私の名前は一ノ瀬来夏。どこにでもいる中学一年生と言いたいところだが、多分違う。趣味で書いていた小説が大手出版社の新人賞を受賞して出版され、印税で稼いでいるという点では特異な存在かもしれない。もともと小説を書くのが趣味で、小説家になれたらいいなとなんとなく思っていたので、出版は自分にとっていいスタートダッシュになると思った。しかし、私の夢はすぐに打ち砕かれた。自分の作家人生は好調な滑り出しだと思っていたが、盗作疑惑という形で私の社会的地位は失墜した。もちろん私は盗作などしていない。ここで嘘をつくメリットがないので理解はしてもらえると思うが……。実をいうと私は盗作された側なのだ……。私と美作先生はTwitterのDMを通じてやり取りをしていたのだ。私が小説投稿サイトに投稿した小説を美作先生からアドバイスをもらうという形でやりとりしていたのだ。私にやましい気持ちなんてなかった、新人賞をまだ受賞してないこの時期はただただ、自分の実力が向上していく過程が面白かった。そして、先生からアドバイスをもらい推敲した作品は見事に新人賞を受賞した。純粋に嬉しかった。印税や賞金が貰えることよりも自分の小説が出版という形で多くの人に読まれるのが嬉しかった。美作先生も吉報を嬉しがっていた。家族や友人に報告すると盛大にお祝いしてくれた。クラスメイトからは表紙裏にサインを求められ、全校集会の前で表彰された。学校や市の図書館、地元の書店では特設コーナーが設置された。これから順風満帆な作家人生が送れる。
 
 そう確信できた時間は短かった。始まりはとあるツイートだった。



『美作大作の新作、先月発売された新人作家・一ノ瀬来夏のデビュー作と酷似してない!?』



 このツイートから生まれた盗作疑惑は瞬く間にSNS上で広がり、多くの憶測が生まれた。私は日常的にTwitterを使わないので疑惑を植え付けられていると知った時には遅かった。噂とは怖いもので本人が知らないうちに偽造をなされて取り返しのつかない状態になっていた。



『中学生の新人作家のくせに大物小説家の内容パクるとかある意味尊敬wwwww』
『どうせコイツだけじゃなくて、親とか友人もヤバいやつでしょwwwww』
『こいつの個人情報特定した』



 私を擁護する声なんてなく、社会的に信用の厚い美作先生のオリジナルだと確信する声が大多数だ。とりあえず、担当の編集者に対応策を相談した。炎上に戸惑っている中学生の私に、さらなる炎上への燃料投下を防ぐためにツイートを控えることと、美作先生への事実確認を指示された。しかし、それ以降先生へのメッセージに既読はつかなかった。私は騙されたのだと察した。同時に、大人気作家の先生から盗まれるほどの作品を描けたと自分を守った。私は証拠のDMを公開して、自分の無実を証明しようと試みた。だが、出版社に公開を控えるよう言われ、確実に自分の無実を証明できるものではなかったので、公開しなかった。
 その後、私のデビュー作は異例の回収が行われた。これ以上の爪痕を残さないための懸命な策だったと思う。出版社にとって真実がどうかはどうでも良かった。より多くの利益が出る美作先生の擁護を試みた出版社は、私の主張など聞き入れずに声明文を発表した。あくまで社会的中立と美作先生の擁護を間接的に含意した内容だった。これが最終的な引き金となって、世間からの疑惑は確信へと変わった。
 中学生・新人作家・パクリ・、美作大作というワードに金の匂いを感じた週刊誌は私の元に事実確認を含めた取材を求めてきた。それは週刊誌が出版社を経由して小説家・一ノ瀬来夏に取材を申し込んだものではなく、女子中学生・一ノ瀬来夏を標的にしたものだった。自宅や学校に記者が押し付け、気が付かぬ間に私のありとあらゆる個人情報がネット上に拡散されていた。しかし、世間はそれを容認しており、さらなる燃料の投下による、炎上を期待していた。私の顔写真がネットに出回ると批判の矛先は盗作ではなく容姿になった。唯一コンプレックであった目尻下のほくろを集中的に批判された。アダルトサイトに男性の性的欲求を満たすために加工された画像が転載されるなど事態は無茶苦茶だった。もう取り返しのつかないところまで進んでしまったと自覚せざるを得なかった。世間からの嫌がらせは私の周りの人間にも及んだ。取材の対象や批判は家族や友達まで広がった。クラス内には根も歯もない噂で満ちて、私の楽しかった学生生活はあっという間に破壊された。当然迷惑をかけた友達とはこれ以上迷惑をかけないためにも距離を取らざるを得なかった。ある日には自宅に殺害予告が届いた。流石にこれは警察が介入した。
 家族にはもちろん私の無実を説明した。母と妹は無実を信じてくれた。しかし、世間体を大きく意識する父は最後まで私を信じてくれなかった。一番信頼をおいていた父が信じてくれないのが何よりも悲しく、一方的に叱責された時は心の中なかの何かが崩れる音がした。
 この一件を通して涙はでず、ただ心にぽっかりと穴が空いた。空虚な日々が流れ、この事件の関心は沈静化した。





