「死ぬまでのって、何それ」
僕の質問に、維麻はしれっと返事をする。
「そのまんまの意味だよ。私さ、あんまり長く生きられないんだ」
昨日の夜は眠れなかったんだ、くらいの軽やかさで維麻は言った。
なんだよ、それ。
僕が何も言葉を返せないで無様に口をぱくぱくさせていると、電車が止まった。終点まで行って、折り返してからしばらく経っている。
もうすぐ、維麻の降りる駅に着いてしまう。
あの駅には、難病の専門施設と終末期医療病院がある。
それしか、ない。
始発から終点まで乗っても二時間もかからない路線の、ほとんど誰も降りない途中駅だ。
「……げきじょうしんこうせいのうきのうふぜんしょうこうぐん」
「ゲキジョウシンコー……なに?」
維麻は、聞いたことのない病名をすらすらと口にした。
きっと彼女にとっては、日常的に触れる言葉なんだ。
「だから、激情進行性脳機能不全症候群。それが私の病気ね」
「そう、なんだ」
「治療法ないんだ。余命は平均して五年ってとこ」
五年。
僕は言葉を失った。
「簡単に言うとさ、感情が昂ぶると病気が進行しちゃうんだ。脳の……私の場合は、特に生命維持に関わる脳幹に不可逆的な症状の進行が現れるの」
「維麻は、いつからその……」
その病気になったの。
僕が最後まで質問する前に、維麻はぴしゃりと答えた。
「五年前」
五年前といえば。
小学生だった僕の前から、維麻が忽然と消えてしまった頃だ。
「じゃあ、アメリカに移住って嘘だったの……?」
「半分は本当。この病気、日本では全然治療ができない。薬もないし、積極治療もできない。だから、アメリカで治験に参加した」
効果は、とは尋ねられなかった。
ここは日本で、維麻がここにいる。
それが、答えだ。
維麻は、生まれた国に死を待つために戻ってきた。
「本当は、元の街に戻ろうかってお父さんが言ってくれたんだ。でも、そんなの余計に辛くなっちゃうだけでしょ」
にや、と維麻は笑った。
「病気のこと、知り合いに話すのはじめてだ」
「……ごめん」
「だーから、謝るのやめてってば」
「うん、そう……だね」
上手い言葉がみつからなくて、何も言葉にしないことにした。
僕は、卑怯者だから。
「ああ。感情の高ぶりって言っても、特にマイナスの感情がよくないんだよ。楽しいとか、嬉しいとかなら、ちょっとくらいなら大丈夫」
何が、大丈夫だよ。
楽しいが、嬉しいが、維麻の命を短くするなんて。
目を閉じる。
電車の発する音がする。
維麻が降りる駅が、近づいてくる音。
「……わかった」
なんとか、それだけ口にした。
僕が感じている絶望とか、理不尽さとか。そういうものを、とっくに維麻は感じてきたはずだ。
その感情の昂ぶりすらも、病気を進行させるはず。
維麻がこうして平気な顔をしているのに、僕が泣いたり叫んだりして何になる。むしろ、維麻の心を乱すだけだ。
きっと、目の前で微笑んでいる維麻は──どうして、笑っていられるんだろう。
「わかったって、なにを?」
維麻の声が、僕に問いかける。
偶然の再会から、ずっと違和感があった。
僕が知っているの維麻は、もっと大笑いする人だった。
日焼けがなくなっていたからでも、ほっそりと痩せていたからでも──はっとするような美人に成長していたからでもなかった。
それだけでは、なかった。
……維麻が、ぜんぜん、笑っていなかったからだ。
「探すよ、この路線にある素敵なもの。一生の思い出になるような」
維麻が、少しでも、嬉しそうにしてくれたら。
僕がそう思うのは、エゴだ。
だって、それは維麻の命を縮めてしまう。
「一緒に、探そう」
やっと選び出した僕の言葉に、維麻が笑った。
「うん!」
本当に嬉しそうに、維麻が笑った。
彼女の命が心配になってしまうほどに。
「例の手紙、ちゃんと返してね」
「返してもらえるように、頑張ってくれたまえ」
「うん」
僕がどうにか頷くと、電車が小さく軋んで止まった。
『……天流駅、天流駅』
維麻が立ち上がる。
明日は月曜日で、僕は学校に行かなくちゃいけない。
「また、来週。いつでもメッセしてね」
ちょっとスマホをかざして立ち上がった維麻は軽やかに電車から降りて、振り返りもしないで去っていく。
その足取りは、余命わずかな病人にはとても見えなかった。
その背中を、僕はただ見つめることしかできなかった。