「藤島さん」

 彼に、苗字を呼ばれた。
 顔を上げると、マスク仲間の織原くんが私のことを待っていた。

「やっぱ綺麗だね、藤島さんの声」

 ほかの場所で作業している美術部員が、私のことを呼ぶはずがない。
 屋上で他人()を迎え入れてくれるのは織原くんって決まっているはずなのに、私は織原くんの顔を視界に入れるたびに安堵の気持ちを抱える。

「クラスが同じになったときから、綺麗だなって思ってたから」

 私のことなんて、誰も注目していない。
 私のことなんて、誰も興味を持っていない。
 線引きをされた私がクラスメイトの輪に入ることなんてできないはずなのに、織原くんは引かれた線を消し去って私を線の向こう側へと招き入れてくれる。

「私……ほとんど喋ったことないよ」
「気づいてたよ。気づいてたから、たまに聴く藤島さんの声が印象に残ったのかも」

 織原くんは、大丈夫だよって語りかけてくれているかのような優しい笑みをマスクの向こう側から届けてくれる。
 マスクを外した織原くんの笑顔が見てみたいって思ったけど、その言葉はマスクの中に引っ込んでしまう。

「俺と話をしてくれて、ありがとう」

 私の瞳が、涙で揺らぎ始めてしまったのかもしれない。
 織原くんが与えてくれる安堵の気持ちが一瞬、寒さで揺らいでしまったのかもしれない。
 織原くんは声と穏やかな目元を通して、いつもと変わらない笑顔を与えてくれる。

「ちょっと、今日は冷えるなー……」

 織原くんは手袋と手袋を擦り合わせてみるけど、それだけでは体温が戻らない季節が巡ってきたということ。
 寒さがだんだんと厳しくなることで、私は織原くんと一緒に過ごす休み時間を失っていく。

「ごめん!」

 こんなにも広い屋上なのに、織原くんの声はどこまでも届いてしまいそうな希望に包まれる。
 屋上で作業していた人たちの注目を集めた織原くんは、みんなに伝言するために大きな声を出す。

「中に戻る!」

 外で作業をしていたから、体調を崩しました。
 そんな言い訳をするわけにもいかないため、寒さに限界を感じたら校舎の中に入っていいことになっている。

「藤島さん、どうする?」
 
 確かに、寒いことは寒い。
 でも、まだ11月下旬ということもあって、校舎に戻るほどの寒さには悩まされていない。

「一緒に……」

 織原くんがいないと、美術部でもなんでもない私は作業ひとつのミスがチョークアートの失敗に繋がってしまう。
 美術部員に迷惑をかけないためにも、一旦校舎の中へと戻った。