「色が生まれる瞬間に、なんか……こう、生きてるって実感を持てるんだ」

 私が生きる世界から織原(おりはら)くんがいなくなった日の夜、私は夢の中でマスクをつけていない織原くんと再会した。
 夢の中でも私たちは互いに赤と黄色のチョークを握っていて、チョークアートを完成させたいっていう二人の夢が叶ったのかなって自惚れてみた。

「一色では表現しきれない世界があるのに、藤島(ふじしま)さんと一緒なら世界が広がるっていうのかな」

 私が赤を塗って、織原くんが黄色を重ねて。
 新しい色が生まれる瞬間に、私たちは立ち会っていく。

「二人でなら、なんでもできそうな気がしてくる」

 夢の中のせいか、私は夢の中で声を出すことができない。
 現実と同じ。
 私は一方的に織原くんの話を聞くことしかできないことがもどかしい。
 これが最後だって分かっているのに、声を出すことができない夢に苦しくなる。
 神様が意地悪しているのかもしれないけど、これが声を閉ざしてきた私への罰ということなのかもしれない。

「もっと遠くまで行けるんじゃないかなって」

 手を繋ぐ。
 寒さを感じない夢の中では、互いに手袋をつけていない。
 織原くんの熱に触れながら、私は首を縦に振った。
 織原くんの夢を、私は肯定した。

「藤島さんが、俺のいなくなった世界を愛してくれますように」
 
 手を、握り返される。
 そして、織原くんの穏やかで優しい笑顔が。
 私が心から大好きだと思う織原くんの笑みが、私を受け入れてくれる。

「俺の夢を叶えてくれた藤島さんが、愛ある世界を生きられますように」

 私は、織原くんでではない。
 だから、私が彼になることはできない。
 織原くんが抱えてきた病気を私が受け取るよって意思を示しても、私は夢の中でも現実でもずっと健康なまま。
 それでも望んでしまう。

(織原くんが抱えてきたもの、もっともっと手渡してほしかった……)

 伝えたい言葉は声にならない。
 それなのに、織原くんはもうこれ以上、手を繋ぎ合うことはできないってくらい深く指を絡めてくれる。
 織原くんの行為には、ありがとうって気持ちが付いてくる。
 言葉にならない感情を、気持ちを、織原くんは全身で私に伝えてくれる。

「死んだあとに待っている世界は、決して悲観的なものではないんじゃないかなーって」

 これは、未来ある死。
 織原くんは、そんな言葉を付け加えた。

(上手く笑わなきゃ……綺麗に笑わなきゃ……)

 彼は、笑っている。
 でも、今なら分かるよ。
 これは、作り笑顔だって。
 私に心配をかけないための、最後の作り笑顔だって。

「……織原くんっ!」

 彼を呼び止める、その言葉だけは声になった。
 あんなにも窮屈な世界に閉じ込められていた私の声が、ようやく声になった。

「藤島さんの声、今日も綺麗だね」

 クラスメイトにほとんど聞かせたことのない私の声を気にかけてくれたのは、いつの頃からだったのか。

「俺ね、藤島さんのこと……」

 たった独りで生きてきたと思っていた高校生活を、こんなにも近くで見守ってくれた人がいた。
 彼の声を覚える最後の機会に、心にできた空白が埋められていく。