 私が大病にかかってと知ったのは中学三年生の時だった。
 寒さが本格的に到来する季節に、私は熱があったため小さな診療所を受診した。
 自分でもただの風邪だと勝手に思っていて、早く受験勉強しないといけないとやばい、という危機感をもっていたのは今でも覚えている。しかし心配しなければいけなかったのは勉強ではなく体の方だった。
 医者は厳しい表情を浮かべ「すぐに大学病院で診てもらいなさい」と強く言った。その言葉を信じるに自分はただの風邪ではないと心の奥底で確信した。
 私は医者が紹介してくれた県内有数の大学病院をその日じゅうに受診した。採血の検査をすぐに行った。私の血液は菫色を含んだ赤色になっていた。それを見た看護師は目の色を変えて、白衣が似合う白髪の医師を三人連れてきた。私は大病に犯されているのを悟った。
 そこからは。経験したこともない検査を数時間にわたって行った。白くてまずい液体を飲んだり、えむあーるあいとかいう検査もした。
 検査が終わった後、病院内の食堂でオムライスを食べた。テレビ取材を受けた料理という事もあり、舌がとろけるほどの絶品だった。
 母が会計を済ませ、検査結果を聞くために二人で診察室前の椅子に腰かけた。大病院なのに近くの白熱灯は消えていた。節電なんかと疑ったが業者が来て、直していった。
「お母さん、私大丈夫だよね?」
 不安を心に感じた私は母に同意を求める。医学において浅学の母に聞くのは不正解だが私は一番の正解だと確信していた。
「大丈夫。絶対大丈夫だから。お母さんが保証するよ」
 私の頭を撫でながら母はそう言った。ほんとに母は頼もしかった。
 昼のドラマが近くのテレビから大音量で流れていた。人々の視線はみんなテレビに釘づけだった。流れている映像は葬式の場面だった。大勢の人が遺影に手を合わせて泣いていた。遺影の女の子は私と同い年ぐらいだった。どんな加工アプリで撮った写真よりも不思議と美しく見えた。きっと人生を濃縮した笑顔だからだろう。
『私はいつ死ぬのかな』
 明日かな、明後日かな、一年後かな、百年後かな……。
 私の脳はすでに「死」が連想していた。
「一ノ瀬さん。一ノ瀬来夏さん。診察室へどうぞ」
 肉付きの良いおばちゃん看護士が声高らかに私の名を呼ぶ。
「来夏行くよ」
 母の言葉で我に返る。少し薄暗い病院の廊下をかみしめながら歩く。さっき悪いことを想像したせいか、診察室への道のりが天国への道のりに感じた。進むごとに命が削られ、自分の首を歩くことで絞めているように感じた。
 恐る恐る部屋に入ると二つのことに驚愕した。
 一つ目は診察室の立派さだ。大病院ということもあり診察室は私の部屋よりかなり大きかった。それに西側に構える大きな窓は吹雪いている雪を見るのに最高だった。廊下とは対照的な明るすぎる光が私の瞳孔を小さくする。
 二つ目は人の数に驚いた。二人ぐらいしかいないと考えていた私の思考は甘かった。中には「カウンセラー」の名札をかけている人もいた。それがまた不安を募らせる。
 カウンセラー? なんだろう? まさか……。
