きみは、月の光

 私と昴の毎日は、いつも夜9時に始まった。
 学校の校門で待ち合わせをして、音楽室で私が『月の光』を弾く。彼は、そんな私を微笑ましげに見守っている。そんなふうに私を見ているだけで楽しいのかと聞いたら、彼はいつも、「もちろん」と答えた。
「てかさ、私は校長先生から許可取ってるからいいけど、昴の方は単に不法侵入者にならない?」
 ふと思ったことを口にすると、昴は「人聞きの悪い」と口を尖らせた。
「僕が不法侵入者なら、きみは僕の犯罪に協力した共犯者になるけど?」
「あ、そっか」
 昴はしてやったりという顔で、私を見つめる。
 彼に一本取られた私は、得意げな様子の彼の顔を見ていると、笑いが込み上げてきた。
「ふふ、まあ、共犯者でもいっか。昴はいい人にしか見えないから、きっと警察も許してくれるって」
「いやいや、いい人そうな人ほど何しでかすか分かんないよ?」
 屁理屈を並べ立てる私たちは、すっかりお互いの会話のリズムにお互いがはまっていた。その日もいつも通り私が音楽室でピアノを弾き、彼は私の演奏を褒めた。私が試しに「昴も弾いてみなよ」と言うと、かえるの歌を片手で弾き始めた。月明かりの差し込む教室にはまったく似合わないその選曲に、私はお腹を抱えて笑った。
「きみはいつも、そうやって僕のことを笑ってるけど、僕だって音楽こそできないけどスポーツは得意なんだ」
「え、そうなの? 例えばなに?」
「サッカー。小さい頃からやってたから、めちゃくちゃ走るの速いよ」
 昴がサッカー少年だというのはとても意外な事実だった。色白なので、家に引きこもっていることが多いのかと思っていたから。でも、サッカーが得意だと聞いたあとの私は、胸の高鳴りが抑えられなかった。
 なんだそのギャップ。
 とっても素敵で、とっても羨ましい。
 彼がサッカーをする姿を見てみたい。
「そんなに上手いなら、見てみたいよ」
 無理だと思いつつ、気づいたら口から本音がこぼれ落ちていた。きっと、「無理だって」と笑われるだろうと思った。でも私の予想に反して、彼はまったく真面目な表情で、
「いいよ」
 と頷いた。
「明日の夜、サッカーボール持ってくるから、公園でやろうよ」
 昴の目が、好きなものを前にして輝く少年の瞳をしていた。その目が、月の光よりも何よりも綺麗で、数秒の間何も考えずに彼のことを見入っていた。
「どうする? 嫌だったら、いいけど」
 なかなか返事をしない私に、昴はそう問いかけた。
「いや、公園行くよ。てか、行きたい!」
 弾むような声でそう答えると、昴は待ったましたと言わんばかりに笑顔で頷いた。
 月の光が、今日も優しく音楽室を照らしていた。