◆
「相馬、一人?」
凛花と話せなくなってから数日経った放課後、一人で帰ろうとしていたら、多賀くんに声をかけられた。
その声を聞いた途端、全身に緊張が走った。
だけど、緊張しているのは私だけではないらしい。
多賀くんの表情が硬い。
お互い、友達になることは簡単ではないみたいだ。
「一緒に帰らない?」
「えっと」
断りたい。
そう思ったのに、多賀くんを見ていると、正直に言っていいのか、迷ってしまった。
「……うん」
私が了承したことで、並んで進む。
あちこちから楽しそうな声が聞こえてくる中で、私たちは無言で校門をくぐる。
「倉本と派手にケンカしてたよな」
多賀くんは前置きもなしに、触れてほしくないところに触れてきた。
「……そう、だね」
「大丈夫?」
大丈夫なわけがない。
小河くんと付き合うようになってから、凛花と過ごす時間は減っていたけど、完全に話せなくなったのは、久々だ。
昔、ケンカしたときはすぐに、なにもなかったかのように話していた。
でも、今回はそう簡単に話が進まなくて。
この気まずさを解消するには、私のことを打ち明けなければならない。
それが、難しかった。
「大丈夫なわけ、ないか」
私が応えなかったことで、多賀くんは自己完結してくれた。
「……浅木は?」
「え?」
私の様子を伺うように投げられた質問は、声が小さく聞こえなかった。
「浅木とは、付き合ってるの?」
聞き返さなければよかった。
そう思ったけど、当然、もう遅い。
「いや、ほら、あのとき浅木とどっかに行ってたじゃん? その雰囲気がなんというか、恋人なんじゃ……って思って。俺に言いにくいとかあると思うけど、でもやっぱり、ちゃんと知っておきたいというか」
多賀くんは一気にまくし立てた。
その瞳は私を捉えているようで、見えていないように感じる。
そして勢いに圧倒されて、私は答えられなかった。
それに加えて、また恋愛に結び付けられて、嫌気がさしていた。
「頼むよ、相馬。はっきりと」
「ストップ!」
ただただ困惑していると、背後から、私たちの間に誰かが割り込んできた。
私たちの足は揃って止まる。
「凛花……?」
私は思わぬ人物の登場に驚いて呼ぶけど、凛花は私のほうを見ない。
「多賀くん、気になるのはわかるけど、柚衣の顔、見えてる?」
凛花が言うと、多賀くんはようやく私を見た。
悪いことをしたと思っているのが、その顔を見ればわかる。
「好きならちゃんと、柚衣のこと見てあげて。柚衣を困らせるなら、私は君を許さないからね」
「ごめん、相馬……」
私は首を横に振る。
「……じゃあ、また明日」
そう言って多賀くんが去っていく姿を見て、私は大きく息を吐き出した。
もう、しばらくは多賀くんとは関わらないほうが、お互いのためなのかもしれない。
そんなことを思っていると、凛花がなにも言わずに帰ろうとしているのが視界に入って、私は慌てて引き止めた。
「ま、待って、凛花。あの、話、したい」
凛花が振り向いたことで、やっと見れた凛花の表情。
あの向日葵のような凛花は、どこにもいない。
「家、来る?」
私はぎこちなく頷く。
そして私たちは、無言で凛花の家に向かった。
この数日間、学校ですれ違うことがあっても、お互いに目を逸らしていた。
浅木くんに、このままは嫌だと言っておきながら、結局、浅木くんが言っていたように、理解されなかったらどうしようという恐怖心が、少なからずあったんだと思う。
だから私は、凛花に声をかけたくても、できなかった。
凛花とも浅木くんとも話せず、独りの学校生活。
なにより、ずっと一緒にいた凛花が傍いない日々は、酷く寂しかった。
ううん、それだけじゃない。
凛花に謝れていないこともあって、苦しかった。
今日話すことができれば、私はこの負の感情から解放されるだろうか。
