香ノ宮は聖域だ。
 あやかしを封印した山、妖山(あやかしやま)
 そのあやかしたちを山に封印した巫女、神ノ守姫(かみのもりひめ)と、四ノ女神(しのめがみ)(まつ)られている神ノ守神社など、四ノ女神を崇拝するような人々にとってはまさに聖地である。
 しかし、あいにく信長(のぶなが)は、そこまで信心深いわけではなかった。無論、最低限の宗教的行事をこなすほどには神への信仰心はあったが、特別それが(あつ)いわけではない。
——昔から、不幸なことばかりが続いたからかもしれない。

 信長はその日、従者とともに屋敷を抜け出して、天体観測に(いそ)しんでいた。
 金砂銀砂(きんしゃぎんしゃ)を振りまいたような星空を眺めていると、小さな悩みなど、どうでも良くなってくる。
 ふとこんな話を思い出す。
「ねえ、嘉助(かすけ)。昔、母上から聞いた話だけど、人は死んだら星になるんだってさ」
 従者であり、乳母子(めのとご)である嘉助は、信長の話に、胡散臭そうな顔をする。
「はあ、信長殿はいつまで経っても夢を見ていますね。いい加減現実を見てください」
「そうかな。だって、その話が本当なら、俺の先祖も、空から見ているんだよ。それって、とっても素敵な事じゃない?」
「私はむしろ、常に誰かに見られてるようで嫌です」
 否定ばかりする嘉助に、信長はムッとした。こういう所は、昔から変わらない。
「うーん‥‥‥でも、俺はやっぱりいいと思うな」
 信長は空をまた見上げる。
 今宵は新月。夜の王である月がいない今日は、星たちが我こそにと輝いている、そんな気がした。
 何となく、星に手が届きそうな気がして、信長は空に向かって手を伸ばす。
——あの中にもしかしたら、前世で愛した人も、いるのかもしれない。
 そんなことを考えていた時だった。

 不意に、甘い匂いが鼻を(かす)めた。まるで、飴を焦がしたような、焦げ臭さも混じった匂いだ。

「嘉助、この匂い——」
 言葉を全て言い切るよりも先に、にゅるりと、手に何かが絡みつくような感覚があった。空に向かって伸ばした方の手である。
「‥‥‥え?」
 恐る恐る、感覚があった手を見る。
「‥‥‥‼︎」
 声が出なかった。
 手に、黒い汚泥(おでい)のようなものがとぐろを巻いて腕に絡みついている。その先を見てみると、(もや)のようなものが大きく広がり、信長の視界を覆っている。先ほどまで見えていた星空は、すべて黒に埋め尽くされた。
「信長殿!」
 嘉助が呼ぶ声がした。しかし、返事をするよりも先に、その靄に二つの目が現れ、こちらを見る。その目は血走っており、ぞわりと背筋が粟立(あわだ)つ。
 そして、その血走った目でこちらに語りかけてきた。
「何度でも、何度でも‥‥‥わたしはおまえを呪ってやる。さあ、呪われてしまえ」
 二つの目の下がぱっくりと割れる。笑った、と気づくより先に、信長の意識は吹き消された。