「ふぅん。ホワイトガーデン・・・・・・」
 横で、芝生上にうつ伏せに寝転びながら頬杖をつく月紫がつぶやく。いつもの場所、いつもの時間──いや、今日は少し早いか。
 季節は夏へ移り変わり、長かった梅雨が明けた。乾いた地面に躊躇いなく体を伸ばせば、開放感が胸を突く。
 今日気づいたこと。どうやら月紫は、御伽話の他に、園芸に興味があるようだ。
 梅雨明け、彼女は園芸の指南書に手を伸ばしていた。今は、小説を読む煌の隣でそれに首っ丈だ。
「ねね、煌さんはこの白い花の色、見分けつくの?」
 こちらに見せてきたページには、白を基調とした庭──ホワイトガーデンの例が見開き一ページ、フルカラーの写真で載っている。花はもちろん、庭に置く石やアーティファクト等も白に揃えるようだ。
「ん? ああ。ほら、こっちの花はちょっと緑だろ。で、これはピンクっぽい・・・・・・って、わかんねえよな」
「そうなんだよね・・・・・・ウサギだから。いいなぁ、煌さん」
 微笑みながら、月紫は少し残念そうな、拗ねたような顔をしている。
 元の動物の視野が完全に反映されるわけではないが、色彩感覚の優劣や、視野の狭い広いは関わってくる。例えば、金烏──カラスは色彩感覚に優れる、とか、ウサギは少し弱い、とか。
「私なんか、ウサギ姿でここ行ったら埋もれちゃいそう・・・・・・かくれんぼとか有利じゃない?」
「残念ながら、俺は一瞬でわかる」
 言い切ることができるのは、彼女の毛色が本当に目立つからだ。混じり気のない、純白が。
 仮にこれが、少しでもオフホワイトであれば、先ほどの言葉にたぶん、おそらく、という副詞が入っていた。
「えー、つまんないですって。手加減してよ煌さん」
 その口振りは拗ねさせてそう言いながらも、浮かぶ彼女の笑みは柔らかい。
 口調は前よりもずっと砕けているが、未だに呼び名は煌“さん”のまま固定だった。それを少し、寂しく思うくらいには、煌の気持ちは、
 気持ちは──。
「っそういえば、月紫、帰るのか? 今回」
「あー、どうしようかなぁ。そっか、そんな時期か」
 高い位置から鋭く燃えるような光を振り撒く太陽を見上げて、その赤っぽい瞳をすがめる。
 そして、ふと視線をこちらへ落とした。
「たぶん帰るんじゃないかな。煌さんどうします?」
 あと数日で夏休み、実家へ帰る人もいれば帰らない人もいる。それは個人の判断次第だ。
 今日は夏休み前の短縮授業ということもあり、今は授業終了直後にも関わらずまだ正午を過ぎた頃だ。同じクラスからさりげなく目配せをし合って、今から食堂へ行こうか、その前に図書館に寄ろうかとふらふらと人の少ない木の下へ寄ってきたのだった。
 たまたま混み合う食堂の前で出会えたのだ。煌は毎日食堂利用者だが、月紫はこれまで寮内で食事を済ませることも多かったため、かなり低確率の偶然と言える。
「よかった、俺も帰るつもりだったから」
 今回は、人間界には行かないつもりだ。どうやら二夏が旅行に行く予定があるらしく、カフェには寄れないので。
 月紫をちらりと見て、いたずらっぽく笑う。
「しばらくかぐや姫はお預けだな?」
「うあーほんとですね? あ、でも大丈夫、一冊実家にあるから!」
「あっ、あるんだ、やっぱり」
 さすがというかなんというか・・・・・・。
「そう。いつだっけ・・・・・・ちっちゃいときに誕生日プレゼントでもらって」
「誕生日・・・・・・そういや、月紫っていつ誕生日?」
「え? 明日ですよ?」
「明日っ?」
 急すぎる。何気なくそんなとんでもないことを言うが、聞いてしまった煌からすればプレゼントを一日で探すのは不可能なので焦りが浮かぶ。
「誕プレどうしようとか考えてます? いらないですよ、面倒なんで。だって、煌さんの誕生日に返さないといけなくなるじゃないですか」
 察しのいい彼女は笑ってそう言った。急に粗雑な物言いになったから、本心ではないんだろうとは思うが。
 来年こそは、と決意しつつ申し訳ないと頭を下げる。
「そう、か。悪ぃな」
「いーんです。ん〜、でも今は妹たちのものになってるかもな、絵本」
「妹いるんだ」
「二人、いる。春休み以来だな〜会うの。煌さんは妹さんとかいるんですか? あ、違う、弟さんか」
 玉兎は女家系、金烏は男家系。そのことをふと思い出した月紫が訂正を加える。
「あ、俺も一応妹はいるよ。うん。──あとは兄が一人かな。今はたぶん故郷でなんかしてる」
「えっ、妹なの? めずらしっ」
「そうだな。まあ、女性がいないわけじゃないからな」
「あ、それはそう」
 月紫がはっと気づいたようになって、ふむふむと数度うなずく。玉兎の方も、きっと女性の比率が少々高いだけで、男性がいないわけではないのだ。
 ただ彩羽学園には、極端に女性の金烏と男性の玉兎は少なかった。だからやっぱり、月紫も感覚がそちらへと引っ張られてしまうのだろう。
