「信長ー。朝だよー、起きてくださーい」
可愛らしい声と、身体をたたかれた衝撃で、信長の意識はゆっくりと覚醒した。
今が何時かはわからないが、起きた時の感覚的に、寅の刻(午前三時から午前五時)くらいだろうか。
「おはようございます。信長」
樹希は満足そうに笑う。出会った時の、人型の姿だ。
「え、ああ、おはようございます。樹希さん」
身を起こして、部屋を見渡す。しかし、隣で眠っていた朝美がいない。
——朝美さん?
厠にでも行ったのかと思い、布団に手をやる。しかしその布団は、先ほどまで熱を持っていた人間がいたとは思えないほど冷たかった。
「樹希さん、朝美さんは……?」
おずおずと尋ねてみると、樹希はきょとんとした。
しばし考えるように俯くと、「あぁ」と納得したような声を漏らした。
「あるじ様なら、禊のためにお風呂に入ってますよ。そういえば、信長は知らないんでしたね」
クスクスと笑いながら樹希は答えた。
「陰陽師は毎朝禊をするんですよ」
なるほど、と思った。
「そういえば、陰陽師家には清めのために、浴槽があるんでしたね」
「うんうん。まあ、あるじ様は朝が弱い方なので、凛がいないと浴室に行けませんがね」
呆れているような言い方だが、笑う声は楽しげだ。
「へえ、朝美なのに、朝に弱いんですね」
何の気なしに言ってみると、樹希は一瞬顔をこわばらせた。でも、すぐにいつもの表情に戻った。
「もう、それは関係ないですよ、信長」
「——」
何かを言おうとしたが、結局何も出ずに口を閉じた。
——何だろう、あの一瞬の間は
「さて、ほら早くどいてください。布団片づけるので」
布団の端を引っ張り、信長を転げ落とした。
「え……?」
信長は、ぽかんとした。見た目は華奢な少年なのに、どうやら思ったよりも筋力があるようだ。
「ふふん、ぼくはあるじ様の眷属ですからね! 信長にも、相撲とりにも負けませんよ!」
腕に力こぶを作って見せる。しかし、それらしいものは全くできていない。信長は少し微笑む。
「じゃあ、今度俺の鍛錬に付き合ってもらおうかな」
そう言うと、樹希は嬉しそうに頷いた。
禊と朝餉を終えた朝美は、縁側で一人まどろんでいた。
金青色の単衣に、金糸が織り込まれた黄色の帯を締めた朝美は、容姿も相まって夜の女神のように見えた。
朝美は、こうやってのんびりと過ごすのが好きだった。というか、何も考えない時間が好きだった。
「のんびりしていますね、朝美さん」
横から急に信長が現れ、朝美は驚きのあまり弩に弾かれたように飛び上がった。
「す、すみません! 驚かせてしまって」
申し訳なさそうに謝る信長に、朝美は高鳴る鼓動を抑えつつ、咳払いをする。
「べ、別に何も……大丈夫です」
しどろもどろにそう返す。「ど、どうかしましたか。旦那様」
「ああいえ、朝美さんにお客様が来ているようだったので、伝えに来たんですよ」
客。朝美の表情がこわばる。
「……普通、そういったことは菜々子あたりが伝えに来るのでは?」
とりあえず、あたりさわりのないことを尋ねてみる。
「はい。でも、ちょうど朝美さんのところへ行こうと思っていたので、俺が引き受けちゃいました」
茶目っ気たっぷりに笑う信長を見て、朝美の胸がじんわりと熱をもつ。彼はどうやら、少しお調子者な節があるらしい。
「……わかりました、すぐに行きます。ここで待っていてください」
なんとか口の端を上げ、笑顔を作ってその場を離れた。その姿を、信長が心配そうに見ていたことに、朝美は気づかなかった。
可愛らしい声と、身体をたたかれた衝撃で、信長の意識はゆっくりと覚醒した。
今が何時かはわからないが、起きた時の感覚的に、寅の刻(午前三時から午前五時)くらいだろうか。
「おはようございます。信長」
樹希は満足そうに笑う。出会った時の、人型の姿だ。
「え、ああ、おはようございます。樹希さん」
身を起こして、部屋を見渡す。しかし、隣で眠っていた朝美がいない。
——朝美さん?
厠にでも行ったのかと思い、布団に手をやる。しかしその布団は、先ほどまで熱を持っていた人間がいたとは思えないほど冷たかった。
「樹希さん、朝美さんは……?」
おずおずと尋ねてみると、樹希はきょとんとした。
しばし考えるように俯くと、「あぁ」と納得したような声を漏らした。
「あるじ様なら、禊のためにお風呂に入ってますよ。そういえば、信長は知らないんでしたね」
クスクスと笑いながら樹希は答えた。
「陰陽師は毎朝禊をするんですよ」
なるほど、と思った。
「そういえば、陰陽師家には清めのために、浴槽があるんでしたね」
「うんうん。まあ、あるじ様は朝が弱い方なので、凛がいないと浴室に行けませんがね」
呆れているような言い方だが、笑う声は楽しげだ。
「へえ、朝美なのに、朝に弱いんですね」
何の気なしに言ってみると、樹希は一瞬顔をこわばらせた。でも、すぐにいつもの表情に戻った。
「もう、それは関係ないですよ、信長」
「——」
何かを言おうとしたが、結局何も出ずに口を閉じた。
——何だろう、あの一瞬の間は
「さて、ほら早くどいてください。布団片づけるので」
布団の端を引っ張り、信長を転げ落とした。
「え……?」
信長は、ぽかんとした。見た目は華奢な少年なのに、どうやら思ったよりも筋力があるようだ。
「ふふん、ぼくはあるじ様の眷属ですからね! 信長にも、相撲とりにも負けませんよ!」
腕に力こぶを作って見せる。しかし、それらしいものは全くできていない。信長は少し微笑む。
「じゃあ、今度俺の鍛錬に付き合ってもらおうかな」
そう言うと、樹希は嬉しそうに頷いた。
禊と朝餉を終えた朝美は、縁側で一人まどろんでいた。
金青色の単衣に、金糸が織り込まれた黄色の帯を締めた朝美は、容姿も相まって夜の女神のように見えた。
朝美は、こうやってのんびりと過ごすのが好きだった。というか、何も考えない時間が好きだった。
「のんびりしていますね、朝美さん」
横から急に信長が現れ、朝美は驚きのあまり弩に弾かれたように飛び上がった。
「す、すみません! 驚かせてしまって」
申し訳なさそうに謝る信長に、朝美は高鳴る鼓動を抑えつつ、咳払いをする。
「べ、別に何も……大丈夫です」
しどろもどろにそう返す。「ど、どうかしましたか。旦那様」
「ああいえ、朝美さんにお客様が来ているようだったので、伝えに来たんですよ」
客。朝美の表情がこわばる。
「……普通、そういったことは菜々子あたりが伝えに来るのでは?」
とりあえず、あたりさわりのないことを尋ねてみる。
「はい。でも、ちょうど朝美さんのところへ行こうと思っていたので、俺が引き受けちゃいました」
茶目っ気たっぷりに笑う信長を見て、朝美の胸がじんわりと熱をもつ。彼はどうやら、少しお調子者な節があるらしい。
「……わかりました、すぐに行きます。ここで待っていてください」
なんとか口の端を上げ、笑顔を作ってその場を離れた。その姿を、信長が心配そうに見ていたことに、朝美は気づかなかった。