呉羽は、困惑した。その場にいた全員が、言葉を失っていた。
「は、春ちゃん、みんながツキモノになったってどういうこと? そもそも、どうやってここまで来たの?」
「呉羽ちゃんがいなくなったって、博士さんから聞いて……あたし、いてもたってもいられなくなっちゃって、都を飛び出したの」
 そして、帝都までたどり着いた、ということか。
「わかんないんだけどね、あたし、呉羽ちゃんがいなくなったって知って、すっごく心配で……黙ってられなくなっちゃって、それで都を飛び出したの」
 とめどなく溢れる涙を拭いながら、春は訴える。呉羽は、着物が汚れるのも気にせず、春を抱きしめた。自分のために、こんなにぼろぼろになった春に、呉羽はただ、感謝したかった。『永夜の民』である春は、きっと都の外を恐れていたはずだ。だが、それでも春は、呉羽のために、帝都まで来てくれた。その事実が、とてもうれしかった。きょうだいのいない呉羽にとって、やはり春は、本当の妹のように、大切な存在なのだ。
「……呉羽ちゃん、あたしね、呉羽ちゃんが大好き」
 呉羽にだけ聞こえるように、春はつぶやく。呉羽は目を細め、その背中を何度も撫でる。
「……あたし」
 その瞬間、春の瞳に、美しい光が溢れ出す。そして、花がその花弁を広げるように、その顔に、暖かな表情が現れる。
「呉羽ちゃんを、ううん、〝呉羽お姉ちゃん〟を——愛してる」



 風呂で体の汚れを洗い流し、髪を整えた後、春は桃色の無地の着物に袖を通して、部屋に現れた。身なりを整えた春は、見違えるほど美しくなっていた。元の顔立ちと、美しい着物によって、いまの春は、まさに絶世の美少女である。
「うわ、別嬪さんやん。呉羽ちゃんと並んでも見劣りせんわ」と言ったのはリョクである。そのそばで、黒曜が苦そうな顔をしている。こんな状況で、呑気なことを言うな、とでも言いたそうな顔である。
「まず、都にいた『永夜の民』が、みんなツキモノになったというのは、一体どういう事でしょうか」と、セキが話を切りだす。
「そのままだよ。でも、あたしが都を出たときは、まだみんなってわけじゃなかった。でも、あたしの近所に住んでいる人たちは、みんな、ツキモノになって……!」
 辛そうにする春の背中を、呉羽はさする。落ち着いたのか、春は説明を再開する。
「それで、呉羽ちゃんたちが心配になって、あの屋敷に行ったの。そしたら、博士さんが、『呉羽は一昨日、この都を出た』って教えてくれたの。そこからは、さっき話したでしょ? 走って走って、気づいたらここにたどり着いてたの」
「ほんで、うちに運良く拾ってもらえたと」リョクが、わざとらしく身を震わせる。「いや、うちが言えたことやないけど、『永夜の民』って、やっぱ怖いわ。死なんから。なんでもしてまうんやなって」
「……リョクの話は置いておいて、お前は、呉羽が『有夜の民』であることを知っているんだろう? なら、何が心配で、屋敷へ行った? もし心配なら、なぜその日のうちに行かなかったのだ?」
 黒曜がまくしたてるように訊いても、春は動じない。本当に強い子である。
「博士さんは、『永夜の民』だから、もしツキモノになってたら、呉羽ちゃんはどうなっちゃうんだろうって思ったの。呉羽ちゃんにとって、博士さんは大切な人だから」
「ほう」
「すぐに行けなかったのは、最初の日は、ととたちが一緒にいろって言ったから、行けなかったの。次の日は……みんながツキモノになり始めてた。だから、『月下大社』にお祈りしに行ってたの」
 だが、その効果もむなしく、増えたツキモノの気に触れ、春の両親を含む多くの人々が、ツキモノになっていったという。呉羽は、あの日見た光景を思い出す。ツキモノに触れられた少年は、最後は穏やかな表情をしていた。
 だがそれは、救いではない。
「……やはり、私の予想は正しかったのですね」
 セキは、ゆっくりと立ち上がり、窓際に腰かける。外の景色を、どこか愁いを帯びた瞳で見る。
「都の『永夜の民』がツキモノになり始めた理由……それは、巫女王がツキモノになりかけているからでしょうね」
 その場の空気が、ぴんと張り詰める。玉兎であるふたりも、表情をこわばらせている。
「巫女王様が……? な、なんでわかるの?」
 春が、震える声で問う。
「あなた達に永遠を与えた姫君——つまり、『永夜の民』の始祖が、あなたたちの言う巫女王だからですよ」
 さらりと答えるセキに、呉羽は心のどこかでは納得していた。あの時見た巫女王の、他の『永夜の民』から一線を画すような気配。あれが、『永夜の民』の始祖だと言われれば、納得がいくのだ。
「あなたたちの永遠は、巫女王の神力のおこぼれです。そんな彼女がツキモノになれば、遅かれ早かれ、ほとんどの『永夜の民』がツキモノになるのは必然でしょう」
「……つまり、どうにもならないってこと? もうみんな、ツキモノになるしかないってこと?」
「そういうことです。そもそも、普通の人間が、永遠に生きること自体がおかしいんですよ。つまり、『永夜の民』のとって、ツキモノになるということは、〝与えられた永遠の代償を払う〟ということなんですよ」
 セキは、淡々と語った。次いで、「『月の女神』も、一体何を考えたのやら」とぼやく。
「人間に勝手に永遠を与えておいて、その上代償まで支払わせるなんて……とんだ迷惑者です」
 たしかに、セキの話だけを聞くと、そう思わざるを得ない。だが、『月の女神』の本心が分からない以上、とやかく言うのは無礼なことだと、呉羽は思った。
 なので、否定も肯定もせず、ただ黙って聞いていた。
「……うちもさ、ながーいこと生きてきたけどなあ、たしかにツキモノになるんは不本意やな」
 リョクは唇を尖らせ、少しぼやいた。「別にうちは、望んで永遠になったわけやないし」
「くふふ、あなたは純粋な『永夜の民』ではないので、大丈夫だと思いますがね。ですが、他の皆さんが、危ないのは事実です」
 セキがそう語る中、呉羽は、頭の中で、一つの疑問が浮かび上がった。
 ——どうして、あのツキモノは消えたんだろう。
 帝都で暴れていたあのツキモノは、間違いなく消えた。
 ——死んだ、ってことなの?
 それ以外に、形容の仕方があるのだろうか。ツキモノは死なない。だが、あれは、間違いなく〝死〟だった。
「……」
 その瞬間、呉羽の胸中に、灯がともったような気がした。その灯は次第に大きくなり、呉羽の心を覆いつくした。



