「……うそ。もしかして、和也?」

 きみ、真木和也でしょ。
 僕は田舎のマイナーな路線の電車に揺られているときに、ふいに呼ばれて顔を上げた。
 五年前の五月。僕は──端から見たら、そうは見えなかっただろうが──中三のゴールデンウィークを満喫しているところだった。

「えっと……?」
「その声。やっぱり和也じゃん」

  学校の連中は「受験前さいごの」とか「受験生になる前に」とかいうもっともらしい言い訳をつけて、カラオケとか映画とか、あるいは千葉にある某テーマパークにはるばる出かけたりしているみたいだ。
 クラスのムードメーカーが気を利かせて「和也も行かね?」と誘ってくれたけれど、丁重にお断りした。
 僕にとっては、電車に乗っているほうがよっぽど楽しい。 
 
 いわゆる、乗り鉄というやつだ。
 さまざまな路線を始発から終点まで、各駅停車で制覇する──という、なんとも非生産的な行為を趣味にしていた。
 時刻表を眺めては計画を立て、その計画通りに旅程を遂行する。
 その滑らかさときたら、日本の鉄道の運行がいかに優秀かを教えてくれる。滑らかな旅程とガタゴト揺れる座席の揺れを噛みしめる瞬間が、僕のささやかな幸せだ。

 その日は、五月の大型連休にかこつけて少し遠出をして、県境にある短い路線を攻略しにやってきていた。

 走行にあわせて規則的に揺れるモハ1型車両の、控えめに軋む音。
 使い古されたシートの感触。
 ひび割れた車内アナウンス。
 のろのろと車窓を流れる風景。
 パンタグラフの擦れる微かな音。
 人のまばらな車内。

 そういうものを楽しんで、次はいよいよ終点だというタイミング。
 唐突に、話しかけられた。

「覚えてないの? 私だよ、私」
「……人違いじゃないですか」
「きみ、真木和也だよね?」

 僕のフルネームを呼んだのは、同じ年頃の女の子だった。
 長い黒髪が似合う色白の少女で、僕のクラスの誰よりもほっそりとしていて、きれいだと思った。
 白いブラウスには染みひとつなくて、空色のスカートにはたんぽぽみたいな黄色のストライプが走っている。関西で運行されていた京阪800系車両みたいな色合い。

 やっぱり知らない人だ。
 こんな美少女、知り合いにはいないはず。