「お、おい! お前、どういうつもりだ! 『有夜の民』に触れるなんて」
 祭祀官は、ひどく狼狽した様子だった。セキは、彼をきっと睨みつける。それにさえ、他の『永夜の民』はひどく困惑している。
「はあ、まったく、これだから懐古厨どもは困ります。永遠の剥奪だのなんだのと言っていますが、結局、あなたたちの永遠なんて、巫女王の神力のおこぼれにすぎないじゃあないですか」
 祭祀官は、ぐっと言葉を詰まらせる。
「そのおこぼれに、醜く執着し、求め続けるだなんて」セキは、満面の笑みを浮かべる。「まるで、卑しい豚さんみたいじゃあないですか。誇り高き『永夜の民』が聞いて呆れますよ」
「貴様!」耐えきれなくなった祭祀官は、鼻息を荒くして、セキを指さす。セキは少しも動揺せず、祭祀官をねめつける。
「巫女王から、災いを呼ぶと予言された汚らわしい奴め! やはりお前は、我ら『永夜の民』に災いをもたらす化け物なんだ!」
 ——災いを呼ぶ……?
 どこかで聞いた話だと、呉羽は黙考する。
 ——そうだ、おじいさんがしてくれたお話だ。
 その話と、セキにどんな関係があるのだろうか。
「‥‥‥その話を知っている人なんて、この都に何人残っていますか?」
「‥‥‥」
「もう、ほとんどいないでしょう。現にいま、ここにいる皆さんは、私を違う意味で恐れているようですし」
 周りにいた人々は、〝『有夜の民』に触れたセキ〟に、恐れ(おのの)き、悲鳴にも似た声音でざわついている。
「私を知っている人は、みんなツキモノになってしまったでしょう? もう、二千年は前の話ですから」
 祭祀官とセキのふたりの間に、沈黙が降りる。無言のまま、ふたりは睨み合っていた。
「せ、セキ‥‥‥」
「呉羽さん、話は後でしますから。いまは逃げましょう。走れますか?」
 呉羽は涙を拭って、うなずく。そして、差し出された手を取る。冬の陽だまりのように、ほのかに温かい手だった。
 それを合図に、セキは群衆めがけて走り出す。その勢いを利用し、呉羽も立ち上がり、全力で走る。
「おい! 何をぼーっとしている。『有夜の民』が逃げるぞ! 早く追え! 追えぇ!」
 祭祀官の喝により、我に帰った検非違使は、別当を中心に呉羽たちを追いかけてくる。
「セキ‥‥‥!」
「大丈夫です。私はこの数日で、都の構造を完璧に把握しましたから」セキは答える。「このまま市を抜けましょう。その後竹林に入ります。そこまで行けば、さすがに追ってこれないはずです」
 竹林は、都の三分の一を占めるほど広大だ。土地勘のない者が、ひとりで入るなど自殺行為に等しい。場合によっては、人間たちが住む俗世へ出てしまう可能性もある。たしかに、そこまで行けば、検非違使から逃げ切るのは容易だろう。
 ——そんな場所に、ひとりで入ってたなんて‥‥‥。
 命知らずにも程がある。いや、『永夜の民』だから、死なないのか。普通なら、『永夜の民』は都の外を恐れるが、外から来たセキは、そんなこと気にならないだろう。——それでも、馬鹿だと思うけれど。
「でも、その後はどうしよう……」
「わかっています。なので、竹林で潜伏するんです」
 追っ手はすぐそこまできている。ふたりは、風を切り、地面を強く蹴り、とにかく走り続けた。
 そして、もうすぐ市を抜けるという時だった。
「もう終わりだ! 『有夜の民』め!」
 呉羽の長い髪が、放免(ほうめん)によって乱暴に掴まれる。
 呉羽は悲鳴を上げ、後ろに倒れ込む。そして、掴んでいたセキの手を離す。
「呉羽さん!」
 セキが、悲鳴にも似た声音で、呉羽の名を呼ぶ。
「『有夜の民』を庇い、そのうえ逃がそうとするなんて、お前は一体何者だ! お前も、処罰の対象になるのだぞ!」
