「次のところは……藤島(ふじしま)さん」

 現代の国語の授業のときに、教科書に載っている物語を読むときがある。
 教科書の朗読なんて小学生のときまでだと思っていた私にとって、朗読の機会があるってこと自体が嫌だと思った。

「藤島さん、ありがとう」

 声が小さくても、先生は怒らない。
 怒られないなら、それでいいって思うかもしれない。
 でも……。

「次は、織原(おりはら)さん」
「はいっ」

 クラスに、物語を読むのがとても上手な男の子がいる。
 それが、私の左隣の席に座っている織原くん。
 織原くんが物語を読むと、クラスの空気が変わるのがわかる。
 眠そうにしている人も、教科書に視線を向けていた人も、みんなが織原くんに注目する。

「凄く感情が込められていたから、みんなの注目集めちゃったね」

 クラスのみんなから、織原くんに拍手が送られる。
 これが、現代の国語の授業に決まって行われる定番行事。

「藤島さん」

 今日の授業では、もう指名されない。
 こっそりと溜め息を吐き出そうとしたところ、更にこっそりとした声が左の席から届けられる。



『やっぱ好き 藤島さんの声』



 ノートに綴られた、織原くんの文字。
 私が文字を認識できたと確認できた織原くんは、前を向いて再び真剣に授業へと向き合った。

(私の声を知ってる人なんて、ほとんどいないのに……)

 私の声の、どこに魅力があるのか。
 織原くんの朗読を聞いていると、素直に織原くんの声の方を羨ましいと思う。
 どうして同い年なのに、ここまで声に差が出るのか。

(怒られなければ、それでいい……)

 違う。
 本当は私も、織原くんみたいに綺麗に話せるようになりたい。
 先生に言われたことをやるだけじゃなくて、織原くんみたいにもう少し先に私も進んでみたい。

(そう思っているけど……)

 自分の声を隠してくれるマスクという存在から、いつまで経っても卒業できない。

「織原が好きなの?」

 授業が終わったあと、私は友達と楽しそうに話す織原くんに視線を向けていたらしい。
 クラスメイトの指摘を否定するために、私は首を大きく横に振る。

「さっきから、織原の方ばっかり見てる」

 また、首を大きく横に振る。

「思いっきり否定するところが怪しい」
「藤島さんで遊ばない。可哀想でしょ」
「ごめん、ごめん」
「藤島さんはね、純粋なんだからね」
 
 可哀想という、言葉の意味が分からない。
 純粋という、言葉の意味がよく分からない。
 自分を称する言葉として、中学の頃くらいから使われるようになった。
 藤島さんは純粋だから私たちとは違うって、いつの頃からか線引きをされるようになった。