『悪星の変』の後、前王朝の王族は、多くの者が処刑された。
 老若男女問わず、まだ目も開かぬような赤子まで、草の根をかき分けてまで探し出し、ことごとく処刑していった。革命が起これば、その子孫までが根絶やしにされるのは、世の常ではあるが、尋常ではない迫害に、周りの人間は目を背けるほどだった。
 しかし、そんな中でも生き残ったのが、七星(ななせ)という名の少女の一族だった。一族、とは言ったものの、七星には双子の兄と母がいただけで、それ以外の家族なんていなかった。その上、母は兄妹がまだ幼い時に殺されてしまった。
 そんなふたりは、王族であるということがばれないように、隠れていた。
 しかし、幼いふたりには限界があった。
 ある日、ふたりはついに兵に見つかってしまったのだ。誰が密告したのかなんてわからない。薄汚い子どもを不快に思った人間が、適当な理由をつけて密告したのかもしれない。
 ふたりは隠れ家まで逃げていた。七星の兄は、七星に自らの服を着せた。
「いいか、おれが戻ってくるまで、絶対にここから離れるんじゃないぞ。声も出すんじゃない。すぐに戻ってくるからな」
 最後に七星を強く抱きしめ、兄は隠れ家の外へと駆け出した。それからしばらくして、兵士たちの声が聞こえ、大きな足音も聞こえてくる。
 そして、兄の悲鳴が聞こえてきた。兄の悲鳴、何かで体を打つ音、兵士たちの怒号。それらすべてに恐怖心を煽られ、七星はただ、耳をふさいで、声を殺して泣くことしかできなかった。その日は、そのまま動くことができず、深夜になってようやく腰を上げ、外へと這い出た。
 その後はもう、何も考えずに歩き続けた。
 兄がむかしくれた扇を片手に、歩き続けた。
 兄がどうなったのか。それが分からぬほど、七星は馬鹿ではなかった。
 怖くて、刑場には行けなかった。
 兄の首がさらされているのかと思うと、それだけで足がすくんだ。
 しばらく歩いて、歩いて、歩いて……。
 最後、綺麗な泉にたどり着いたところで、七星は意識を手放した。

 
 気づいたとき、七星は知らない家にいた。暖かな布団の中で、横になっていた。
 七星が起きだしたところで、家主らしき青年が、びくりと体を震わせ、警戒するように七星を見た。
「よ、よかったです。その、倒れていたんです。いやかも、しれませんが……しばらくは辛抱してください」
 七星は、青年がそんなことを言う理由が分からず、首をかしげる。
「いやじゃないよ。むしろ、助けてくれてありがとう」
 そう言うと、青年は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして、固まっていた。
 それからしばらくたち、ふたりは親友になった。
 兄を喪った七星は、孤独だった。しかし、青年もまた、孤独だった。
 災いを呼ぶ存在として、仲間からも毎日のように迫害されてきた。そう語る彼の瞳は、とても悲しげだったが、無表情で、真意を読み取ることはできなかった。
 状況は違えど、孤独な者同士、ふたりは意気投合したのだ。
 しかし、ふたりには決定的な違いがあった。
 七星は、その優しい声と笑顔で、すべての人に愛されるようになった。しかし、青年はいつだってのけ者扱いで、誰も仲良くしてくれない。話しかけることすらしてくれない。ひどい時は、打擲されたこともあった。
 そんな環境で生きて来たからなのか、彼はよく、「生きていてごめんなさい」と言っていた。
「どうせ、僕なんて、あなたの引き立て役でしょう?」
 ある日、青年が、そんなことを言った。そんなことを言われて、七星は驚きを隠せなかった。
「……どういうこと?」
 しぼりだすように、七星はそれだけ訊いた。
「あなたは、僕なんかといなくても、誰かに愛してもらえるでしょう? なのに、こんな僕にまで優しくしてくれるだなんて……そんなの、僕を引き立て役だと思っているからに違いないって……」
「……違うよ」
 その言葉を無視して、青年は、いまにも泣きだしそうな顔をして、
「でも、それでもいいんです。引き立て役でも、なんでもいい。僕はずっと、あなたと一緒に居たいんです」
 と、卑屈な言葉を吐く。
 そしてまた、繰り返すのだ、「……生きていて、ごめんなさい」と。
 そんな彼を、優しく腕の中に抱く。青年は、驚いたように固まる。
「わたし、あなたのことが大切だよ」
「あなたは、この世界で、誰よりも素敵な人だよ」
 その言葉に、青年は堰を切ったように泣き始めた。
 いままで流せなかった涙を、ここで流しきるように。
 これまでの辛かった想いを、吐き出すように。
 七星も、彼の背中をさすりながら、泣き止むのをずっと待っていた。
 泣き止んだ後、青年は不意に、こんなことを訊いてきた。
 「ねえ、もし永遠になれるのなら、君は、永遠を選ぶ?」
 そんなことを、隣で横になっていた青年は問う。彼の青い目は、赤く腫れていた。
 その問いの返事に、七星は困ってしまった。そんな資格がないと思ったからだ。兄を見捨て、その上、国が血眼になって探している、前王朝の王族の末裔なのだから。
「わたしは、罪を犯したから」
 かろうじて、それだけ言えた。
「私は、何年先でも、何十年先でも……いえ、何億年先でも、何十億年も、あなたと一緒にいたいです」
 青年は言う。「このまま、この時が永遠になればいいのに」とも言った。
「それは無理だよ。だって、みんないつか死ぬもの。わたしも、あなたも」
 そう答えると、青年は悲しそうな顔をして「そう、なんですかね」とつぶやいた。
 その顔が、あまりにも辛そうだったので、胸が苦しくなった。
 その後も、ふたりで寝ころんだまま、空を見続けた。

