小説を書いたことのない僕でも分かる。
それは、致命的な欠点だ。
「いつも結末が書けなくて……そのまま小説の新人賞に応募してる。一度、出版社から電話がきたことがあった。『悪い意味で裏切られた、物語を完結させることのできない作家に賞を授与することはできない』って。でも無理なの、ぜったい無理なの……」
言いながら彼女は俯いた。声が震えている。その表情は、トラウマを抱えた人間のものだ。
出版社から直接電話がくるということはきっと、真希菜は受賞に値する小説を書けていたのではないだろうか。それなのに完結させることができないというのは、実に惜しい。
「結末を書こうとすると、それまでどんなに快適に書けていても急にぴたりと筆が止まる。そこから先を書くことができない。どんなに頑張っても私は……『小説家にはなれない』」
『お前はピアニストにはなれない』
僕は目をぎゅっと瞑る。
「やめてくれ……」
『諦めろ、天音』
両手でこめかみをおさえつける。
「嫌だ、僕は……!」
「天音!?」
はっ、と息を飲んだ時、真希菜がこちらを不安な表情で見つめていた。
「大丈夫?」
「……同じなんだ」
僕は云う。自分も『なれない』者だと。
「僕も、同じなんだ。僕には才能がない。弾ける曲はラ・カンパネラだけ。それ以外は、全然上達しなかった。何をやっても、ダメだったんだ……だから、ピアニストの夢を諦めた。だって、一曲しか弾けないのにピアニストを志すなんてそんなの、烏滸がましいじゃないか! 本気で夢を追う人に、顔負けできるわけがない」
「どうして……? どうしてそう思うの、一曲だけでも、あんなに綺麗な曲が弾けるんだよ? 烏滸がましいなんて、私は思わない」
「君が思わなくたって他の人は思うさ」
そう。父親を筆頭に。
姉だって、心の中で僕を嘲笑っているかもしれない。姉はどんな曲だって完璧に弾いてみせる人だ。ラ・カンパネラしか弾けない僕なんて眼中にすらないだろう。
「……」
彼女はそれきり黙ってしまった。重い沈黙に耐えきれず、僕から声を出す。
「話、すごく逸らしてごめん。それで君、この小説の新人賞に応募するの?」
冷静さを欠いてしまったことを反省して、僕は再び文庫本を手にとって彼女に渡す。彼女は神妙な顔つきで本を受け取った。
「うん。今度こそ完結させたい。だから協力してほしいの。……ここ見て」
彼女が指をさしたページの一箇所に目をやると、そこには過去の受賞作が載っていた。この本のタイトルもそこにある。
「この作家さん、秋山先生もこの新人賞でデビューしてて。だからどうしても賞獲りたいの。締切は半年後、それまでに作品を仕上げる」
憧れの小説家と同じ賞。僕にもかつてそんな時期があった。憧れのピアニストと同じコンクールでラ・カンパネラを弾いたことを思い出す。
「半年……どれくらいの量を書くの?」
「十二万字」
淡々と言ってのける彼女に、僕は心の中でおお……と嘆息を吐いた。
「分かった、僕にできることならやるよ」
「ありがとう。ねえ、もう一度聞いてもいい? 天音のラ・カンパネラ」
誰かの為に奏でる音楽なんてしばらく弾いていなかった。ずっと自分の技術の上達だけを考えて弾いていた。
「ああ、何度でも弾く」
ラ・カンパネラを弾くといつも、とある情景が目の奥に浮かんでくる。
雪景色に包まれ、一人で可憐に舞い続ける少女の画だ。
最初は軽やかなステップを踏んでいるのに、だんだんとその顔に焦りが浮かび始める。まるで、立ちはだかる壁に圧倒されるみたいに。そして最後はいつも、堕ちる。
弾いている途中にハッと気がつく。自然と真希菜をその少女に重ねてしまった。小説を書く真希菜。
彼女は最初、確かに書くことを楽しんでいるはずだ。だが段々と終わらせ方が分からなくなって、最終的には曲が終わると同時に退場する。小説を完結させることができないまま。
彼女自身もそういう何かをこの曲から感じたのだろうか。もしそうなら、ラ・カンパネラに惹かれ小説を書きたいと思ったのにも納得いくような気がした。
