「おい、ロマ! 起きろ」
 何回も起こしてくれたのか僕の意識が現実に引っ張られる頃にはカイルはかなり強く僕のことをゆすっていた。
 乗ったころは真っ暗だったのに列車の隙間から差し込む光はとても強くて、感覚的にはきっとお昼くらいの時間だと思う。
 「これ、ここから見てみろよ」
 楽しそうに、興奮気味に話すカイルに従い、ひときわ大きそうな穴を除くと見たことのない形をした建物が次から次へと流れていくのが見えた。
 明らかに知らない町。
 胸が高鳴るのを感じる。
 ここがどこかなんてわからない。
 わからなくていいんだ。
 ”見たことがない”ということに不安よりも何よりも喜びが勝る。

 2人で顔を見合わせてくすくすと肩を震わせると、ガタンという大きな音とともに体が傾いた。
 「着いたみたい」
 「人きちゃうかな」
 「大丈夫。降りるなら今のうちだ」
 人が荷物を取りに来てしまう前に、人に合わないようにそっと列車を降りた。

 「わぁ! すごい、カイル、見て見て! 」
 「すごいなぁ! やったな! 」
 駅には沢山の人が右へ左へ流れるように歩いていく。
 見たことのない建物
 見たこのない服装
 人のかすれ声やどなり声とはほど遠い楽し気な声がいろんなところではじけている。
 
 はぐれないようにつないでいる左手にギュッと力がこもったのが伝わった。
 ふと見て見るとカイルはキラキラとした視線であたりを見渡している。
 その顔を見て僕もギュッと力を込めた。

 「おお、ごめんね。通るよ」
 ハッとして反射的に声のほうに目をやると自分よりはるかに大きい荷物を手押し車で運ぶおじいさんとぶつかりそうになっているところだった。
 「す、すみません」 
 どうしよう。
 僕らのことを、ハシュとパトラムのことを知っている人だったら。
 手にじわっと汗がにじむのをかんじる。
 カイルも同じだった。
 スッと避け、そのまま通り過ぎてくれることを願う。  
 どうか、どうか。
 
 そんな心配をよそにおじいさんは
 「ありがとよ~」
 と僕らの前を通過していった。
 知らなかったのか、気が付かなかったのか。
 こんなことですら僕らからしたら命がけなんだ。

 ハシュとパトラムは自由を持て余したけど、僕らにとって自由とは無知ゆえに未開の地に放り出されているのと同じだった。
 
 ひとまず今起きた壁を乗り越えたと肩をなでおろしたとき
 「おっと」
 という焦りを含んだ声と賑わいを見せていたその場が一気に静まり返る程の大きな音がして視界の端で手押し車が倒れるのが見えた。
 さっきのおじいさんだ。
 やっぱり荷物は大きすぎたみたいで中に入ってた果物や麦が投げ出されてしまった。
 
 「大丈夫ですか」 
 気が付けば体が動いていておじいさんのもとへ走っていた。
 バカだ。こんなことをしてバレたらどうする。
 目立つ行為はよせよと僕の中のもう1人の僕が言うけれど目の前でおきた大惨事を無視することが出来なかった。
 手をさし伸ばしてくれる人が1人でもいるということがどれほど心強く、嬉しいことか僕は知ってしまったから。
 カイルも一緒になって果物をあつめ、麦をひろう。
 その横顔は少しも曇りを感じさせなかった。

 「これで全部だね。ありがとう」
 そう言いながらおじいさんはさっきまでよりも強く荷物ひもを結びなおしていた。
 やっぱりまだ対面で話すは怖くて簡単に「いえいえ」と言って意識はもう歩き出す方へとシフトチェンジしていた。
 その時だった。
 
 「あれ、君たち,,,,」

 おじいさんがそう言う。
 心拍数が一気に上がったのを感じた。
 血液はそれにより圧迫され、指先まで鼓動を感じる。
 まずい、ばれた,,,,?
 逃げなきゃ。
 「カイ,,,,」
 カイルの手を引いて走り出そうとしたとき。

 「あぁいや、もしかしてチールドの子達かなって思ってね」

 おじいさんの口から発せられたのはハシュでもパトラムでもなく「チールド」という聞いた事のない言葉。
 「違ったらすまないね。ここらじゃ見ない顔つきだからてっきり」
 なんでもこの町では病気などで親をなくした子供たちが集まる「チールド」という施設のような場所があるらしい。
 あまり子供だけで駅にいるようなことは珍しいのでチールドの迷子かと思ったんだって。
 
 僕らはここではなんなんだろう。
 確かに父親も母親もいない。
 ここの住人でもない。
 なんといえば言いのだろう。
 ここでの僕らには存在に名前がなかった。

 カイルは今、何を考えているのだろう。
 その答えが出るよりも先に
 「きっと困っているんだろ? 服もボロボロだ。あてがなければうちに来るかい? 今のお礼もかねて」
 そう優しく笑いながらおじいさんは言った。
 2人で顔を見合わせお互いの目が輝いたことを確認する。
 「いいんですかっ」
 「あぁもちろん。ついておいで」
 手押し車を3人で押し、町から少しだけ外れた小さな家にたどり着いた。
 この話に警戒心が全くなかったわけではない。
 もしかしたらこのおじいさんがたまたま僕らの事を知らなかっただけかもしれないし
 どこかでぼろが出るかもしれない。
 でも今は行き当たりばったり、少しづつ僕らの中にある壁を溶かしていかなければ生きていけなかった。
 僕らには家もお金も食料も、何もない。
 気持ちだけでは明日を生き抜いていくことはできない。
 それは牢獄で僕らが毎日目にしてきたまぎれもない現実だった。