轟々と。
冷静と熱情がぶつかり合い、悲鳴のような声を荒らげる。不離一体の感情が混ざりあって、混沌と渦を巻く。
あぁ、まるで私の運命みたい。

私が思い描いていた高校生活は、都内でも可愛いと評判のいい制服に身を包み、親友と恋バナでもしながら通学する。部活には入らない。放課後は私の夢のために有意義な時間を使うんだ。その夢のために、アルバイトを経験するのもいい。それから、私の小さな胸がときめくような恋をして。群青色の青春をまっすぐに走る。

与えられた時間をまっすぐに走る。力尽きるまで。

昨日まで吹き荒れていた春の嵐は、今日はすっかり大人しい。清掃員の男性が庭の手入れに追われながら、松葉杖の患者と挨拶を交わす。昨日の忘れ物のような突風が、集められていた落ち葉を吹き飛ばした。そんな風に力無く舞う桜の花びらを橋口里佳(はしぐちりか)はぼんやりと見つめている。

3度目の春が訪れた。
春の陽気に浮かれたように踊る花びらが、空の青さに溶けるように儚く消えていく。
この病院のシンボルになっているソメイヨシノの樹齢は100年余り。病院の寂しげな雰囲気の中で凛と咲き誇る様は、私に少しばかりの勇気を与えてくれている気がした。同時に嫉妬もする。硝子を隔てた無機質な真っ白い部屋の中で、皮肉にも同じパステルピンクのパジャマに身を包み、私は何度も乾咳を繰り返す。
「来年もまた桜を見れるかな···」

私は昔から、何かと察しがいい方だ。
ちょっとした変化や人の表情を見逃さない。
あれはもう2年前のこと。
数日前から続く喘息の様な症状が私の肺を捻じる様に締め付ける。ただの風邪では無いなとは思ったが、かかりつけ医からの紹介でやって来たこの病院ですぐに検査入院となった。
CT検査に血液検査を終えて戻ってきた部屋で1人ぼんやりと桜の枝を見ていた。高校生活に期待を膨らませた私の気持ちみたいに、桜の蕾もその時を待ちわびている。随分前に説明を聞きに行った母は項垂れるように病室にやってきて「里佳、横になってちゃんと寝てなさい」と力無く言った。先に説明を聞いた母の顔から察するに、私が検査を受けた内容はいい結果ではないのだろう。少し目の赤くなった母の顔を見てはいけないと、私は布団に潜り込んだ。心の準備だけはしておかなければと。
目の前に映し出されたレントゲン写真には、みかんの白い筋みたいな網の目状のモノが、私の肺の形をした黒い影を抱きしめていた。落ち着いた物腰で医師は予後について語り始める。医者と母の空気の重さがあまりにも違いすぎて、その違和感で落ち着かない。だいたい母の様子から察しはついている。僅かな時間ではあったが、私なりに覚悟もできた。私はじれったくなって丁寧に病気の説明をしてくれる医者に、確信を突いた。
「先生、私は死ぬの?もし死ぬなら私は残された時間が知りたい」
一瞬驚いた顔をした医者は、少し固まった。それはそうだろう。これから高校生になろうとしている、まだ未完成な大人の口から飛び出す台詞じゃないだろうし。なぜそんな事を口走ったのか、自分でも驚いているくらいだ。たぶん、その時一番最悪な可能性から消したかったんだと思う。
「里佳⋯死ぬなんて⋯大丈夫よ、しっかり治療すれば」
母のか細い声を遮って、私はもう一度尋ねる。
「私は、死ぬの?」
医者は、ひとつ長い息をゆっくりと吐き真っ直ぐに私の目を見つめた。私はどんな瞳でその目を見ていたのだろう。覚悟を決めた目だったのか、光の消えた諦めの目だったのか。
「大学受験は難しいかもしれない。この病気が発症してからの余命は3年。もちろん個人差はあります。貴方の1日1日を大切にしましょう。諦めずに病気と戦うこと、きっと貴方には貴方の役目があるから」
その言葉をしっかりと受け止めた。私の死生観はちょっとズレているかもしれない。人がいつか死ぬことは生まれた時から決まっている事実だ。早いか遅いかの違い。意味があるとしたらどう生きるのか、それだけだ。私は祖父母のお葬式でも涙を流さず、親戚中から冷ややかな目で見られた。「あの子、孫なのに薄情ね」と小言まで聞こえた。もちろん祖父母の事は好きだったし、寂しいなって感情は込み上げたけど。九州男児の祖父の生き様と、それを支えた祖母の愛情は傍から見ていて美しかった。2人は十分に運命で決まっていた時間を生きたのだ。それが私にはあと3年ってだけ。むしろ大人になって後悔になる理由をあれこれ残すよりも、青春をやり切って終わるのも清々しいのではないか?
そんな思考の私だから、医者のその言葉が耳を通過した瞬間、私の脳は驚きよりも悲しみよりも先に、こんな事を考えた。泣き崩れた母の嗚咽も、私の思考に入り込む隙間なんて無かった。直感的に、私が人生で今すぐに諦めなきゃいけない事を考えていた。それは『大学生になること』『スポーツをすること』それから『恋愛すること』だ。そして成し遂げなくてはならないことはたった1つ。『小説家として作品を残すこと。』私の夢だ。今すぐに部屋を飛び出したい衝動に駆られる。怖いからとか、ひとりで泣きたいからとかじゃなく、何よりも時間が惜しいからだ。すぐにノートとペンを手に取って、1文字でも綴りたい。残された3年で私の全てをかけて綴り続けたい。それが私が生きるってことだ。

その瞬間は、そう思っていた。