太陽が昇り、世界が真っ赤に染まり上がる頃。ある一人の少年が、震える片手にナイフを強く握りしめ、華奢な両肩からは想像もできないほどの重大な決心をした。
 それは(のち)に、『宗家荘(そうけそう)殺人事件』と呼ばれ、日本全土に恐怖の糾弾を生むことになる。
 小さな肩を上下に大きく揺らしながら、今にも窒息死してしまいそうなくらいに息を乱している。ちゃんと食べているか。そう問いたくなるほど、その少年は栄養のない牛蒡(ごぼう)のように、醜い姿をしていた。


「やっほー、少年」
 どこからか声がした。だけど、それに反応を示す余力はもう残っていなかった。
 体が鉛のように重い。どうにかなってしまいそうなほどに、重くて、苦しくて、吐き気がする。
「………」
「あれー? どした、そこにいるんだろ?」
 少し甲高い声の女が、ある一角に佇む公園の、トンネル状のアスレチックを覗き込む。ぼくはこの姿を見られないように、さらに奥へと尻を引きずる。それでも女の人は諦めてくれないようだ。
 ぼくは少し、いやかなり、うんざりした。
「……帰ってください。僕のことなんかに構わず、早くあなたのおうちに帰ってください」
 きっとあなたには、あなたを待ってくれているひとがいるんでしょう。あなたという存在を、とても大切に、割れ物のように繊細に、陽だまりのような温かい優しさで、愛してくれるひとがいるんでしょう。
 だって、そんなの訊かなくたってすぐに分かる。その人の声を聴いただけで、ぼくはその人がどれだけ幸せな生活を送れているか、どれくらい愛されているかが分かる。
 それは、ちょっと、いやかなり、残酷な能力だった。
「んー、そうはいかねえんだよなあ。あんたが大人しく家に帰ってくれないと、あたしだって『おうち』には帰れねえんだ」
「……どうして?」
 あなたの人生に、ぼくは何の影響も害も与えていないというのに。それなのに、一体どうしてそんなことを言うの……?
少し離れた所で息を吐く気配がした。それからすぐに、女の人が口を開いたのが分かった。
「───だってあたし、これでも一応警官だからさー」
 ──ビクリ。肩が酷いくらいに大きく震えた。
 心臓がバクバクと鼓動し始める。体中のすべての穴から、ぶわっと大量の汗が噴き出てくる。僕はこれ以上ないほどに動揺していた。こんなに混乱して、不安な気持ちでいっぱいで、焦って、息ができなくて苦しくて、目の前が見えなくなったのは、これが初めてのこと。
 だから僕は、こうなってしまった時の対処法が分からない。
「……少年?」
 女の人の訝しげな声が遠くで聞こえる。