「何者、ですか‥‥‥」セキは、男を睨みつけて言った。「‥‥‥『永夜の民』ですよ。人間が妖だと揶揄する、『永夜の民』」
 セキは形の良い顎に指を添え、話を続ける。
「あなたが何年生きたのかは知りませんが、人間ならば考えられないほど生きているでしょう? それなのに、未だに醜くも生にすがる。生きる目的なんてないくせに——」
「黙れ! この裏切り者が!」
 セキの言葉を遮るように、放免は叫ぶ。
「『有夜の民』が、俺たち『永夜の民』にしてきたことを忘れたのか! こいつさえ、こいつさえいなければ——俺たち『永夜の民』の憂いが、無くなるんだ!」
 放免は持っていた棍棒(こんぼう)を高く振り上げる。日が隠れ、呉羽の顔に影がさす。反射的に、呉羽は目を瞑った——まさにその時。
「やめろっ!」
 少年の咆哮が響き渡る。はっとして目を開いた時には、放免は何者かに突き飛ばされ、倒れ込んでいた。
 呉羽は、驚きのあまり、目を大きく見開く。
「は、かせ‥‥‥?」
 呉羽やセキよりも、小柄な少年——博士が、息を切らして立っていた。右手には、放免から奪ったのだろう棍棒が握られていた。
「この、親不孝者が‥‥‥!」
 博士が、呉羽を睨みつける。先ほどまでの騒ぎが嘘のように静まり返ったそこで、博士は見た目にそぐわず、悠然と立っている。呉羽は思わず、「ごめんなさいっ!」と謝った。
「俺のことはいい! 早く呉羽を遠くへ連れていけ!」
「‥‥‥はい」
 互いにうなずき合うふたりに、呉羽は困惑した。
 ——セキは、博士を知っているの?
 そう思っていると、セキはその思いを察したのか、
「それもすべてお話しします」
 と言って、呉羽の手を再び引き、市を抜ける。
 不安、疑問、混乱、この全てが混ざり、呉羽は胃の中身をひっくり返したように気持ち悪くなった。
 ——でも、セキといると、心が温かい。
 そう思わずにはいられず、呉羽はさらに混乱せずにはいられなかった。



 竹は、『月の女神』の眷属なのだと、セキは語る。
「なので、ここにいれば安全ですよ。あなたには、『月の女神』の加護がありますから」
「……」
 ——そんなもの、あるとは思えない。
『月の女神』が与えた永遠を剥奪し、そのうえツキモノに変えてしまう自分に。そんな考えを読んだのか、セキは念を押すように、
「大丈夫です。あなたは、女神に愛されています。長く生きている私が言うのですから、間違いありません」
 どんな根拠があって、そんなことが言えるのだろうか。呉羽には全く理解できなかった。
 ——いや、そんなことよりも。
「……セキは、わたしから離れた方がいいよ」
 セキは、きょとんとした顔で、呉羽の顔を見る。「どうしてですか? 私は、呉羽さんから離れたくないのですが」
 呉羽は、沈痛な表情でうつむく。
「だって、わたしといたら、セキまで……」
「『有夜の民』といるくらいでは、永遠はなくなりません」
 セキは、はっきりと言い切った。呉羽ははっと顔を上げる。セキの顔が、思ったよりも近くにあって、小さく悲鳴を上げる。
「もうっ、近いよ!」
「すみません」謝りはしたものの、大して反省してなさそうである。「呉羽さんの顔を、よく見ていたいので」
 あっけらかんと答えるセキに、呉羽はことさら恥ずかしくなる。
「……〝永遠はなくならない〟という話の途中でしたね」
 逸れていた話題を引き戻し、セキは話始めた。
「たしかに、『有夜の民』は、私たち『永夜の民』の永遠を解くきっかけにはなりえます。ですが、〝ただ一緒にいるだけで〟永遠が解けることはありません」
 だってそうでしょう。と、セキは話を進める。