あわよくば、凛花とまた笑いあえたら。
そんな少し自己中心的なことを考えていると、凛花の家に到着した。
「ただいま」
「お邪魔します」
凛花の声に続けて言うと、部屋の奥から足音が聞こえ、女性が現れた。
「なんだ、柚衣ちゃんか。いらっしゃい」
出てきたのは、凛花のお母さん。
「お邪魔します」と返すと、凛花のお母さんは微笑んで、戻っていった。
「……あがって」
凛花に言われて、靴を脱ぐ。
小学生のころから凛花の家には来ているのに、今日はいつになく緊張している。
「飲み物持ってくから、先に部屋に行ってて」
抑揚のない声で言うと、凛花はリビングのほうへ向かった。
私は、階段を上って、凛花の部屋に入る。
いつも整理整頓されていて、オシャレな部屋だという記憶があるそこは、少しだけ荒れていた。
なんとなく、ここが凛花の心の中のような気がして、立ち入ることに躊躇いを感じてしまった。
「入らないの?」
上がってきた凛花に言われ、私は一歩、踏み出した。
だけど、それ以上進むことができない。
一方凛花は、いつものように、ローテーブルに飲み物とお菓子を置いてく。
私の席はここだと示すようにコップが置かれ、私は恐る恐るそこに座った。
「凛花、この前は本当にごめんなさい」
どんなふうに切り出すのが正解なのか、どれだけ悩んでもわからなかった。
だったら、凛花に伝えたいこと、全部正直に伝えよう。
そう、思った。
凛花は静かにコップを手にすると、口をつける。
コトン、という小さな音が、やけに大きく聞こえた。
「……あれが、柚衣の本音でしょ? 私こそごめんね、柚衣が嫌がってるのに気付かないで騒いじゃって」
申し訳ない、というよりは、諦めた、という感じの表情。
もっと、はやく話しに来ればよかった。
凛花は、どれだけ自分のことを責めたのだろう。
どれだけ苦しんだんだろう。
「違う……違うの、凛花……私……」
私は無性愛者で、恋愛感情を抱かないこと。
凛花の惚気話が受け入れられなかったこと。
私の恋の話をされるのが耐えられなかったこと。
そして、誰かと触れ合うことが苦手なこと。
凛花に言えなかったことすべてを、拙い言葉で伝えた。
話し終えたとき、凛花の瞳が揺れ動いていた。
「じゃあ私、知らないでずっと柚衣のこと苦しめてたの……? この前のときだけじゃなくて、好きな人のことではしゃいでるときも、柚衣に触ったときも、ずっとずっと、柚衣に無理させてたってこと?」
違うと言いたかったけど、説得力がなさすぎて、言えなかった。
だから、無言の肯定になってしまった。
なにを言えばいいのか迷っていると、凛花の瞳から一筋の涙が流れた。
「ごめんね、柚衣……私、親友失格だ……柚衣が苦しんでたの、全然気付けなかった……それどころか、柚衣にも幸せになってほしいから、なんて私の価値観を押し付けて、傷つけてたなんて……本当、ごめん……」
凛花の涙、そして言葉で、涙が溢れてしまった。
凛花は寄り添ってくれる人。
それはずっと一緒にいた私が、一番知っている。
それなのに、私は一人で抱え込んで、無意味に凛花を傷つけた。
苦しめた。
「私のほうこそ、ごめん……」
何度目かわからない謝罪の言葉に、凛花が笑い声を零す。
「もう柚衣、泣きすぎだよ」
そう言いながら、凛花は手を伸ばした。
だけど、それは私の頬に触れる前に、不自然に止まった。
「……っと、ごめん、ついクセで」
私が、他人に触られるのが苦手だって言ったのを、思い出したらしい。
私は本当に、凛花に大切に思われている。
それが嬉しくて、涙はまだ溢れるけれど、口角が上がった。
「ありがとう、凛花」
すると、凛花は満面の笑みを見せた。
そこにいたのは、いつもの、向日葵のような凛花だった。
