しまった、と思った。
放課後、二階にある図書室に向かう途中の踊り場。
私の目の前には、緊張しているのか、視線を上げない男子がいる。
彼、多賀くんに呼び止められ、告白されたのは、ほんの数秒前のこと。
『相馬のこと好きだから、付き合ってほしい』
私は、また、やってしまったらしい。
私はときどき距離感を間違えているようで、よくこうして告白をされる。
その度に反省しているはずなのに、また間違えたみたいだ。
物理的距離を取ることは容易だけど、心理的距離を取るのは、案外難しい。
「……ごめん、私、好きな人がいるんだ」
前までは、そんなふうに見たことがない、と断っていたけれど、そう言うとアプローチをされてしまう。
私は誰かと親しくなることは楽しくて好きだけど、私の境界線を越えられるのは、苦手だから。
だから、どうしても近寄られる選択肢は潰しておきたかった。
そして、どちらにせよ傷つけてしまうのなら、私にとって都合のいい断り方をしよう。
そんな最低なことを、私は考えついてしまった。
自分を守るためだから仕方ない。
そう、罪悪感から逃げながら、またウソをつく。
「……そっか。ごめん、急にこんなこと言って」
多賀くんの声は、まだ震えていた。
多賀くんの、緊張から開放されたような、安心したような、悲しそうな、複雑な笑顔に、私が傷つけたのだと実感させられる。
罪悪感に飲み込まれそうになりながら、首を横に振る。
「……じゃあ、また明日」
多賀くんが無理しているのはわかったけど、声をかけられるわけがなかった。
一人になり、私は階段を登っていく。
どうしてみんな、告白できるんだろう。
ううん、どうして、付き合おうなんて思うんだろう。
友人関係の先に進むのは、どうして?
私は……
「……人と触れ合いたくないのに」
図書室のドアに伸びた手を見て呟く。
図書室に入って閉めたドアの音が、私の心のドアが閉じた音にも感じた。
本を返却ボックスに入れると、次の本を探しに、本棚に向かう。
どうして人と触れたくないのか、自分でもわかっていない。
いつからか、人と触れ合うことに嫌悪感を抱くようになっていた。
異性に限らず、友達も、親友も、家族も。
誰に触れられても、妙な緊張感に襲われるようになった。
でも、“触らないで”なんて、言えるわけもなく。
「柚衣」
本棚を眺めていると、小声で名前を呼ばれた。
振り向くと、右頬になにかが当たる。
いや、刺さったと言うべきかもしれない。
「凛花……」
それは、親友の指だった。
よくあるイタズラ。
そうわかっているのに、一気に鳥肌が立った。
「……どうしたの?」
だけど、凛花には悟られないように、そっと凛花の指を下ろす。
凛花は幸せそうに笑うから、気を使いすぎたみたいだ。
「朔くんがね、今日は一緒に帰ろって言ってくれて」
小河朔。
数週間前からの、凛花の恋人。
知らない間に名前を呼ぶほど親しくなったらしい。
私は、その事実が変に受け入れられなかった。
あろうことか、“キモチワルイ”という言葉が頭をよぎった。
親友の幸せそうな姿に、そんなことを思うなんて。
「……わかった」
凛花の顔も見れなくて、本を探す振りをする。
私……人に触れられないだけじゃなくて、恋人関係になることも、受け入れられなかったの……?
その事実に動揺が隠せそうにない。
「柚衣?」
少しだけ視線をずらすと、凛花は不安そうに私を見ている。
「……ん?」
お願い、なにも言わないで。
そう願いを込めて凛花を見る。
すると、それが伝わったのかわからないけど、凛花はにっこりと笑った。
そして私の腕に抱きついた。
凛花の上目遣いは可愛いけれど、正直、それどころではない。
「寂しいんでしょ」
「……違うよ」
凛花の腕から逃げる。
「明日は一緒に帰ろうね」
「はいはい」
適当にあしらったのに、凛花は笑顔だ。
そして手を振って離れるから、私は手を振り返した。
凛花は親友なのに。
嫌だと感じてしまう私が嫌いだ。
目を閉じて気持ちを落ち着かせようとするけど、余計なことを考えてしまうばかり。
凛花に気付かれたかも。
私が、凛花といるのが嫌って思ってるって思われなかなったかな。
凛花に嫌われたらどうしよう。
「……あの」
負のループから抜け出せないでいると、声をかけられた。
そこにいたのは、去年同じクラスだった浅木くん。
いつも教室の隅で誰とも話さず、本を読んでいた印象が強い。
かくいう私も、浅木くんとはほとんど話したことがない。
だから、話しかけられて驚いてしまった。
浅木くんの少し冷たい視線が、私に向けられているような気がした。
「ご、ごめん。邪魔だよね」
彼が本当につもりで声をかけてきたのかは、わからない。
でも、今は誰かと対話する気力もなくて、私はそのまま図書室を後にした。