴り、蹴り、倒れたところを動画に収め、嘲笑った。
 千早の祖父が一人を後ろから羽交い締めにするが、年齢と体格差でいとも簡単に払われてしまう。
 一七夜月家の者達も諦めずにくってかかるが、喧嘩慣れしている彼らには敵わない。千早の祖父もダメージから起き上がることができず、地面に倒れた。
 そんな怪我人達へ向けて、彼らは親指と人差し指で輪を作り、挑発した。
 儲けさせてもらいました、と下品な笑い声をあげて。

 このままでは、祠に向かってしまう。
 あの子の元へ、向かってしまう。
 千早の祖父は手を伸ばすものの、彼らには届かない。

「んじゃ、いっちゃいますよーん! いざ、呪われた祠へ!」