「なまじ私たちって全体的に顔面偏差値高いばっかりに、少ない男性取り合うよね〜。全員普通に顔いいから。皆やっぱり故郷から出たくないからさ。玉兎の郷で人生完結が憧れ、みたいな。取り合い取り合い。煌さんとこ、そんなんないです?」
「ん〜・・・・・・なかったことも、ないんじゃないか?」
 確かに女子の取り合いはあったが、正直あんまり展開のしにくい話だった。懐かしそうな表情の月紫に、上の空で返してしまう。
 乾いた青空を見上げれば、ゆったりとした風が吹き抜けていった。
「煌さん、ってこういう話苦手だよね?」
「え? そう見える?」
 はっと彼女に視線をやる。
「うん。なんか、すいーって目が逸れていく。わかりやすく」
「・・・・・・自覚なかった。確かにそうかも」
 よく考えれば、今彼女に視線を戻したということは、先ほどまでは逸れていたということで。
「わかりやすいよ? なんか昔、恋愛関連であったんです? 私でもわかる」
「月紫は結構人見てるからな〜、私でもってのは信憑性がないけど」
「え、私が? えーっ、そんなことないと思うけどな?」
 月紫は本当に心当たりがないようで、不思議そうな顔をして自分の記憶を探っているようだった。
「そんなことないことない。だってほら──そうだな、例えばお前が俺を煌さま、って呼んだとき」
 少し考え込んで、再び口を開け、そう言葉を紡ぐ。月紫はまだピンと来ないのか、うーんと怪訝そうな顔だ。
「俺がそれ嫌がったの、ピンポイントで当てたろ。そういうとこ」
「それは、・・・・・・煌さんの顔見て、なんとなく察しがついたから」
 先ほどの自身の発言と矛盾するような言葉を言ってしまったことに気づいて、バツの悪そうな顔をする。
「うーん」
「そういうとこだって。ほら信憑性落ちた」
「そうなの、かなぁ。まあ、確かに、人の気持ちには敏感なのかも? え、もしかしたら私、人間観察得意なのかな。天才かも」
「じゃ、俺が今なに食べたいか当てれる?」
「ちょっと待ってね、見るから。・・・・・・むむむむ」
 まるで人の心を映す水晶を覗き込むかのように、神妙な顔で眉間に皺を寄せ、こちらをじっと見ている。
「えー・・・・・・山菜の天ぷら! ワラビ!」
「残念、俺は今大量にマヨネーズのかかったソース焼きそばが食べたい」
 ぱたん、と広げていた小説を閉じる。
「えっ細かっ」
 当てさせる気なかったよね、と月紫が非難の眼差しを向けてくる。
 いや、結構月紫も限定してたけどな? 山菜の天ぷら、しかもワラビって。
「じゃ、食堂行くかー」
 空腹を訴える腹を抱え歩き出す。青々とした芝生を踏む足音が二つ。昼食どきの、静かなテラスに響いた。
「でも私、わかることあるよ? 煌さんが今、してほしいこと」
「お。聞かせてもらおうか」
 図書館に入る手前、ガラス張りのドアの前で立ち止まる。月紫の方に向き直ると、彼女は微笑みをふっと消して、うつむいた。
 なにごとかと聞くより前に、月紫が息を吸ったから、中途に開いた口を再び閉じ、そして同時にぱっと彼女が顔を上げた。
「──煌」
 ほんのりとその白い肌が、紅潮している。
「っああ、人の呼び方変えるのって慣れないね? 煌、だって。舌がおかしくなったみたい」
 すぐに月紫は、にぱっと笑顔を戻して、歩き出した。煌はついその場に立ち尽くしてしまいその背中を見送りかけて、慌てて追いかける。
「合ってた? 毎回煌さんって呼ぶたびにちょっと悲しそうなんですもん。敬語使ったときとか。敬語はクセなんで許してほしいんですけど」
 振り向かないまま、月紫は口を動かし続ける。
「んー・・・・・・ちょっと外れ」
 ようやく彼女の隣に並んで、前を向いたまま返す。煌も少し、照れくさい。
 二人の間に明確な形があるわけじゃない。だけど、確かに少しずつ、互いに近づいている。
「えー、自信あったんだけどね?」
「今、してほしいことっていうか・・・・・・ずっとしてほしかったことだったから」
 平静を装うけど、その語尾は少し震えた。
「・・・・・・それなにが違うんです?」
「えー、それはさ、現在形か現在完了形の違いみたいな・・・・・・ん〜」
 冷房の効いた図書館内に入って、読書に勤しむ生徒を見受けた二人は、声をワントーン落とす。
「現在形だと習慣も表しますけど。あ、変わることのない真理?」
 照れ隠しか、月紫の口調が敬語に戻った。手早く図書館を抜け、食堂へ向かう。お互い何故だか、少し早足で。
「・・・・・・ああ言えばこう言う・・・・・・もういいだろ。俺はマヨネーズたっぷりのソース焼きそばが食べたいんだから」
 ため息をこぼして、スピードを落とす。月紫はそんな煌を見て微笑んだ。
「ふふ、私もワラビの天ぷら食べたいんで。じゃ・・・・・・行きましょう。煌」