「わたし、全部知ったの。前世のことも、月にいたころの、セキのことも」
『月下大社』への道中、ツキモノに囲まれながら、呉羽は言った。
 呉羽の告白に、セキは目を大きく見開いた。しかし、すぐに無表情に戻って、「そうですか」と言った。
「それを知って、呉羽さんはどう思いましたか?」
「何をって……」呉羽は少し面食らった後、少しだけ笑って、
「……セキは、長い間、ずっとわたしを待っててくれたんだなあ……って思ったの」
 と答えた。
「……」セキは、黙ったままうつむく。何か思うことがあるのだろうと、呉羽はセキに、しばしの沈黙を贈った後、「ねえ、一体何年、わたしを待ってたの?」と訊いた。
「二千年ぐらいですかね。前世であなたが死んだ後、すぐに地上に降りて来たので、間違いないと思いますよ」
「に、二千年……」呉羽は驚きのあまり言葉が詰まる。「わかっていたけど、途方もないね」
「まあ、『有夜の民』からすれば、そう感じるでしょうね」
 あっけらかんとセキは言うが、その間に彼は、相当な苦労を重ねてきたのだろうと思う。帝都での迫害と、前世の記憶が、それを証明している。
「そういえば、なんで巫女王に会いに行くの? いまいちぴんとこないんだけど」
「……都の『永夜の民』の永遠が、巫女王の神力のおこぼれなのは、わかっていますよね?」
「うん、それは知ってる」呉羽は答えた。これで聞くのは三回目だ。
「ツキモノになる。それは、『永夜の民』がもつ神力が消失し、代わりに、忘れ去られていた感情を思い出すということなんです。つまり、他人を『永夜の民』にすればするほど、自身のツキモノ化を進めることになるんです」
「それが、どうつながってくるの?」
 呉羽の問いに、セキは「ふむ……」と考え込むようなしぐさをする。次いで、「やはり、面倒ですが、これも話さなければなりませんかね」とつぶやく。
「これって?」呉羽が再び問うと、セキは「前世の記憶で、私が虐げられていたのを見たでしょう」と逆に質問を投げかけてきた。
「え、ええ。たしか、巫女王からの予言でって……」
 これは、例の老人が話してくれたお話だ。あの老人ももう、ツキモノになってしまったのだろうが。
「私が、災いを呼ぶと言われていた理由。それは、私自身もまた、『月の女神』が直接永遠にした人間だからです」



 ツキモノの巣窟となっていた市を抜け、『月下大社』の境内へと入る。境内に入っても、やはりツキモノの巣窟であることには変わりなかった。そこらかしこにツキモノがはびこり、声にもならない音を上げながら、ずるずると這いずり回っている。
「はあ、ひどい有様ですね。というか、もう手遅れでしょうか」
 たしかに、もしかしたらもう、巫女王もツキモノになっているのかもしれない。そう思わせるには、十分すぎる状況だった。
「い、行ってみないことにはわからないよ! それに、逆に考えれば、警備も薄くなってて、入りやすいはずだよ!」
「はあ、そういうものですかねえ」セキは、半分呆れた様子でつぶやく。「まあ、そう思うことにしましょう。こういうのは気持ちですもんね」
「うんうん、その意気だよ!」呉羽は両腕を振って、興奮気味に答える。ふたりは、本殿の前まで来る。この奥に、巫女王がいるはずだ。入る直前、呉羽は、「ねえ、入る前に、ふたつ訊いていい?」とセキに言った。
「はい、なんでしょう」と、決まり文句のように言った。
「まず、なんで巫女王は、セキを災いを呼ぶ存在だって言ったの? 同じ『永夜の民』で、仲間のはずなのに」
「単純な話です。巫女王は傲慢で、自分が一番だと思っているのです。そんな巫女王からすれば、同じ〝特権〟を持った私は、邪魔でしかないんですよ。私がいる限り、真の一番ではないと」
「特権?」
「はい。人間を『永夜の民』にできるのは、『月の女神』から、直接永遠にしてもらえた者だけです。つまり、私と巫女王だけが、その特権を持っていることになります」
「へえ……」もう何がなんだか分からないが、要は、自分よりも優れた存在を許せない巫女王が、同じく『月の女神』に永遠にしてもらったセキに嫉妬した、ということだろうか。なんてわがままな人なのだろうか、巫女王という人物は。
「じゃあ、もうひとつね」呉羽は、セキの目を見る。もう、目まで浸食されそうだ。「巫女王に会ったら、セキは助かるの? そもそも、なんで巫女王に会うの?」
 セキは、無言のまま少し微笑んで、呉羽を抱き寄せる。セキを蝕む靄は、彼の左頬まで侵食していた。
「大丈夫です。なのでいまは、巫女王に会うことだけを考えましょう」
 安心させるように、セキは優しく言った。
 しかしそれは、巫女王に会ったところで、セキのツキモノ化が止まることはないということを、自白しているようなものだった。
 ふたりは、ゆっくりとその戸を開く。不思議なことに、扉の先に、ツキモノの姿は無かった。静かな闇が、延々と広がっている。奥の方に、小さな明かりが、ぽつりと見えた。垂れ下がった御簾には、女性らしき影が映っている。おそらく、あれが巫女王だ。
「……行きましょう」
「うん」
 ふたりはゆっくりと、御簾の方まで、歩みを進める。その間、影はうなり声のようなものを上げ、ぐねぐねと動いている。あれが本当に人なのかも怪しい。だが、実体を持たないツキモノに、影ができるわけはないので、少なくとも、人の形はしているだろう。
 御簾の前にたどり着いたとき、女性は呉羽たちに気づいたのか、動きを止めた。そして、ゆっくりと、御簾から這い出てきた。
 影の正体は、やはり女性だった。『月下祭』の日と同じ衣装を身にまとっているが、髪は振り乱され、ぼろぼろになっていた。そして、身体のいたるところが、靄となって、室内の闇に溶けていた。女性のツキモノ化は、セキよりも深刻であった。
 巫女王。永夜の都を支配していた女性。
「……久しぶりですね、巫女王。いえ——」
 セキは、軽蔑と憐れみを込めた瞳で、巫女王を睨みつける。
「——『悪星の変』の元凶、星羅内親王(せいらないしんのう)
 星羅内親王と呼ばれた巫女王は、太陽も凍るような笑みで、微笑んだ。
「……『有夜の民』を連れてきてくれたのか、いまだけは感謝するぞ、わたくしの地位を脅かす忌み子よ」