「相馬、一人?」
凛花と話せなくなってから数日経った放課後、一人で帰ろうとしていたら、多賀くんに声をかけられた。
その声を聞いた途端、全身に緊張が走った。
だけど、緊張しているのは私だけではないらしい。
多賀くんの表情が硬い。
お互い、友達になることは簡単ではないみたいだ。
「一緒に帰らない?」
「えっと」
断りたい。
そう思ったのに、多賀くんを見ていると、正直に言っていいのか、迷ってしまった。
「……うん」
私が了承したことで、並んで進む。
あちこちから楽しそうな声が聞こえてくる中で、私たちは無言で校門をくぐる。
「倉本と派手にケンカしてたよな」
多賀くんは前置きもなしに、触れてほしくないところに触れてきた。
「……そう、だね」
「大丈夫?」
大丈夫なわけがない。
小河くんと付き合うようになってから、凛花と過ごす時間は減っていたけど、完全に話せなくなったのは、久々だ。
昔、ケンカしたときはすぐに、なにもなかったかのように話していた。
でも、今回はそう簡単に話が進まなくて。
この気まずさを解消するには、私のことを打ち明けなければならない。
それが、難しかった。
「大丈夫なわけ、ないか」
私が応えなかったことで、多賀くんは自己完結してくれた。
「……浅木は?」
「え?」
私の様子を伺うように投げられた質問は、声が小さく聞こえなかった。
「浅木とは、付き合ってるの?」
聞き返さなければよかった。
そう思ったけど、当然、もう遅い。
「いや、ほら、あのとき浅木とどっかに行ってたじゃん? その雰囲気がなんというか、恋人なんじゃ……って思って。俺に言いにくいとかあると思うけど、でもやっぱり、ちゃんと知っておきたいというか」
多賀くんは一気にまくし立てた。
その瞳は私を捉えているようで、見えていないように感じる。
そして勢いに圧倒されて、私は答えられなかった。
それに加えて、また恋愛に結び付けられて、嫌気がさしていた。
「頼むよ、相馬。はっきりと」
「ストップ!」
ただただ困惑していると、背後から、私たちの間に誰かが割り込んできた。
私たちの足は揃って止まる。
「凛花……?」
私は思わぬ人物の登場に驚いて呼ぶけど、凛花は私のほうを見ない。
「多賀くん、気になるのはわかるけど、柚衣の顔、見えてる?」
凛花が言うと、多賀くんはようやく私を見た。
悪いことをしたと思っているのが、その顔を見ればわかる。
「好きならちゃんと、柚衣のこと見てあげて。柚衣を困らせるなら、私は君を許さないからね」
「ごめん、相馬……」
私は首を横に振る。
「……じゃあ、また明日」
そう言って多賀くんが去っていく姿を見て、私は大きく息を吐き出した。
もう、しばらくは多賀くんとは関わらないほうが、お互いのためなのかもしれない。
そんなことを思っていると、凛花がなにも言わずに帰ろうとしているのが視界に入って、私は慌てて引き止めた。
「ま、待って、凛花。あの、話、したい」
凛花が振り向いたことで、やっと見れた凛花の表情。
あの向日葵のような凛花は、どこにもいない。
「家、来る?」
私はぎこちなく頷く。
そして私たちは、無言で凛花の家に向かった。
この数日間、学校ですれ違うことがあっても、お互いに目を逸らしていた。
浅木くんに、このままは嫌だと言っておきながら、結局、浅木くんが言っていたように、理解されなかったらどうしようという恐怖心が、少なからずあったんだと思う。
だから私は、凛花に声をかけたくても、できなかった。
凛花とも浅木くんとも話せず、独りの学校生活。
なにより、ずっと一緒にいた凛花が傍いない日々は、酷く寂しかった。
ううん、それだけじゃない。
凛花に謝れていないこともあって、苦しかった。
今日話すことができれば、私はこの負の感情から解放されるだろうか。