 このカタカナが病気という言葉とミックスしてしまったせいで正しい考えがまとまらず、悪い方向へと流れてしまう。
「一ノ瀬さん、落ち着いて聞いてください」
 座高よりも圧倒的に長い背もたれに座る薄毛の先生の声は低かった。その声が私の心の不安をさらに煽り、悪魔のささやきへと化す。先生は大きく息を吸う。その口から出る言葉は予想はしていたが衝撃的だった。
 人数やカウンセラーという文字などから大病に侵されているという予想はついていた。だからそんなに大したダメージは受けなかった。でもいざ考えてみると中学三年生の私にとってその事実を告げられることはあまりにも重く、どう脳内で処理をすればいいかの戸惑いが走った。
 明るい未来、将来が一瞬にしてすべて閉ざされた。私の人生は変な方向へと傾いてしまう。確信を余儀なくされた。
「来夏さんは七色病です」
 人生の足枷として「七色病」がのしかかる。
 室内の空気が一瞬、氷つく。母がその空気を少し溶かす。
 氷ついた空気の中、母が願いを込めた言葉を発する。
「先生、もちろん病気は治るんですね」
 母が上体を大きく倒し先生に問い詰める。よくドラマで聞く「先生、治るんですよね」というセリフは実際に聞くとあまりにも痛々しく重い映像と音声だった。前にドラマを見てけなしていた自分を殴りたい気分だった。先生は「落ち着いてください」と冷静に言い、母を椅子に座らせるように促す。
 先生は七色病の説明を始めた。聞いたこともない病名だった。
「七色病は治療法が確立されていません。残念ながら今のところ治ることはありません……。高校二年生の夏まで生きていることすら保証できません」
「そんな」
 不治の病に余命宣告。
 母は崩れ落ちた。私の心も涙腺も崩れかけていた。
 似合っていない眼鏡をかけなした先生は冷静沈着な対応を見せる。
「治りはしませんが延命治療をすることは可能です」
 延命治療を断言されたのか、母は言葉を失った。さっきの威勢のいい姿は跡形もなく、ハンカチでひたすら目を覆っていた。心が痛む。
 ふと外を見たとき外の吹雪は激しさをましていた。木も雪に覆われていて一寸先が見えないような状態だった。
『今の私と同じじゃん』
 私は悟った。雪、木、吹雪、医者、自分、すべてが虚しい。
 先生は時を見計らい、次のステップを喋り始めた。私は現状を受け入れようと努力しているが母は涙を垂らしていたおり、聞く耳を持っていなかった。
 いつもだったらこんな姿に情けなさを感じるところだが今は微塵も思わない。
「今後について私の方から説明します。まず二週間入院してもらって詳しい検査を行います。そして……」
 十分ぐらいだっただろうか。曖昧な時間間隔は病気のせいだった。先生からの説明はまるで葬儀の話を進めている家族のようだった。
 一人になりたかった。耳、目、鼻、舌、皮膚がすべての情報を遮断しろと命令していた。
「ありがとうございました」
 定番の別れ言葉を診察室に吐き捨て、猫背で去る。
 母は私が尋ねても大仏のように一言も喋らなかった。



