この世界には、モノクロだけが存在する。

 眼前(がんぜん)に広がる都市景(としけい)からは、今や全ての色が失われていた。
 ガラスの向こう側に広がる空も、世界が終わる前のような(よど)んだ灰色となって、僕、城田(しろた)零実(れみ)の前に立ちはだかっていた。
 僕の視界の端に入るのは、見るもの全てがカラフルで染まった、幸せそうな中高生の恋人たち。駅前の無料展望台は、デートスポットとして有名な施設だった。
 この場所が、すべての色彩を失って立ちつくす僕にとっては、独りで死ぬのにうってつけの場所だなんて、誰が想像しただろう。
 無料展望台の天井は、完全には密閉されておらず、バルコニー部分と内側の屋根の間からは、雨が滴り落ちてくる。
 天井だけではない。今、僕が立っている柵の部分には隙間が空いていて、ガラスもはめられていない。ここから飛び出して数歩踏み出すだけで、すぐに死ぬことができる。
 ベンチは制服を来たカップルや友達同士の姿で埋まっていて、僕はしんみりと景色を眺めることもできず、それでも正面に立ち尽くしていた。
 それがかえって、僕の衝動を増幅させる。
――僕の座る場所は、もういらないのだから。
 決意が鈍らぬうちに、隙間の前でしゃがめば一瞬で飛び出すことができるように。僕は灰色の空に吸い寄せられるように、立ったまま、もう一歩、柵の前に踏み出そうとした。
「そこ、私の場所なんだ」
 ふいに、鈴の音のような、静かで透き通った女性の声がした。それが自分にかけられた言葉だと僕が気づいたのは、声の主が、真横に立って、同じ隙間を見つめていたことに気づいたからだった。
「ここの隙間をくぐって、飛び降りて死にそうな人って、やっぱり一目で分かるものなんだね」
 僕は相変わらず、虚ろな目で正面の柵を見つめていた。
 すると、声の主も僕の横に立って、無言で、柵の隙間を見つめる。
「私も、そうだったから。君を見るまでは」
「…………」
「私も死のうと思ってたけど、君を見たら、なんだかバカバカしくなっちゃったんだ」
「…………」
「だから、君は私の命の恩人なんだ。
私は、そんな恩人の君が死なないように、この夏の間じゅう、そばに付いてなきゃいけなくなった」
 彼女は灰色の空を見つめて、無言で立ち尽くす僕の手を取った。
「私は君を、絶対に死なせない」