それは、致命的な欠点だ。
「いつも結末が書けなくて……そのまま小説の新人賞に応募してる。一度、出版社から電話がきたことがあった。『悪い意味で裏切られた、物語を完結させることのできない作家に賞を授与することはできない』って。でも無理なの、ぜったい無理なの……」
言いながら彼女は俯いた。声が震えている。その表情は、トラウマを抱えた人間のものだ。
出版社から直接電話がくるということはきっと、真希菜は受賞に値する小説を書けていたのではないだろうか。それなのに完結させることができないというのは、実に惜しい。
「結末を書こうとすると、それまでどんなに快適に書けていても急にぴたりと筆が止まる。そこから先を書くことができない。どんなに頑張っても私は……『小説家にはなれない』」
『お前はピアニストにはなれない』
僕は目をぎゅっと瞑る。
「やめてくれ……」
『諦めろ、天音』
両手でこめかみをおさえつける。
「嫌だ、僕は……!」
「天音!?」
はっ、と息を飲んだ時、真希菜がこちらを不安な表情で見つめていた。
「大丈夫?」
「……同じなんだ」
僕は云う。自分も『なれない』者だと。
「僕も、同じなんだ。僕には才能がない。弾ける曲はラ・カンパネラだけ。それ以外は、全然上達しなかった。何をやっても、ダメだったんだ……だから、ピアニストの夢を諦めた。だって、一曲しか弾けないのにピアニストを志すなんてそんなの、烏滸がましいじゃないか! 本気で夢を追う人に、顔負けできるわけがない」
「どうして……? どうしてそう思うの、一曲だけでも、あんなに綺麗な曲が弾けるんだよ? 烏滸がましいなんて、私は思わない」
「君が思わなくたって他の人は思うさ」
そう。父親を筆頭に。
姉だって、心の中で僕を嘲笑っているかもしれない。姉はどんな曲だって完璧に弾いてみせる人だ。ラ・カンパネラしか弾けない僕なんて眼中にすらないだろう。
「……」
彼女はそれきり黙ってしまった。重い沈黙に耐えきれず、僕から声を出す。
「話、すごく逸らしてごめん。それで君、この小説の新人賞に応募するの?」
冷静さを欠いてしまったことを反省して、僕は再び文庫本を手にとって彼女に渡す。彼女は神妙な顔つきで本を受け取った。
「うん。今度こそ完結させたい。だから協力してほしいの。……ここ見て」
彼女が指をさしたページの一箇所に目をやると、そこには過去の受賞作が載っていた。この本のタイトルもそこにある。
「この作家さん、秋山先生もこの新人賞でデビューしてて。だからどうしても賞獲りたいの。締切は半年後、それまでに作品を仕上げる」
憧れの小説家と同じ賞。僕にもかつてそんな時期があった。憧れのピアニストと同じコンクールでラ・カンパネラを弾いたことを思い出す。
「半年……どれくらいの量を書くの?」
「十二万字」
淡々と言ってのける彼女に、僕は心の中でおお……と嘆息を吐いた。
「分かった、僕にできることならやるよ」
「ありがとう。ねえ、もう一度聞いてもいい? 天音のラ・カンパネラ」
誰かの為に奏でる音楽なんてしばらく弾いていなかった。ずっと自分の技術の上達だけを考えて弾いていた。
「ああ、何度でも弾く」
ラ・カンパネラを弾くといつも、とある情景が目の奥に浮かんでくる。
雪景色に包まれ、一人で可憐に舞い続ける少女の画だ。
最初は軽やかなステップを踏んでいるのに、だんだんとその顔に焦りが浮かび始める。まるで、立ちはだかる壁に圧倒されるみたいに。そして最後はいつも、堕ちる。
弾いている途中にハッと気がつく。自然と真希菜をその少女に重ねてしまった。小説を書く真希菜。
彼女は最初、確かに書くことを楽しんでいるはずだ。だが段々と終わらせ方が分からなくなって、最終的には曲が終わると同時に退場する。小説を完結させることができないまま。
彼女自身もそういう何かをこの曲から感じたのだろうか。もしそうなら、ラ・カンパネラに惹かれ小説を書きたいと思ったのにも納得いくような気がした。