 私は入院の準備をするために一旦帰った。冷静に考え込んだ。
 これからどうする。受験まで時間がない。いや受験どころじゃない、そもそも高校に行くの。友達に言うべきか、言った方がいいのかなぁ。あ、私友達いないんだ笑。学校どうしよう。入院したら卒業式に出席できないじゃん。
 私は涙を流しながら独り言を心の中で呟いた。心の独り言は一時間以上続いた。何を思ったのかは全く記憶に残っていない。
 完結の仕方は「死ぬ」という虚しい言葉で締めくくってしまった。締めくくりとしては最悪だった。
「死ぬまでに何をしようかな」
 天井を仰ぎ、小声で叫んだ。自然と涙が流れてきた。



 それからはいつも通りの日々を過ごした。受験、卒業式……。
 高校のスタートは遅れたけど、無事第一志望校に合格した。
 生活に何一つ不自由はなかった。外出制限や食事制限はなかったので自分や家族との時間が減ることはなかった。
 医学に感謝する日々が私の中で続いた。
 しかし、病気は確実に悪化していった。それを裏付ける証拠として薬を飲む量は二桁へと突入し、病気は確実に体を蝕んでいった。
 家族からの態度も大きく変わった。母は妹よりも私の意見を押し通すようになり、私の希望は極力通してくれた。妹も協力姿勢を取ってくれた。
 父は転職した。単身赴任のため私と過ごすと時間が減るという理由で地元の中小企業に転職した。家計が心配になる。私のせいで家族を悪い状態に巻き込んでしまった。そう思うと涙が溢れてくる。
 周りからの対応、薬の量、通院をする回数を見れば一目瞭然だった。
『私病人なんだ』
 自分の立ち位置を再認識した。
 もう私は普通の高校生として生きることができない。「病人」という業を死ぬまで持ち続け、病気のことをひたすら隠し、心の底から笑うことなく誰からも愛されることなく、そして死ぬんだ。
 ふと思い出が頭を駆け回った。家族と旅行に行ったこと。楽しかった鉄道旅行。汗を流した中体連。血を吐く思いで勤しんだ勉強。すべてが結果的には良い思い出だった。でも、当たり前だが人は死んだら記憶を失う。良かった事も悪かった事も楽しかった事も悲しい事も苦しい事も愛しい事もすべて水の泡のように記憶を失う。人一人が死んでも何事もなかったように社会は回り、何事もなかったかのように人は喜怒哀楽をする。
 人間は残告な生き物だな。
 独り言が空気に溶け込む。
 私は死ぬまでに何がしたいんだろうか?
 自問自答をしてしまう。
 せめて死ぬまでに楽しい事、やり残したことをしたいな。うん、よし、これで決定。あっけなく決まったがこれが私の死ぬまでにやりたいとことだ。
『やり残した事をして、悔いなく死ぬ』
 あれ……私って死ぬのが怖くないんだっけ。何で「死」を快く受け入れているの?そっか、私死んでもいいと思っているんだ。
 いろいろなものが壊れた。自分、自信、涙腺。この頃の私は自分に都合の悪い出来事をすべて「病気」という名の盾を使って、正当化していた。情けない。

 時は前と変わらぬ速さで流れた。もちろん地球の自転速度が速くなったわけではなく感覚の問題だ。でも、心の時計はまだ止まったままだった。時計を強制的に動かすためになんだってやった。大好きな旅行にたくさん出かけたり、本もたくさん読破した。しかし、私の予想に反して心の時計は息を止めているかのように微動たりしなかった。
 なんとか受かった高校での生活も、中学での盗作疑惑があり、決して充実したものとは言い切れなかった。友達はできなかった。家族以外の誰にも病気のことを告げることはなく月日だけが川の上流のように勢いよく流れた。
「生きる意味って何?」「何で私生きているんだろう」「何で人は生きるの?」などの生きる目的を考える日々が、月日の経過と共に積み重なっていった。だんだんと考え方が変わり生きる意味を探し始めることが主体の生活へと変貌を遂げた。
 この問題の模範解答が探せないまま時と病が風化し、高校二年生になっていた。
 この時から夜眠るのがとても怖かった。もう目を覚ますことがないのかもしれない。恐怖と戦いながら羊を数えた。逆に朝目覚めた時は不思議だった。いつもの自室が目に映ると安心する。さらに自分の体を触り幽霊じゃないと分かりもう一安心する。血液ではなく心臓にとても悪かった。
 この時の私は「生きる目的」と「今日何をするか」と「遺書を書く」の三つが主体のライフスタイルを送っていた。
 そう。死ぬ準備はできた。あとは自由に人生を謳歌しよう!
 そんな考えが病院帰りに宿った。



 私が彼(相模原常陸君)と出会ったのは春風が強く、まだ遅咲きの桜が町を彩っていた季節だった。
 放課後、いつも通りに部活に行こうとしていた時、普段話さない顧問の先生から呼び出された。とうとう人数が少ない文学部は廃止されるのか……。
「一ノ瀬。今日新しい子が文学部に来るからよろしくな」
「え!? なんで文学部なんかに」
「なんでも集中して小説を書く環境が欲しいとか」
「誰なんですか?」
「確かお前と同じクラスの……えーと、なっていったかな………そう、相模原だ」
 相模原……確か、下の名前は常陸だっけ。私と同じで友達いなくて、いつもクラスの隅で推理小説を読んでるな。そんな彼が文学部に……。
「ということで、仲良くしてやれよ」
「はい。わかりました」



