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「おはよう、相馬」

 欠伸をしながら校門前の坂道を登っていると、背後から声をかけられた。

 もう、多賀くんに話しかけられることはないと思っていたから、欠伸が引っ込んだ。

「……おはよう」

 眼が若干赤いことに触れたくなくて、私は見て見ぬふりをする。

 私に合わせられる歩幅。
 なんとも息がしづらい空気感。

 ものすごく、逃げたい。

「あの、さ……昨日のこと、なんだけど」

 多賀くんは静かに、とんでもないことを切り出した。

「え……」

 今、ここで話すの?
 周りに人がいるし、なにより、私は昨日で終わったと思っていたのに。

「俺が頑張っても、意味ない? そう簡単に諦められそうになくて」
「……ごめん」

 何度も断って、平気でいられるわけがなかった。

 思い上がるなと言われればその通りなんだけど、私が断る度に多賀くんを傷つけているような気がして、苦しくて仕方ない。

「……わかった。じゃあ、友達として。これからもよろしく」

 多賀くんは笑顔を作って、先に行ってしまった。

 ごめんね、多賀くん。
 これからも仲良くすることなんて、無理だよ。

 そういう対象になったと知って、今までと同じように接することは、私にはできない。
 そんな、器用な人間じゃないから。

 重たい足取りで進んでいると、私の憂鬱な気持ちを吹き飛ばすように、右肩を叩かれた。

「相変わらずモテるね、柚衣」
「凛花……聞いてたの?」

 凛花はニヤニヤと笑っている。
 その後ろで、小河くんが申し訳なさそうに軽く頭を下げた。

 今はこの二人には会いたくなかったけど、そんなこと、言えるはずもなく。

「聞いたんじゃなくて、聞こえたの。それにしても、多賀くんも柚衣に惚れてたとはね」
「相馬さんは裏表がなくて、親しみやすいからね。相馬さんの笑顔が好きだって奴、結構いるよ」

 …………やめて。

「さすが、私の柚衣。でも、柚衣って全然彼氏作らないよね」

 ……やめて。

「噂で聞いたけど……相馬さん、好きな人がいるって」
「え、そうなの!? ちょっと柚衣、親友に隠しごとは」
「やめて!」

 凛花の言葉を遮る声は、大きすぎた。
 凛花も小河くんも、校舎に入ろうとしている人みんな、驚いて私を見ている。

「……ごめん」

 泣きたい気持ちを堪えて、そう零すと、私は昇降口に駆け込んだ。

 当然、教室に行く気力なんてなく、居場所を求めるように、図書室に向かった。
 ドアを開けようと手をかけたけど、鍵がかかっているようで、ドアは開かない。

 なんだか、世界中に拒絶された気分だ。

 薄暗い廊下に座り込み、体を丸める。
 独りになって、少しずつ冷静になっていった。

 どうして、あんな言い方をしてしまったんだろう。
 凛花はなにも悪くないのに。

 凛花はただ、私の恋に興味を持って、話を広げようとしただけ。

 それに私が過剰に反応してしまった。

 だって、耐えられなかったから。

 多賀くんの告白を断ったばかりで、楽しい空気感でいることが。
 私が誰かと恋人関係になることを望まれていることが。

「私……なんで普通に恋ができないんだろう……」

 そう呟いたと同時に、足音が聞こえた。
 顔を上げると、浅木くんが変なものでも見つけたかのような目をして立っている。

 私は慌てて立ち上がった。

「お、おはよう」

 挨拶をするような仲ではないのに、不審な行動をしていたことを誤魔化したくて、ぎこちなく言う。

「……おはよう」

 浅木くんはどこか棒読みのようだった。

 無愛想だとは思うけど、そんなことはどうでもよくて。

 さっきの独り言、聞こえてたのかな。

「本の返却?」

 尋ねようか考えていると、浅木くんは何事もなかったかのように言い、鍵を開ける。

 よく図書室で見かけるなとは思っていたけど、浅木くんが図書委員だったなんて、知らなかった。

「えっと……」

 私が答えに戸惑っていることなどお構いなしに、浅木くんはドアを開けた。
 
「じゃあ貸し出し?」

 本当は借りたいものなんてないのに、私は頷いた。

 朝の図書室利用は、貸し出しと返却しかできない。
 図書室に入るには、ウソをつくしかなかった。

 浅木くんがそれ以上私に話しかけてくることはなく、カウンターに入り、パソコンを操作している。

 一方、ウソをついた私は、本棚に向かう。

 本を眺めていると、キーボードを叩く音がした。

 独りだと錯覚してしまいそうだけど、ちゃんと浅木くんはこの空間にいるのだと感じた。

 一人だけど、独りじゃない。

 この距離感が、私には心地よかった。

 そして目的もなく本棚を見て回っていると、予鈴が鳴った。
 叶うなら、もう少しだけここにいたかったけど、浅木くんの視線が、それを許してくれなかった。