くしっ、と彼女は目を乱暴に拭った。
けれど、誤魔化すのは無理だった。目元は腫れ、充血を起こしている。
長い間泣きはらしたのは、明確だった。
それでも、彼女は真っ直ぐ俺を見据えて、言った。
「とし……ううん、新城くん。なにしに、来たの?」
その声色は、まったく震えていなかった。小柄なのに、俺なんかよりよっぽど強い。
俺は深呼吸を繰り返してから、どうにか言葉を絞り出す。
「楓に、どうしても伝えたいことがある」
「なに?」
「俺……俺は、楓に生きてほしい」
楓が目を見開いたのがわかった。慌てて両手を隠すと、キッと俺を睨んできた。
「どこまで、知ってるの?」
「ぜんぶ、ぜんぶ知ってる」
「そっか……あの子から聞いたんだね」
楓は、くるりと俺に背を向けると、改札のほうへ歩き出した。
俺は慌てて彼女の腕を掴む。
「待てって」
「やだ」
「なんで」
「そんなの、決まってるよ……」
楓が振り返る。
「私だって……俊哉くんに生きてほしいもん……」
見たことないほど膨れた目元に、また涙が滲んでいた。
彼女の気持ちが、痛いほどわかった。
俺も同じだから。
俺も、楓に生きていてほしいから。
けれど、もう時間がなかった。
死神の少年が言っていたことが本当なら、彼女の契約の期限は今日までで、あと30分もない。
「楓、お願いだ。俺と手を繋いでくれ」
「やだ」
「お願いだから」
「やだって、言ってるじゃんっ!」
彼女は俺の手を振り払うと、無人の改札をくぐり抜け、一目散に出口へと走り出した。
「待てって!」
ここで逃がすわけにはいかなかった。
俺は改札を跳び越えて楓を追った。
ここで0時を過ぎてしまえば、俺は一生後悔することになる。
そんなの、死んだほうがよっぽどマシだ。
「楓! 待て!」
「やだ! 私の代わりに俊哉くんが死ぬなんて、絶対いやだ!」
誰もいない夜の道を走った。
「俺だって、楓が病気で死ぬなんて絶対にいやだ!」
「病気なんだから、仕方ないじゃん! 俊哉くんが、代わりに死ぬのは、間違ってるよ!」
冷たい風を切って、踏切を越えて、小さな公園を抜けて、走った。
「間違っててもいい! 俺は、楓に……――」
その時だった。
横断歩道に飛び出した楓の真横に、トラックが迫っているのを見たのは――。
「あ……」
「っ……! かえでーーーーっ!」
俺は必死に手を伸ばした。
トラックに気づき、硬直して動けない楓。
鼓膜が破れそうなほどの、クラクションとブレーキ音。
いつかの日に聞いた音。
けれど、足は止まらなかった。
心の底から願った。
届け! 届いてくれ……!
必死に、とにかく手を伸ばした。
俺は、楓に、生きていてほしいんだ……――!
伸ばした指先に確かな温もりを感じ、俺は思いっきり引っ張った。
次いで、肺の空気がすべて出るほどの衝撃が、背中に走った。
「俊哉くんっ!」
大好きな人の声が、聞こえた。
大好きな人の温もりが、俺の腕の中と、右手にあった。
あと、0回。
俺の余命が、尽きた瞬間だった。