 桜の面影もなくなり、お花見から花火へと季節の風物詩が変わる途中の今。私は浮足立って駅に向かっていた。自転車の籠に大きなカバンをのせ、並木を抜ける。
 今日は常陸君と出かける予定だ。断じてデートではないと、言い聞かせて玄関を飛び出した。
 集合場所の噴水の前に行くと常陸君がすでに待っていた。彼は小説を読んでいた。彼は荷物が極端に少なかった。財布と本という謎のラインラップをしていた。出かけるときの荷物は最小限でいいというけれどそれは流石に少なすぎないかとツッコミをいれたら、私の荷物の量に目をつけ指摘された。彼とは対照的の性格をしているようだ。
 私の余分な荷物と判断された目覚まし時計や漫画数冊はコインロッカーへと収監された。
 映画、本、食事。彼と一緒に過ごす時間は格別で急流のように瞬く間に過ぎていった。
 私と常陸君は互いの財布の中身を見せ合おうという話になった。私が一方的に押し付けたのだが。
 常陸君の財布の中には一枚の写真が入っていて、幼い女の子と幼い男の子が写っていた。男の子は常陸君、じゃあ女の子は誰?私の恋愛脳が正常に作動してまった。彼はこの女の子が初恋の相手だと言い、一方的な片思いだと認めた。
 寝台特急の夜の車窓を背景に写る女の子にはとても見覚えがあった。昔、母に勧められてやったショートカット、つけたい欲求のまま付けた大きすぎる時計。写真に写ってる女の子は私だった。間違いではないかと疑ったがその推理は見事外れた。私も同じ写真を財布に入れているからだ。私もこの時の記憶は鮮明に覚えている。なぜなら私もこの男の子が初恋の相手だったからだ。やっと会えた初恋の相手に。涙腺が壊れ、涙が出てきてしまった。彼の前で涙を見せてしまったのも「感動した」と上手くごまかすことができた。
 私は写真の女の子の正体が目の前にいる一ノ瀬来夏と言うか迷った。でも、告げるのはやめようと涙ながらに決意した。
 余命一年の病弱でうるさい病人とこれからの未来が満ち溢れているクラスメイトが恋人の関係まで発展することがないと思ったからだ。もし、彼氏、彼女になったとしても最期を恋人として迎えるのはあまりにも悲しく私としても避けたかった。よく二時間ドラマでは死ぬとわかっていても恋人として最期を迎える展開はあるけれど、いざ、現実でやるとするとあまりにも切なく感じるものだ。
 最期まで言わないと誓った。守れるかどうか心配だけど……
 帰り際には行きの時よりも打ち解けていた。恋愛の話をしたからなのか抵抗が少なくなっていた。やっぱり常陸君は不思議。
 駅前で別れるときには夕日が山にかくれる寸前だった。一日が非常に早く感じる。彼のおかげで病気前の自分が再び味わえた。
「今までありがとう」
 彼の背中に向かって叫んだ。今日、最後の言葉で今日という価値あった日を締めくくった。
 常陸君と解散し後の私の心は一瞬,閑散とした。
 私は生きたいと心から思うようになっていた。いや、きっと彼に変えられたのだろう。この前まで「死」に対してまるで恐怖を抱かなった私がこの時、「死」という人間のゴール地点に恐怖を覚え始めた。
 それと同時に私は思った。
『生きたい』と。
 何でこんな事考えるようになったんだろう。人間はたった一日でたった一つの出会い、経験でこんなにも変わる単純な生き物だと実感した。好きな人が行く学校に行きたいように……
 自転車は独特の金属音を奏で始めた。私は外灯も灯らない夜道をたった一つのライトを頼りに駆け抜けた。



 その夜、珍しく常陸君から連絡がきた。なんで初めてのやり取りなのに、珍しいかって? それは彼の性格上、人と関わるのが嫌いだからだ。ましてや異性であり、私を大きく拒絶していたからなおさら驚いた。
『ありがとう』
 一文だけ。一文節だけ。一単語だけ……それも定番の「ありがとう」だったけど、彼にしては上出来だった。むしろLINEしてくれただけで感謝しないと。
 にやけながら文を読む私。ベットでコロコロ回転しながら余韻に浸る間も無く返信内容を考えた。
 よし、まずは写真を送ろう。
 今日撮った写真を二、三枚貼り付けた。私が半強制的に撮ったので彼の表情はとてもぎこちない。私は誰も見ていないのに控えめに笑ってしまった。
 それから私は呼び捨てで呼ぶように命令した。そんな写真がクラス中で広まってほしくなかったのか、常陸君はあっさりとLINE上で私の名前を呼んだ。実際に口から出るかは分からないけど、記録に残っただけ十分だった。
 十分ほど悩んだ末、今日最後の文を送信した。悩んだというよりは言葉を引き立たせるための時間稼ぎをしたという表現の方が適切かもしれない。
『今までありがとう』
 一階から夕食を知らせる母の声が聞こえてきた。スマホを置いて部屋の電気を消した。LINEをする前に使っていたがパソコンつけっぱなしという事実に気が付き慌ててデータの保存をし、電源を落とした。来る気配がなかったのか母がもう一度私の名前を呼ぶ。
 階段を下りながら私はついさっきのことを考えてしまった。
『今までありがとう』
 私はどういう意思で送信し、彼はどう受け取ったのどろうか。