◆
「浅木くんと付き合ったの?」
翌朝、靴から上履きに履き替えていると、凛花が弾んだ声で聞いてきた。
その目は輝いていて、どんな答えを期待しているのか、明らかだ。
「……なんで?」
どうして聞いてくるのか、なんとなくわかっていながら、そう返してしまった。
凛花はにんまりと笑う。
「昨日、浅木くんと歩いてるところ、見ちゃった」
だよね、と心の中で返す。
凛花が想像しているような甘い時間は一切なかったけれど、遠目で見たくらいでは、わからないだろう。
だから、そう勘違いされるのも無理ないのかもしれない。
「……浅木くんは友達だよ」
「そんな照れないの」
どうやら、凛花は自分が求める答え以外、聞き入れてくれなさそうだ。
もともと恋バナに花を咲かせるタイプだったけど、いつも自分の話がメイン。
こんなに私の恋に興味を持つとは思っていなかった。
少しだけうんざりしながら、教室に向かう。
「柚衣の好きな人って、浅木くんのことだったんだね」
後ろから追いかけてくる凛花は、まったく諦める様子はない。
「だから、違うって」
「えー? だって、柚衣が男の子と二人きり並んで歩くなんて珍しいし、ただならぬ雰囲気だったし、そうしかなくない? そうだ、これでダブルデートが」
「……しつこい!」
私の大声に、凛花は数回瞬きをした。
この前の遮り方とは違う。
完全に、凛花を否定するような、攻撃するような声。
揺れ動く凛花の瞳に、喉の奥が閉まった気がした。
そのせいで、“ごめん”が出てこない。
「柚衣……?」
凛花は震える手で私の左腕に触れた。
それに対して、私は過剰に反応してしまった。
“触らないで”と言えないでいたけれど、これはもう、全身で言ってしまったようなものだ。
手を振り払われた凛花の表情に、どれだけ凛花を傷つけてしまったのか、思い知らされる。
「……勝手に騒いで、ごめんね」
凛花は笑顔にもならない表情を浮かべて、逃げ去っていく。
無意識に引き留めようと伸ばした手は、行先を見失った。
私はただ、小さくなっていく凛花の背中を見つめることしかできなかった。
「随分と派手にやったね」
立ち尽くしていると、背後から声がした。
「浅木くん……」
誰もが、迷惑そうに見ては通り過ぎて行く中で、浅木くんは無関係だという顔をしておきながら、私に近寄ってくる。
「大丈夫?」
ぶっきらぼうに投げられたその言葉は、私の涙腺を刺激した。
今ここで泣いてしまうと、迷惑だ。
そう、ちゃんとわかっているのに、私は彼の質問に涙で応えた。
人目があることはちゃんと理解していたから、声を殺してはいるけど、それでも私が泣いていることは、わかる人にはわかる。
浅木くんの困惑した声が聞こえても、その涙は止まらない。
「……行くよ」
乱暴だけど、優しく腕を引っ張られる。
悪寒が走っているのに、振りほどく気力が残っていなかった。
「この辺でいいか」
一階の渡り廊下まで来ると、浅木くんは手を離した。
ようやく解放されて、私はたった三段しかない階段に座り込んだ。
「待って、顔色悪すぎない?」
「ごめ……私……人に触られるの、苦手で……」
顔を上げられず、瞼を閉じて深呼吸をする。
「……ちょっと待ってて」
浅木くんの足音が離れていったと思えば、自販機の、飲み物が落ちてくる音がした。
「はい、これ」
その声とともに差し出されたのは、水。
「ありがとう……あ、お金」
受け取り、カバンから財布を出そうとすると、浅木くんは「いらないよ」と言いながら、一番近くの鉄柱に背中を預けるように座った。
私に気を使ってくれたのだろうか。
だとすれば、申し訳なさすぎる。
それなのに、ほんの数メートルの距離が、私にはちょうどよかった。
「それにしても……今の様子だと、苦手っていうより、無理って感じだったけど。あれは、僕が触ったからってわけじゃないんだ?」
