安和の家に、後に『神の愛し子』と呼ばれる娘が生まれたのは、今から十五年前の事だった。
その娘、名を美月と言った。
美月は、生まれたその瞬間から幽鬼を祓えるほどの妖気をその身に宿していた、神童であった。
幽鬼を祓うことができる陰陽師はそうそういない。そもそも陰陽師という称号自体が、とても曖昧で不明瞭なものだった。
異形さえ祓えれば、陰陽師の称号を名乗れるが、異形も弱いものから強いものまで多種多様なのだ。結局、その境界線は曖昧なまま、今日まで来ていた。
美月には、双子の妹がいた。
その名を朝美と言った。まだ夜が明けぬうちに生まれた姉に美月、夜が明け、日が昇りだしてから生まれた妹に朝美と名付けたのだという。
二人は、まるで鏡に映したようにそっくりだった。あまりにも似ているので、両親ですら見分けがつかなくなることがあった。両親でさえ見分けがつかないのだ、まして他の親戚や使用人はなおさらだった。
しかし、幼い頃から尋常ではない程の力を有していた美月に比べ、朝美の力は、姉とは天と地ほどの差があった。ただ、それはあくまで美月を強さの基準とした場合の話であり、朝美も並みの陰陽師以上の力を有していた。その証拠に、朝美は並みの陰陽師でも簡単に祓えないような異形を、簡単に祓ったことがあった。
しかし、陰陽師としての才に溢れた姉と比べれば、朝美の力はどう考えても劣っているように見えてしまう。故に、朝美は親類の間では軽んじられていた。
そんな中、朝美を徹底的に蔑んだのが、叔母である美智だった。彼女は、生来過激な実力主義であった。それ故に、姉よりもずっと劣っていた朝美を蔑んでおり、つらく当たっていた。そして朝美に『神の捨て子』と言う烙印を押した。『神の愛し子』と同じ腹から生まれたのに、神に愛されなかった娘だからと。
しかし、当の本人はそんなことは全く気にしていなかった。朝美も、そして美月も、二人でいられるならそれだけでよかったのだ。
『いい? あたしはさる国のお姫様で、やんごとなき理由で捨てられてしまったけれど、いつかは許婚の殿方が来てくれて、あたしをこんなひどい家から連れ出してくれるの! ね? 素敵でしょう』
『うん、そうだね。でも、あなたがお姫様なら、わたしもお姫様なの?』
『あたりまえでしょう? だって、あたしたちは双子だもの』
『そっかあ、じゃあ、わたしにもいつか素敵な殿方が来てくれるのね。どんな人かな』
『あたしたちを幸せにする人だよ? きっと優しくて明るい、素敵な人だよ』
いつだったか、こんなことを二人で話した。子供らしい、浮ついた妄想話だ。それでも二人は、この時本気で、未来の殿方に夢を抱いていた。
幸せだった、本当に。
しかし、そんな幸せは、脆くもはかなく崩れ落ちた。
冬の寒い日であった。雲一つない快晴の夜で、雪も積もっていなかった。
美月は朝美を連れて家を抜け出し、流れ星を観に行った。二人はいつも、使用人も寝静まった頃を見計らって、家を抜け出しては、付近の小高い丘へ、天体観測へ出かけていた。
流れ星は、新しい命が生まれる証だ。それを二人占めしているような感覚が、大好きだったのだ。長い間、流れ星を観た。気づいたら月がずっと高いところにいて、長い時間がたっていた。もうちょっと、もうちょっとと延ばし続け、しばらくたった後、二人は帰ることにした。その日はなぜか二人で歩いていたかったので、少しだけ遠回りをした。
——それが、いけなかった。
帰り道、二人は呪いと出会った。ただの呪いではない。その身に呪詛を宿し、人々に呪いをかける呪魂、呪狼だった。それはニタニタと笑い、血走った目でこちらを見てくる。そして、飴が焦げたような、呪いの匂いがした。