 夜、月が高く昇るころ、呉羽は起きだして、着替えを始める。今宵は、満月だ。
 呉羽は、衣桁にかけていた単衣に手を伸ばす。これは、ついこの前、華世に譲ってもらった、あの桜色と、空色が境界線でうまく溶け合った、四季草花の柄があしらわれた着物だ。それに行燈袴を穿き、髪を櫛で()かす。
 そして、姿見の前で、その姿を確認する。侠気を秘めた瞳を持つ少女が、そこには立っていた。
 ——わたしは、行かなきゃいけない。
 呉羽は、机の上に書置きを残し、部屋をゆっくりと抜け出す。皆寝静まっているので、屋敷は、幽鬼がいるのかと錯覚するほど、静まり返っていた。
 呉羽は玄関で編み上げブーツを履き、そっと戸を開ける。その瞬間、冷たい風と共に、呉羽の視界に入ったのは、
「おや、早かったですね」
 そう言って微笑む、セキだった。
「ええ、なんでこんなところに……?」
「なんでって……あなたと永夜の都に行くために決まっているじゃないですか」
「……え?」呉羽は、ぽかんとした。「な、なんでそれを……」
「この屋敷の人は、あなたの行動を読めないほど馬鹿ではないということですよ」
 冗談っぽく笑った後、セキは呉羽に歩み寄り、その手を取った。思わず、それに身じろぎした。怒られると思ったからだ。勝手に屋敷を抜け出そうとして、その上単独で都に戻ろうとして……。そんな呉羽を安心させるように、セキは取った手を、優しく包み込む。
「……私、言いましたよね。『死ぬまでずっと一緒にいてください』って」
 包み込んでいた手を、あの日のように、セキは自身の頬にこすりつける。呉羽は、胸が痺れたような感覚になった。
「だから……〝また〟私を、置いていかないでください」
 ——また?
 まるで、一度置いていったような言い方だ。そんなこと、あっただろうか。呉羽は、記憶をたどるが、そんな記憶は一度だってない。——そのはず、なのに。
 なぜか、胸が張り裂けそうなほど苦しい。セキの悲しみを考えるだけで、それを追体験するように、呉羽もまた、悲しくなる。まるで、鏡のようだ。セキが悲しむなら、呉羽だって苦しいのだ。
 ——わたしは、やっぱりセキに呪われている。
「……うん、大丈夫だよ」呉羽は、セキに身を寄せ、優しく抱きしめる。「絶対に、セキをひとりぼっちにはさせないよ。約束する」
 セキは、目を見開く。
「本当ですか? 本当に私から離れませんか?」と、また顔をぐいっと寄せてきた。
「だから近いよっ! もうっ! いい加減、距離感を覚えてよ!」
 セキを引き離した呉羽は、高鳴る鼓動を抑えつつ、「さて、これからどうしようか」と尋ねた。
「黒曜と春さんは準備ができていますから、行けるところまでは自動車を使いましょうか。その方が早いです」
 そう言って、にこりと笑った。



 煌々(こうこう)と燃える炎に照らされた室内に、何かが割れる音が響く。
 それを聞いた巫女王は、発狂気味に叫ぶ。
「黙れ! 来るな化け物! ツキモノになり果てた化け物なぞが、わたくしのそばに(はべ)るなぞ許さぬ! 出ていけえ!」
 巫女王の言葉に、影に紛れていたツキモノは、声にもならぬ音を上げ、その場から逃げてゆく。
「くそっ! くそっ! なぜだ、なぜだ! なぜわたくしが、ツキモノなんかに、あんな下等生物に……!」
 髪を振り乱し、かきむしり、そして暴れる。その姿は、人の形をした獣も同然であった。
「『有夜の民』、そう、あの『有夜の民』さえいれば、すべてがうまくゆくのだ……! あいつなぞ、わたくしの——いえ、我らが誇り高き『永夜の民』の生贄なってしかるべき存在だ」
 巫女王の瞳が、まるで血のような、おぞましい色へと変わる。
「『月の女神』の刺客(しかく)め、いまに見ておれ。わたくしが永遠を生きるための糧としてくれるわ」
 巫女王の高笑いが響く。それはどこまでも広く、都全体に広がるほどであった。