「仮にそうだとしたら、あなたを育てた彼は、とっくのむかしにツキモノになっているはずですから」
 言われてみればその通りだ、と呉羽は思う。たしかに、呉羽を十年以上も育てているのに、ツキモノになっていないのはおかしいのか。
 ——じゃあ、どうやったら永遠は解けるのだろう。
 ふたりの間に、冷たい風が好き抜け、長い髪を揺らす。乾燥した風だった。
「……セキは、博士と知り合いなの?」
 意を決したように、セキに訊ねた。先ほどの会話を見る限り、赤の他人とは思えなかった
「博士……ああ、あなたの育ての親ですね。もちろん知っていますよ。だって、彼は私の育ての親でもありますから」 
「……。……ええ!? そうだったの?」
 呉羽は身を乗り出し、セキを問い詰める。
「はい。見た目からは想像できないでしょうが、彼は私よりもずっと年上ですよ」
 開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだ。博士は、セキの恩人でもあったのか。
 それを知って、思わず、笑みがこぼれた。それを見たセキが、「どうかしましたか?」と訊いてきた。
「……なんだか、不思議な縁を感じたの」
 セキは、目をしばたたく。「どういうことですか?」
「だって、わたしをわたしにしてくれたのは、博士だったの。セキもそうだったんだと思うと、不思議だなって感じたの」
「……そうですか」
 感傷に浸る呉羽を(おもんぱか)って、セキはしばらく黙り込み、「初めて会った時、私がかけた言葉を覚えていますか?」と話を切り出した。
「……一緒に都を出ようって話?」
 呉羽の答えに、セキは「はい」と肯定する。
「あの時の言葉を、少し訂正させてほしいです」
「訂正?」
 呉羽が聞き返すと、セキは数歩先に踏み出して、振り返る。
「……私と、死ぬまでずっと一緒にいてください。そのために、一緒に都を出ましょう」
 セキの言葉で、呉羽の心が一気に溢れた。それと同時に、こうも思った。
 ——わたしも、セキと何年先も、何十年先も、ずっと一緒にいたい。
 なぜ、急にこう思ったのかは分からない。だが、心の底から、いまの自分は、彼に惹かれている気がした。
「……行っちゃおうかな」
 セキは、目を見張る。そして、ぐいっと呉羽に顔を寄せる。
「本当ですか? 本当に、私とずっと一緒にいてくれますか?」
「うん、わたしが死ぬまで、ずっと」
 セキは、文字通り、顔をぱっと明るくして、呉羽の手を取る。そしてその手を、自身の頬に擦り付ける。
「くふふ、こんな感情になったのは、いつぶりでしょうか。もう、思い出せないぐらいむかしの話です」
「せ、セキ……?」
 擦り付けていた手を離し、セキは恍惚とした笑みを浮かべる。先ほどから、セキの表情は、『永夜の民』とは思えないほど豊かに変化している。——なんでだろう。
 これは、呉羽が『有夜の民』であることと何か関係しているのだろうか。
「あの時聞きそびれてしまったから、聞かせてほしいんだけど……」
 セキは、何の事だろうといった風に、首をかしげる。
「どうして、わたしと都を出たいって言ってくれたの? どうして、さっき、わたしを助けてくれたの?」
 ここで聞いておかないと、もう二度と訊けないような気がして、思わず訊いてしまった。セキは、そんなことかと言った風に微笑んで、
「……私が、あなたに呪われているから——ですかね」
 と答えた。
「呪われてる……?」
 呉羽の問いに、セキは黙って微笑むだけであった。


 呉羽は一度、屋敷に戻された。
『迎えに行くから、待っていてほしい』
 そんな伝言だけを残されて。