「え……」
困惑して声を漏らすと、浅木くんは切なそうに微笑んだ。
「僕みたいな奴? 前に、気持ち悪いって言われたことあったなーと思って」
「ち、違う!」
慌てて否定したことで、少しだけ声が大きくなってしまった。
浅木くんは、二、三回ゆっくりと瞬きをした。
「浅木くんだからってわけじゃなくて、誰に対しても、ああなっちゃうの。家族でも……凛花でも」
凛花の名前を出したことで、さっきのやり取りを思い出す。
凛花の、傷ついた顔。
複雑な、作られた笑顔。
私が、凛花を傷つけたんだ。
大切で、大好きな凛花を。
「……なるほど、そういうこと」
頭にこびりついて離れない光景から、自己嫌悪に陥っていると、そんな独り言が聞こえた。
今の流れでなにに納得したのか、さっぱりわからない。
「僕、相馬さんも僕と同じだと思ってたんだ。倉本さんの恋模様を聞いて、顔を顰めてたから」
この前の、図書室で凛花が小河くんの名前を呼んだときのことだろうか。
凛花には気付かれなかったのに、どうしてわかったんだろう。
「あー……ごめん、ほぼ無音の空間で聞こえてきた二人の会話が気になって、影で様子見てた。図書委員って仕事ないときは本当にヒマで、野次馬精神が働いちゃった」
首を振ってみるけど、ちょっとした羞恥心のようなものは消えない。
「あとはあの朝の独り言かな。それを合わせて、相馬さんが倉本さんに対して、そういう感情を抱えてるのかと思ったんだ」
浅木くんは「違ったけど」と言いながら、苦笑する。
そしてゆっくりと視線を落とした。
「……で、そうして苦しんでいる相馬さんが、過去の自分と重なった。こういうのは触れられたくないってわかってるんだけど、でも、相馬さんを見て見ぬふりすると、僕は過去の僕も無視したことになると思った。それは、嫌だったんだ」
ずっと、密かに気になっていた。
いくら偶然が重なったとはいえ、どうしてこんなに、私のことを気にかけてくれるんだろうって。
その謎が解けて、妙に納得している私がいた。
「自分勝手な理由で、相馬さんを困らせてごめんね」
「ううん……浅木くんのおかげで、私は私を見つけることができたから……感謝してる」
「……そっか」
浅木くんのその言葉に応えたのは、予鈴のほうが先だった。
もう、教室に行かなければならない時間らしい。
「どう? 教室、行けそう?」
まだ少しだけ心配の色が残った表情に、笑顔を返す。
「うん、大丈夫」
「じゃあ、教室行こうか」
浅木くんが立ち上がるのに続いて、私も立ち上がった。
浅木くんは先に校舎に入っていく。
後を追うつもりで階段に足をかけると、影で雲が流れていくのがわかり、ふと視線を上げた。
薄暗い雲が、太陽を隠していく。
そのまま、無意識に凛花のいる教室に視線が動いた。
「凛花になんて言おう……」
まだ完璧に気持ちのリセットまではできていなくて、それは自然とこぼれた。
「言わなくていいんじゃない?」
ずっと優しかった浅木くんと同一人物か疑いたくなるくらい、突き放すような言い方だった。
その声色に驚いて浅木くんのほうを見ると、その瞳には光が宿っていないように見えた。
「普通の人は、僕たちみたいな人のことは理解できない。わかってもらおうとしても、いつだって傷つくのは普通じゃない僕たちなんだ。だったら、寄り添う必要なんてないでしょ」
彼は一体、どれだけ傷ついてきたんだろう。
そう思わずにはいられないほどに、憎しみが込められているように感じた。
そして、私にもそんな未来があるのかもしれないと思うと、怖くて仕方ない。
だけど。
「……それでも私は、凛花と話せなくなるのは、嫌。だから、ちゃんと話すよ」
すると、浅木くんは切なそうな笑顔を浮かべた。
「……相馬さんならわかってくれると思ったのに」
浅木くんは私との間にはっきりと境界線を引いて、先に教室に行ってしまった。
