高校生活初めての夏休みは、もう2日後に迫っていた。
 携帯を忘れていたことに気づいて、放課後の教室に戻ろうとする間に、僕はふと、同じクラスに転校生が来るという話を思い出していた。
 担任の倉井(くらい)先生から、もうすぐ新しい仲間が加わるという話があって、一ヶ月前はクラスじゅうが色めき立っていた。
 僕の席の真後ろの、主をぽつりと待つような、最後列の転校生の席は、1年D組のにぎやかな教室の日常からは、異質なほどに浮いていた。
――彼女、佐野(さの)さんは体調を崩していて、もう少し時間がかかるそうだ。
 二週間経ってもやって来ない転校生にクラスメイト達が首をかしげ始めた頃、倉井先生の発言で、転校生の苗字と性別を、他人に興味の薄い僕は初めて知った。
 やがて七月中旬。期末試験の時期に入り、テストは既に終盤戦。答案返却と解説授業ばかりで、いよいよ夏休みかという今日になっても、空席に見知らぬ女の子が座っているという光景を見ることはなかった。
 早足で三階のD組の教室に戻る途中、遠くで色彩がゆらりと揺れて、僕の視界の端に飛び込んできた。
 それは、廊下の窓越しの光景で、二階にある職員室前の通路だった。
 僕が見たのは、倉井先生と談笑していると思われる、制服を着た一人の女子生徒の姿だった。
――あの子って。
 はやる気持ちをおさえて、僕はだいじな忘れ物を取りに行くために1年D組の教室に到着する。
「――――あった」
 ロッカーの中に携帯を置き去りにするなんて、初めてのことだった。
 僕はふと気になって、自分の席の真後ろの、最後列のあの空席に目をやった。
携帯にはアプリに通知が来ていた。
「佐野彩葉」。
昨日、本に挟まっていたメモに書かれた連絡先から追加して、忘れ物を伝えるメッセージを送ったけど、ずっと返信がなかった。
【放課後、そっちに行くね】
未読をチェックすると、そんな簡素な返信が彼女から届いていた。
 僕は携帯をしまい、代わりにかばんから一冊の文庫本を取り出す。
 『(かぜ)又三郎(またさぶろう)
 僕のクラスの転校生って、もしかして。いや、もしかしなくても。
 気がつくと、僕は文庫本を持って、D組の教室を飛び出していた。