十尺をゆうに超えるその呪いに、まだ幼かった双子になすすべはなかった。
——その後、家に帰ってきたのは一人だけだった。
血まみれになって、でも涙は少しも流していなかった。
起きだしてきた両親や使用人たちが、帰ってきた方に話を聞くと、「朝美、朝美、朝美……」としきりに呟いていた。両親が、朝美かどうかを聞くと、震えながら頷いた。
その後、家の者総出で片割れ——美月を捜したところ、二人がいつも行っていた小高い丘で、無残に殺された美月が発見された。その腹には穴が開いており、惨いものだったが、その顔はとても穏やかだった。
その数日後に執り行われた葬式では、多くの人々が参列し、幼い陰陽師の死を悼んだ。唯一朝美だけは涙の一つも流さず、その場にとどまっていた。その様子は、他者からすれば、とても異様なものに思えただろう。
その葬式が終わった後からだった。美月が生きていた時以上に、美智の朝美への扱いがひどくなったのは。
「お前のせいで美月は死んだ!」朝美の頬をはたいて、蹴りつけた。蛍は必死に止めていたが、憤怒の感情に身を委ねた美智を止めることはできなかった。
「どうしてお前が死ななかった! お前の変わりに、わたくしたちは『神の愛し子』を失ったのよ! 美月はお前が殺したんだ、この役立たず! 無能! 『神の捨て子』! お前も腹を裂かれて死ねばよかったのに!」
叔母の罵詈雑言に、正当性なんてかけらもなかった。しかし、片割れを亡くしたばかりだった朝美の心は、その言葉に嫌というほどえぐられた。その後には蛍や真昼に慰められたり、参列者にも声をかけられたが、ほとんど記憶には残っていない。
ただ、無になった心だけがあった。
あの日から五年。美月は、幼くして亡くなった陰陽師界の神童として、今も人々の心に残り続けている。
しかし、命よりも大切だった姉妹をなくし、心が無に帰した朝美はもう、なにも考えられなかった。
その娘、名を美月と言った。
美月は、生まれたその瞬間から幽鬼を祓えるほどの妖気をその身に宿していた、神童であった。
幽鬼を祓うことができる陰陽師はそうそういない。そもそも陰陽師という称号自体が、とても曖昧で不明瞭なものだった。
異形さえ祓えれば、陰陽師の称号を名乗れるが、異形も弱いものから強いものまで多種多様なのだ。結局、その境界線は曖昧なまま、今日まで来ていた。
美月には、双子の妹がいた。
その名を朝美と言った。まだ夜が明けぬうちに生まれた姉に美月、夜が明け、日が昇りだしてから生まれた妹に朝美と名付けたのだという。
二人は、まるで鏡に映したようにそっくりだった。あまりにも似ているので、両親ですら見分けがつかなくなることがあった。両親でさえ見分けがつかないのだ、まして他の親戚や使用人はなおさらだった。
しかし、幼い頃から尋常ではない程の力を有していた美月に比べ、朝美の力は、姉とは天と地ほどの差があった。ただ、それはあくまで美月を強さの基準とした場合の話であり、朝美も並みの陰陽師以上の力を有していた。その証拠に、朝美は並みの陰陽師でも簡単に祓えないような異形を、簡単に祓ったことがあった。
しかし、陰陽師としての才に溢れた姉と比べれば、朝美の力はどう考えても劣っているように見えてしまう。故に、朝美は親類の間では軽んじられていた。
そんな中、朝美を徹底的に蔑んだのが、叔母である美智だった。彼女は、生来過激な実力主義であった。それ故に、姉よりもずっと劣っていた朝美を蔑んでおり、つらく当たっていた。そして朝美に『神の捨て子』と言う烙印を押した。『神の愛し子』と同じ腹から生まれたのに、神に愛されなかった娘だからと。
しかし、当の本人はそんなことは全く気にしていなかった。朝美も、そして美月も、二人でいられるならそれだけでよかったのだ。