 それからしばらくたったある日、兄の墓参りをしていた時、七星は何者かに襲われた。
 何にやられたのかは分からない。だが、後ろから何かで切られたことだけは分かった。
 ほとんど意識が絶え絶えの時、青年が七星のところに走ってきているのが分かったが、もう声すら出せなかった。
 ——いやだなあ、死にたくないなあ……まだ言いたいこと、あったのになあ……やだ、死にたく、ないよ。
 そんなことを考えているうちに、七星の意識は、深い深い泥の底に沈んでいった。
 最後に聞こえたのは、青年の泣き叫ぶ声だった。

 この話に、呉羽は見覚えがあった。『月下祭』の日、老人が話してくれたあの物語だ。孤独な『永夜の民』と、ひとりの少女の物語。
 あの青年。
 赤い髪。純粋そうな青い瞳。細身の体。
 間違いない。
「——セキ?」
 見間違うはずがない。あれはセキだった。
 ——わたしは、セキと出会っていた?
 わからない。わからない。わからない……。
「わたしは……呉羽? それとも——」
 ——七星?


「……わかったか? 呉羽」
 すべてを知った後、慈鳥は呉羽に訊ねてきた。その瞳は黒々とした光と、侠気は秘めていた。
 まだ頭の中が整理できていない。混乱する頭で、枯葉はなんとか言葉を搾りだす。
「……わたしは、『呉羽』? それとも、『七星』?」
「どっちもだ。どっちも本当のお前だ。それを否定することはできねえよ。だってふたりは、同じ魂を持っているんだからな」
「……」
 同じ魂を持っている。それはつまり……。
 ——わたしは、むかし、七星だった?
 記憶はない。だが、慈鳥の言葉からは、そのような真実が読み取れた。
 呉羽が、かつて、『七星』だったのなら、セキの言葉にも納得がいく。都に行く前、セキは『また私を、置いていかないで』と言った。彼の言う〝置いていく〟は〝自分を残して死ぬ〟という事だったのだろう。
「ねえ、慈鳥」
「なんだ?」
「セキは……わたしが『七星』の生まれ変わりだってことを、知ってたの? だとしたら、わたしは……」
 ——『七星』の代わりだったということ?
 そんな不安が、呉羽の中に起こるが、慈鳥は、「それに関しちゃ杞憂だ」と言う。
「たしかに、お前は『七星』と同じ魂を持っているが、いくら同じでも、お前は真の『七星』ではない。矛盾しているように思うが、これが真実だ。だから、お前が『七星』でも『呉羽』でも、大きな問題にはなりゃしねえよ」
 その時、呉羽の目には、慈鳥が、少年のように映る。黒い髪を高く結い上げ、大きな瞳に、意志の強そうな眉をもつ、小柄だが、勇ましい少年。その出で立ちは、まさに烏だ。
「信じてやればいいさ、お前を呪った相手をな」
 呉羽を呪った相手。彼はいま、どこにいるのだろう。あの場所で、まだ待っているのだろうか。
「……」
 呉羽は黙ったまま、泉の水を眺める。不可思議な色合いの水面に、満たされた月が、ありありと映し出されていた。