あわよくば、凛花とまた笑いあえたら。
そんな少し自己中心的なことを考えていると、凛花の家に到着した。
「ただいま」
「お邪魔します」
凛花の声に続けて言うと、部屋の奥から足音が聞こえ、女性が現れた。
「なんだ、柚衣ちゃんか。いらっしゃい」
出てきたのは、凛花のお母さん。
「お邪魔します」と返すと、凛花のお母さんは微笑んで、戻っていった。
「……あがって」
凛花に言われて、靴を脱ぐ。
小学生のころから凛花の家には来ているのに、今日はいつになく緊張している。
「飲み物持ってくから、先に部屋に行ってて」
抑揚のない声で言うと、凛花はリビングのほうへ向かった。
私は、階段を上って、凛花の部屋に入る。
いつも整理整頓されていて、オシャレな部屋だという記憶があるそこは、少しだけ荒れていた。
なんとなく、ここが凛花の心の中のような気がして、立ち入ることに躊躇いを感じてしまった。
「入らないの?」
上がってきた凛花に言われ、私は一歩、踏み出した。
だけど、それ以上進むことができない。
一方凛花は、いつものように、ローテーブルに飲み物とお菓子を置いてく。
私の席はここだと示すようにコップが置かれ、私は恐る恐るそこに座った。
「凛花、この前は本当にごめんなさい」
どんなふうに切り出すのが正解なのか、どれだけ悩んでもわからなかった。
だったら、凛花に伝えたいこと、全部正直に伝えよう。
そう、思った。
凛花は静かにコップを手にすると、口をつける。
コトン、という小さな音が、やけに大きく聞こえた。
「……あれが、柚衣の本音でしょ? 私こそごめんね、柚衣が嫌がってるのに気付かないで騒いじゃって」
申し訳ない、というよりは、諦めた、という感じの表情。
もっと、はやく話しに来ればよかった。
凛花は、どれだけ自分のことを責めたのだろう。
どれだけ苦しんだんだろう。
「違う……違うの、凛花……私……」
私は無性愛者で、恋愛感情を抱かないこと。
凛花の惚気話が受け入れられなかったこと。
私の恋の話をされるのが耐えられなかったこと。
そして、誰かと触れ合うことが苦手なこと。
凛花に言えなかったことすべてを、拙い言葉で伝えた。
話し終えたとき、凛花の瞳が揺れ動いていた。
「じゃあ私、知らないでずっと柚衣のこと苦しめてたの……? この前のときだけじゃなくて、好きな人のことではしゃいでるときも、柚衣に触ったときも、ずっとずっと、柚衣に無理させてたってこと?」
違うと言いたかったけど、説得力がなさすぎて、言えなかった。
だから、無言の肯定になってしまった。
なにを言えばいいのか迷っていると、凛花の瞳から一筋の涙が流れた。
「ごめんね、柚衣……私、親友失格だ……柚衣が苦しんでたの、全然気付けなかった……それどころか、柚衣にも幸せになってほしいから、なんて私の価値観を押し付けて、傷つけてたなんて……本当、ごめん……」
凛花の涙、そして言葉で、涙が溢れてしまった。
凛花は寄り添ってくれる人。
それはずっと一緒にいた私が、一番知っている。
それなのに、私は一人で抱え込んで、無意味に凛花を傷つけた。
苦しめた。
「私のほうこそ、ごめん……」
何度目かわからない謝罪の言葉に、凛花が笑い声を零す。
「もう柚衣、泣きすぎだよ」
そう言いながら、凛花は手を伸ばした。
だけど、それは私の頬に触れる前に、不自然に止まった。
「……っと、ごめん、ついクセで」
私が、他人に触られるのが苦手だって言ったのを、思い出したらしい。
私は本当に、凛花に大切に思われている。
それが嬉しくて、涙はまだ溢れるけれど、口角が上がった。
「ありがとう、凛花」
すると、凛花は満面の笑みを見せた。
そこにいたのは、いつもの、向日葵のような凛花だった。