『いい? あたしはさる国のお姫様で、やんごとなき理由で捨てられてしまったけれど、いつかは許婚の殿方が来てくれて、あたしをこんなひどい家から連れ出してくれるの! ね? 素敵でしょう』
『うん、そうだね。でも、あなたがお姫様なら、わたしもお姫様なの?』
『あたりまえでしょう? だって、あたしたちは双子だもの』
『そっかあ、じゃあ、わたしにもいつか素敵な殿方が来てくれるのね。どんな人かな』
『あたしたちを幸せにする人だよ? きっと優しくて明るい、素敵な人だよ』
いつだったか、こんなことを二人で話した。子供らしい、浮ついた妄想話だ。それでも二人は、この時本気で、未来の殿方に夢を抱いていた。
幸せだった、本当に。
しかし、そんな幸せは、脆くもはかなく崩れ落ちた。
冬の寒い日であった。雲一つない快晴の夜で、雪も積もっていなかった。
美月は朝美を連れて家を抜け出し、流れ星を観に行った。二人はいつも、使用人も寝静まった頃を見計らって、家を抜け出しては、付近の小高い丘へ、天体観測へ出かけていた。
流れ星は、新しい命が生まれる証だ。それを二人占めしているような感覚が、大好きだったのだ。長い間、流れ星を観た。気づいたら月がずっと高いところにいて、長い時間がたっていた。もうちょっと、もうちょっとと延ばし続け、しばらくたった後、二人は帰ることにした。その日はなぜか二人で歩いていたかったので、少しだけ遠回りをした。
——それが、いけなかった。
帰り道、二人は呪いと出会った。ただの呪いではない。その身に呪詛を宿し、人々に呪いをかける呪魂、呪狼だった。それはニタニタと笑い、血走った目でこちらを見てくる。そして、飴が焦げたような、呪いの匂いがした。
十尺をゆうに超えるその呪いに、まだ幼かった双子になすすべはなかった。
——その後、家に帰ってきたのは一人だけだった。
血まみれになって、でも涙は少しも流していなかった。
起きだしてきた両親や使用人たちが、帰ってきた方に話を聞くと、「朝美、朝美、朝美……」としきりに呟いていた。両親が、朝美かどうかを聞くと、震えながら頷いた。
その後、家の者総出で片割れ——美月を捜したところ、二人がいつも行っていた小高い丘で、無残に殺された美月が発見された。その腹には穴が開いており、惨いものだったが、その顔はとても穏やかだった。
その数日後に執り行われた葬式では、多くの人々が参列し、幼い陰陽師の死を悼んだ。唯一朝美だけは涙の一つも流さず、その場にとどまっていた。その様子は、他者からすれば、とても異様なものに思えただろう。
その葬式が終わった後からだった。美月が生きていた時以上に、美智の朝美への扱いがひどくなったのは。
「お前のせいで美月は死んだ!」朝美の頬をはたいて、蹴りつけた。蛍は必死に止めていたが、憤怒の感情に身を委ねた美智を止めることはできなかった。
「どうしてお前が死ななかった! お前の変わりに、わたくしたちは『神の愛し子』を失ったのよ! 美月はお前が殺したんだ、この役立たず! 無能! 『神の捨て子』! お前も腹を裂かれて死ねばよかったのに!」
叔母の罵詈雑言に、正当性なんてかけらもなかった。しかし、片割れを亡くしたばかりだった朝美の心は、その言葉に嫌というほどえぐられた。その後には蛍や真昼に慰められたり、参列者にも声をかけられたが、ほとんど記憶には残っていない。
ただ、無になった心だけがあった。
あの日から五年。美月は、幼くして亡くなった陰陽師界の神童として、今も人々の心に残り続けている。
しかし、命よりも大切だった姉妹をなくし、心が無に帰した朝美はもう、なにも考えられなかった。