柔らかな春の日差しが春の到来を静かに告げていた。
 空は雲ひとつない晴天。時折強く吹く風が桜の花びらを散らせ、景色に春の調和をもたらしていた。
 今日は三月三十日。この日は僕にとってとても大切だ。
 大学生となった僕は三年目となる彼女の命日を迎えた。僕は一浪して国立医学部へ進学し、七色病の治療法確立を目指す研究者となるべく勉強に勤しんでいる。この選択に彼女との出会いが関係ないかと言われれば大きな嘘になる。彼女と出会ってなかったらこんな挑戦的な進路選択はしてなかったと思う。命日と言っても毎日のようにお墓に訪れていたので特別な感覚は芽生えなかった。ただ、気持ちのどこかでこの日を迎えたくない自分もいた。三年前の雪の降りしきる深夜での出来事を今でも時々思い出す。

 ……僕が彼女を殺してしまった……

 周りは否定したがこの業は一生消えることなく僕の中に残るだろう。でも、僕はこれを苦しいとは思わなかった。彼女というこの後の自分の人生において、何にでも定義できない特別な存在を忘れたくなかった。いや、死因が七色病でも僕は忘れてやらない。
 桶に水を入れ彼女に近づく。春風によって運ばれてきた桜の花ブラが桶の水面に浮かぶ。
 僕はもう一枚の手紙に書かれている彼女からの最後の……いや、最期の言葉を脳内で再生した。



『最後に……。
 実を言うと私は生きるのが本当に怖かった。明るく振る舞って誤魔化していたけど、怖くて怖くて仕方がなかった。盗作の疑いを向けられた時に誰も信用してくれないのが怖かった。余命を宣告された瞬間から明日が来ないかもしれないことが怖かった。もう小説を書くことができないかもしれないことが怖かった。私が死んだあと、親しい人が私を忘れて平然と日常を過ごしているのが怖かった。そんな恐怖を隠しながら生きていました。こんな考えを心の中に宿らせていたせいで私は恐怖に押しつぶされそうでした。
 ある時、私は考えました。こんな考え方やめよう、こんな生き方やめよう、もっと自由奔放に余生を謳歌しようと……。
 それから私は人が変わったかのような生活をしました。そして新たな自分を見つけようとしました。でも、私の中は全く満たされなかった。小説を書いていている時も、大好きな家族と話している時も、表面上では喜びを取り繕っていたけど、本当は苦しかった。今すぐに逃げ出したいくらい本当に苦しかった。好きなことすら楽しめない自分の存在自体がだんだん嫌いになった。やっぱり自殺したいと思った。
 でも、私はある日を境に死んでもいいという考え方から生きたいという考え方に変わりました。私とは正反対に自分の感情を取り繕わずに出す常陸君に魅力を感じ、こんな面白い人のそばに一生いたい。そう思うようになりました……。
 でも私にそんな資格は一切なかった。余命一年ちょっとの病弱な女の子と一緒にいたって最終的には君に不快な思いや悲しい思いしか残せない。私と恋人の関係を続けることによって……私の好きによって君の人生を縛ってしまうかもしれない……。そんな考えからか私は距離を取ろうと決めました。だからあんな本心にもない言葉を泣きながら病室で吐きました。君と会えなかった日から私はただただ泣いていました。子どものように泣きじゃくりました。常陸君と会えないのがこんなに寂しく、辛いものだとは思わず、あんなひどい言葉を言った自分を責め続けました。
 だから、常陸君が来てくれた時は涙が零れそうなくらい嬉しかったです。君には私という存在が、私には君という存在が不可欠だと心の底から感じました。
 そして、君は私に生きる意味を教えてくれました。人生辛いことが続いても前向きに生きていればきっと幸せが訪れ、何の変哲もない自分の人生にも大切な意味を見いだすことができる。
 絶望に満ちた自分の白黒な人生をカラフルに染め輝かせてくれたのも常陸君です。このまま病室のベッドで白黒の走馬灯を見るはずだった私にかけがえのない青春を与えてくれて感謝してる。ありきたりな言葉になるけど、本当にありがとうね笑。

 最期に……。
 私は君色に染まりたかった。自己を見つめ自分に嘘をつかずに言いたいことをはっきり言う君に……。
 そんな君と過ごした余生は私の宝物です。きっと天国でも来世でも自慢し続けると思います。
 君の良さを「好き」というありふれた言葉で表現することはできません。常陸君には常陸君だけの良さがあります。自分という色に欠けている色を足し、新たな君色に染まり輝いてください。
 そして、私の分まで幸せに生きてください。
 さよならじゃなくて、ありがとう。
 本当に今までありがとう。
 好きです。
 現在進行形好きです。
 大好きです。
 愛してます。
 愛してる。
                                一ノ瀬来夏』


 あの日空から降ってきた彼女が落とした遺書を僕はまだ持っている。その時とは違い自分の人生を肯定した新たな遺書を彼女は残した。


 君のおかげで僕もかけがえのない青春を送れた。君が僕色になった以上に、僕は君色に染まった。いや、君が僕を染め輝かせた。
 幼い頃に母を亡くしてから存在価値や生きる意味を失っていた僕に明るく楽しく生きる大切さを伝えてくれて、今の僕を創ったのは間違いなく君だ。僕の何倍も辛い経験をしてる中明るく楽しく生きて、他人に幸せを与える君からこれからの生き方の手本を教えてもらった気がした。


 ……本当にありがとう来夏……。



 僕は彼女がいない新しい季節を歩みだした。
 墓地の外の階段には啓と西川が待っていた。
 僕はもう一人じゃない。


                         (『君は僕を染め輝かす』終わり)