「……いただきます」
おそるおそるかぶりつくと、(僕の主観でしかないが)近未来の固形食のような見た目からは想像もつかない、ふわりとした甘みがバニラのいい香りと一緒に口の中にじんわりと広がった。
そのフレンチトーストは、僕が今まで食べた中で一番と言えるものだった。
彼女はそんな僕のようすを見てとったのか、こちらを観察してにやにやとしている。
「……まぁまぁだね」
素直に美味しいと言うのがなんだか嫌で、僕はムキになってそんなふうに言う。
それがかえって可笑しくてこらえきれなかったのか、彼女はふふふ、と笑った。
「……もう、なんで笑うんだよ」
「ごめんごめん」
彼女は口元を綻ばせたまま、軽く謝ってから訊いてきた。
「――ねぇ、さっき気になってたんだけどさ。私が展望台から無理やり引っ張り出しても、ぜんぜん抵抗しなかったよね、きみ」
「抵抗っていうか、あれは……ぼんやりしてたというか」
「美味しそうに食べてくれたとはいえ、特別お腹すいてるってふうでもなさそうなのに。あっさり私に付き合って素直に食べてくれたし」
「…………」
「? おーい、もしもーし、聞こえてる? きみっていうのは、私が手を取って無料展望台から引き剥がして連れてきた、今私の目の前に座ってる男の子のことだよ」
「……そこまで言われなくても分かるよ。僕のことだね」
「なぁんだ。話、ちゃんとできるじゃん」
「僕を何だと思ってるんだよ」
「それ、今自分で言うかぁ? だって君さっき、展望台のすき間から飛び降りようとしてたじゃんよ」
「……そうだね。ただ、僕は一歩前に出ただけで、他の人は気づいてないみたいだった。単にもっとよく見える場所で景色を楽しみたいと思って、ほんの少し体を乗り出したかっただけの可能性もあるよね」
「え、そうなの?」
短く訊いた彼女は真剣な表情だった。なんだか調子が狂いそうになる。
「…………ううん、違うよ。正直、僕自身の行動の意図としては――本当に飛び降りようとしてたと認めざるを得ない」
自分の暗い部分を暴かれているような居心地の悪さを感じて視線をそらしたかったけど、僕の目はよりいっそう彼女に吸い寄せられて見つめてしまう。モノクロの中に唯一の色素をもった存在が現れると、視線というのは意思とは関係なく釘付けになってしまうものらしい。
僕の視線が気になるのか、彼女はそわそわと体を左右に動かした。
「そ、そんなに見つめられると私だって流石に恥ずかしいな、うん」
「……あのさ」
「うん?」
「初対面の人にこんなこと打ち明けるの、ちょっと気が引けるんだけど。少し僕のことを話してもいいかな」
彼女の顔が不意をつかれたように一瞬きょとんとしたが、すぐに取り繕うような笑顔になる。前置きしたところで、しょせんはただの自分語りだ。内容を話す前から引かれてしまっただろうか、と僕は少し気にしてしまう。
「うん。全然良いよ」
「ま、そうだよね……あんな状況で初めて会った人にいきなり自分語りなんて……って、良いんだ?」
「ん。私たぶん、ちょっとしたことじゃ驚かないから」
「ならいっそう驚かせてみたいよ。――僕ね、中学生の時、目で見る『色』というものが分からなくなったんだ」
「…………」
確かに驚きはしなかったけど、彼女は真剣な表情に戻ってただゆっくりと頷いた。
「……色、かぁ。そっか」
「……うん。ある日を境に、僕の目に映るものからは、色が抜け落ちて、何もかも、白と黒と灰色に変わってしまったんだ」
「そっか――そうだったんだ。きっとすごく辛かったよね」
彼女は声を震わせて、まるで自分のことのように、悲しげにうなずいた。
「? まぁ、ね。検査しても異常は無くて精神的な問題ということになった。だから、あくまでも、そういうことになってるってだけで。周囲の誰も言わないだけで、僕が学校に行きたくないとか、注目を浴びるとかのために嘘をついている、って思われてるかも」
「そんなこと……ないと思うけどな。君は全然そんな人には見えないよ」
「そんなことあるよ。僕、たしかにさっき展望台のすき間から飛び降りようとしてたんだし。僕が死んでからあの箇所、塞がれると良いね」
「…………」
彼女は沈痛な面持ちになって押し黙ってしまった。
僕は息苦しさからため息を吐くようにつぶやく。
「……しかも、どうして君はこんな時に現れるんだよって、タイミングの悪さを呪ったよ」
「え?」
「ごめん。今のは八つ当たり。どうしていきなり手を掴まれてほとんど何も抵抗しなかったのか、ここまでついて来たのかって。認めたくないけど、僕は君を見て本当にびっくりしてたんだ。初対面の君にこんなこと言ったのは理由があってさ。本当にずっと驚いてた。――どうやら僕、君のことだけが色づいて見えてるみたいなんだ」
そこまで言って、これは新手のナンパの口説き文句にならないだろうかと少し後悔した。先に声をかけてきたのが彼女だとしても。
僕は失言を反省して、意味もなく手元のメニュー表に視線をさまよわせる。
彼女は特に気にしたようすはなく、ゆっくりとうなずいた。
「私だけ――? そっか。とにかく。……どんな理由があったのかは、知らないけど」
「けど?」
「…………二度と、あんなことしたらダメだよ」
その声はか細く震えていた。顔を上げると、彼女の目いっぱいに、涙が浮かんでいた。