「浅木くんと付き合ったの?」
翌朝、靴から上履きに履き替えていると、凛花が弾んだ声で聞いてきた。
その目は輝いていて、どんな答えを期待しているのか、明らかだ。
「……なんで?」
どうして聞いてくるのか、なんとなくわかっていながら、そう返してしまった。
凛花はにんまりと笑う。
「昨日、浅木くんと歩いてるところ、見ちゃった」
だよね、と心の中で返す。
凛花が想像しているような甘い時間は一切なかったけれど、遠目で見たくらいでは、わからないだろう。
だから、そう勘違いされるのも無理ないのかもしれない。
「……浅木くんは友達だよ」
「そんな照れないの」
どうやら、凛花は自分が求める答え以外、聞き入れてくれなさそうだ。
もともと恋バナに花を咲かせるタイプだったけど、いつも自分の話がメイン。
こんなに私の恋に興味を持つとは思っていなかった。
少しだけうんざりしながら、教室に向かう。
「柚衣の好きな人って、浅木くんのことだったんだね」
後ろから追いかけてくる凛花は、まったく諦める様子はない。
「だから、違うって」
「えー? だって、柚衣が男の子と二人きり並んで歩くなんて珍しいし、ただならぬ雰囲気だったし、そうしかなくない? そうだ、これでダブルデートが」
「……しつこい!」
私の大声に、凛花は数回瞬きをした。
この前の遮り方とは違う。
完全に、凛花を否定するような、攻撃するような声。
揺れ動く凛花の瞳に、喉の奥が閉まった気がした。
そのせいで、“ごめん”が出てこない。
「柚衣……?」
凛花は震える手で私の左腕に触れた。
それに対して、私は過剰に反応してしまった。
“触らないで”と言えないでいたけれど、これはもう、全身で言ってしまったようなものだ。
手を振り払われた凛花の表情に、どれだけ凛花を傷つけてしまったのか、思い知らされる。
「……勝手に騒いで、ごめんね」
凛花は笑顔にもならない表情を浮かべて、逃げ去っていく。
無意識に引き留めようと伸ばした手は、行先を見失った。
私はただ、小さくなっていく凛花の背中を見つめることしかできなかった。
「随分と派手にやったね」
立ち尽くしていると、背後から声がした。
「浅木くん……」
誰もが、迷惑そうに見ては通り過ぎて行く中で、浅木くんは無関係だという顔をしておきながら、私に近寄ってくる。
「大丈夫?」
ぶっきらぼうに投げられたその言葉は、私の涙腺を刺激した。
今ここで泣いてしまうと、迷惑だ。
そう、ちゃんとわかっているのに、私は彼の質問に涙で応えた。
人目があることはちゃんと理解していたから、声を殺してはいるけど、それでも私が泣いていることは、わかる人にはわかる。
浅木くんの困惑した声が聞こえても、その涙は止まらない。
「……行くよ」
乱暴だけど、優しく腕を引っ張られる。
悪寒が走っているのに、振りほどく気力が残っていなかった。
「この辺でいいか」
一階の渡り廊下まで来ると、浅木くんは手を離した。
ようやく解放されて、私はたった三段しかない階段に座り込んだ。
「待って、顔色悪すぎない?」
「ごめ……私……人に触られるの、苦手で……」
顔を上げられず、瞼を閉じて深呼吸をする。
「……ちょっと待ってて」
浅木くんの足音が離れていったと思えば、自販機の、飲み物が落ちてくる音がした。
「はい、これ」
その声とともに差し出されたのは、水。
「ありがとう……あ、お金」
受け取り、カバンから財布を出そうとすると、浅木くんは「いらないよ」と言いながら、一番近くの鉄柱に背中を預けるように座った。
私に気を使ってくれたのだろうか。
だとすれば、申し訳なさすぎる。
それなのに、ほんの数メートルの距離が、私にはちょうどよかった。
「それにしても……今の様子だと、苦手っていうより、無理って感じだったけど。あれは、僕が触ったからってわけじゃないんだ?」
