彼女と、楓と別れてから、2時間後。
俺はどうにか、家まで辿り着いた。
「……」
薄暗い自室に入ると、ふっと力が抜けた。よろよろとベッドに近づき、そのまま倒れ込む。
「…………」
意味が、わからなかった。
こんな結果になるなんて、夢にも思っていなかった。
今日、確かに俺は楓と別れようとしていた。
俺が死ぬことで、楓を悲しませたくなかったから。
楓の心に、一生消えない傷を作るようなことはしたくなかったから。
だから、楓と別れたくなかったけど、別れたかった。
――今日一日デートしてわかったけど、俺たちは合わない。一緒にいると疲れるんだ。もう嫌いになったから、別れよう。
俺は、そんな酷い言葉を伝えようとした。伝えようとしたのに……。
――私ね、俊哉くんと別れたい。
楓のほうから、普通に別れを告げられた。
あの後、楓から一方的にメッセージが来た。
俺のことが嫌いになったわけじゃないこと。
原因は自分にあること。
俺に甘えてばかりの自分が嫌いで、このままだとダメになるから距離を取りたいこと。
別れない選択肢も考えたけど、それだと中途半端になるから別れることにしたこと。
自分のことは気にせず忘れて、他に好きな人を見つけてほしいこと。
俺に感謝していること。
俺に、幸せになってほしいこと――。
「ははっ……俺、バカだ」
まったく気づかなかった。
楓の気持ちに、楓の悩みに、楓の苦しみに。
楓は俺の悩みに気づいて、そっと寄り添ってくれたのに。
恋人失格だ。
そもそも俺から別れを切り出す必要なんてなかった。
思い上がりも甚だしい。
どうやら俺は、楓の恋人に相応しくなかったらしい。
ほんと俺は、バカだ……。
「――お兄さん、こんばんはー!」
「うわっ!」
急に聞こえた声にびっくりして跳び起きる。そのままの勢いで、俺はベッドから転げ落ちた。
「お兄さん大丈夫ー?」
「いっつつ……。お、お前は……」
「やあ、どうもー。お兄さんの命の恩人、死神でーす」
したたかに打った後頭部を押さえつつ視線を向けると、いつの日かに見た黒いフードの少年が立っていた。微かに見える口元には、相変わらず怪しい笑みが浮かんでいる。
「……なにしにきた」
「えーそんなの当然でしょー。お祝いだよー」
「お祝い、だと?」
傷心の俺にはまったく似合わない言葉だった。怒気を含めて問いかけたが、少年は気にも留めずに笑ったまま頷く。
「そうだよー。だって良かったんじゃない? 直前に、恋人のほうから別れを告げられてさ。これでお兄さんは、また事故とかに遭わない限り、老いて天寿を全うするまで生きることができるんだ。これをお祝いしないでどうするのさー」
「……っ! お前、な……!」
少年の言葉に、思わずぶん殴りそうになった。
今の俺に、そんな感慨は微塵もない。
ただただ悲しくて、悔しくて、不甲斐ない自分が腹立たしくて……。
というか、こいつはほんとなんなんだ。喧嘩を売っているんだろうか。
「まあ、そういうわけで、これからは車に気をつけて、しっかり生きていってねー」
「……」
「あ、それともうひとつ。一応フェアにしておいたほうがいいかなってことで、お兄さんにも伝えておいてあげるよ」
「フェア? 伝える?」
いよいよわけがわからなかった。まったくもって意味不明だ。
混乱する俺に、少年の笑みが、これ以上なく深まった――。
「伝えることは2つ。その1つ目は、僕はお兄さんの恋人、樋本楓とも契約を交わしてたんだ。彼女は不治の大病を患っててね。病気を治してほしいなら、恋人である新城俊哉と、2週間以内に100回手を繋ぐように、ってね。もちろん簡単に達成されちゃ困るから、お兄さんには言っちゃダメって条件付きで。あ、そういえば、お兄さんと会ったすぐ後だったっけ。すごい偶然だねー」
「え……?」
「そして2つ目。僕は契約期限の前日となった昨日に、今日みたく彼女にお祝いを言いにいったんだ。どうやら達成できそうだねーって。そうしたら、『俊哉くんが最近元気ないんだけど、知ってることあったら話して』なんて言うもんだから、お兄さんの余命のことを喋っちゃった。死神は嘘をつけないからねー。いやー、鋭い女性には困っちゃうねーほんと」
「な、なにを、言って……」
「じゃ、僕は確かに伝えたからね。またねー、お兄さん」
それだけ言うと、少年はまた忽然と姿を消した。
めまいがした。
胸が、張り裂けそうだった。