「え……」
困惑して声を漏らすと、浅木くんは切なそうに微笑んだ。
「僕みたいな奴? 前に、気持ち悪いって言われたことあったなーと思って」
「ち、違う!」
慌てて否定したことで、少しだけ声が大きくなってしまった。
浅木くんは、二、三回ゆっくりと瞬きをした。
「浅木くんだからってわけじゃなくて、誰に対しても、ああなっちゃうの。家族でも……凛花でも」
凛花の名前を出したことで、さっきのやり取りを思い出す。
凛花の、傷ついた顔。
複雑な、作られた笑顔。
私が、凛花を傷つけたんだ。
大切で、大好きな凛花を。
「……なるほど、そういうこと」
頭にこびりついて離れない光景から、自己嫌悪に陥っていると、そんな独り言が聞こえた。
今の流れでなにに納得したのか、さっぱりわからない。
「僕、相馬さんも僕と同じだと思ってたんだ。倉本さんの恋模様を聞いて、顔を顰めてたから」
この前の、図書室で凛花が小河くんの名前を呼んだときのことだろうか。
凛花には気付かれなかったのに、どうしてわかったんだろう。
「あー……ごめん、ほぼ無音の空間で聞こえてきた二人の会話が気になって、影で様子見てた。図書委員って仕事ないときは本当にヒマで、野次馬精神が働いちゃった」
首を振ってみるけど、ちょっとした羞恥心のようなものは消えない。
「あとはあの朝の独り言かな。それを合わせて、相馬さんが倉本さんに対して、そういう感情を抱えてるのかと思ったんだ」
浅木くんは「違ったけど」と言いながら、苦笑する。
そしてゆっくりと視線を落とした。
「……で、そうして苦しんでいる相馬さんが、過去の自分と重なった。こういうのは触れられたくないってわかってるんだけど、でも、相馬さんを見て見ぬふりすると、僕は過去の僕も無視したことになると思った。それは、嫌だったんだ」
ずっと、密かに気になっていた。
いくら偶然が重なったとはいえ、どうしてこんなに、私のことを気にかけてくれるんだろうって。
その謎が解けて、妙に納得している私がいた。
「自分勝手な理由で、相馬さんを困らせてごめんね」
「ううん……浅木くんのおかげで、私は私を見つけることができたから……感謝してる」
「……そっか」
浅木くんのその言葉に応えたのは、予鈴のほうが先だった。
もう、教室に行かなければならない時間らしい。
「どう? 教室、行けそう?」
まだ少しだけ心配の色が残った表情に、笑顔を返す。
「うん、大丈夫」
「じゃあ、教室行こうか」
浅木くんが立ち上がるのに続いて、私も立ち上がった。
浅木くんは先に校舎に入っていく。
後を追うつもりで階段に足をかけると、影で雲が流れていくのがわかり、ふと視線を上げた。
薄暗い雲が、太陽を隠していく。
そのまま、無意識に凛花のいる教室に視線が動いた。
「凛花になんて言おう……」
まだ完璧に気持ちのリセットまではできていなくて、それは自然とこぼれた。
「言わなくていいんじゃない?」
ずっと優しかった浅木くんと同一人物か疑いたくなるくらい、突き放すような言い方だった。
その声色に驚いて浅木くんのほうを見ると、その瞳には光が宿っていないように見えた。
「普通の人は、僕たちみたいな人のことは理解できない。わかってもらおうとしても、いつだって傷つくのは普通じゃない僕たちなんだ。だったら、寄り添う必要なんてないでしょ」
彼は一体、どれだけ傷ついてきたんだろう。
そう思わずにはいられないほどに、憎しみが込められているように感じた。
そして、私にもそんな未来があるのかもしれないと思うと、怖くて仕方ない。
だけど。
「……それでも私は、凛花と話せなくなるのは、嫌。だから、ちゃんと話すよ」
すると、浅木くんは切なそうな笑顔を浮かべた。
「……相馬さんならわかってくれると思ったのに」
浅木くんは私との間にはっきりと境界線を引いて、先に教室に行ってしまった。