「僕は奄美昴と言います。2年生です」
すばる、という響きがぴったり似合うその人は、なんと私と同い年だった。
1年生の時、彼の姿を見かけたことはない。さっき、「久しぶりに学校に来た」と言っていたから、もしかしたら不登校なのかもしれない。
「私は、成瀬光莉です。私も2年生なんですけど、ちょっと事情があってこの学校は辞めてしまってて。今は通信制の学校で勉強しています」
嘘だった。勉強なんてほとんどしていない。私はただ毎晩、目が覚めてここでピアノを弾いているだけ。私は、彼からすれば辞めた学校で、夜に忍び込んでピアノを弾く不法侵入者に映っているだろう。
その証拠に、昴は思ったとおり目を丸くしていた。
この学校の生徒ではない私が、どうして夜に忍び込んでピアノなんか弾いているのか。
彼の目には、そんな当たり前の疑問が浮かんでいる。
「私……、『夜行症』っていう病気で。夜にしか起きられないんです。それで、家だと近所迷惑になるから、夜にこの学校の音楽室を使っていいって、校長先生に許可をもらってて」
なぜ、彼に自分のいちばんプライベートなことを話したのか、自分でも分からない。
今まで、家族以外に自分の病気のことを話したのは、仲が良い友達数人だけだ。それ以外のこの学校の同級生は、私が転校でもして辞めたのだと思っているだろう。
「昼間、光を浴びると体調がおかしくなるの。脳の誤作動だって。だから私の楽しみは、夜にこの学校でピアノを弾くことだけなの」
私の口から紡ぎ出される、半ば信じがたい話を、彼は一体どんな気持ちで聞いているのだろうか。一通り、私が事実を話し終えた後、彼はじっと黙り込んで何かを考えているようだった。
やがて闇が彼の存在を消してしまうのではないかと思われた頃に、ようやく彼は口を開いた。
「僕は、きみに会えてラッキーだ」
「……え?」
予想もしていなかった反応を見せる昴のことを、私は異世界の住人でも見るような心地で見つめてしまう。
昴は今、なんて言った?
私に会えて、ラッキーだって。
そんなのおかしい。私は、普通の人間とは違う。夜の学校でピアノを弾くことしかできない、何の面白みもない人間なのだから。
私が不思議に思っていると、彼はそんな私の心境を察してくれたかのように、再び口を開いてこう言った。
「僕さ、おばあちゃんと二人暮らしなんだよね。おばあちゃん、最近物忘れがひどくて、一緒に過ごすのがちょっと苦痛だったんだ。だからこうして夜中に家を抜け出して学校まで来た。宿題を忘れたっていうのは本当だけど、半分はなんとなく家にいづらかったからなんだ。おばあちゃんは、僕が夜に外を出歩いても何も言わない。夜にしか過ごせないっていうきみに会って、僕は良い話し相手ができたと思ったよ」
暗闇の中でも、彼がにっこりと微笑んでくれているということが分かり、私の胸はじんわり熱くなった。
夜にしか生きられない私を、必要としてくれる人に出会えた喜び。
その人が、私の大好きな『月の光』を、自分も好きだと言ってくれた。
私の人生で、一番嬉しかった瞬間だった。
「そう言ってくれて嬉しい……。良かったら、私と友達になってくれない?」
友達になって、だなんて、未だかつて誰かに伝えたことはなかった。友達なんて、わざわざお願いしなくても、自然になれるものだったから。
けれど、特異な体質になってしまった私は、誰かと友達になることさえ、怖かったのだ。
「もちろん!」
彼が、白い歯を見せて笑う。
『夜行症』という珍しい病気を発症し、絶望しながら少しずつ日々を積み重ねて一年。
私は今日、きみという光に出会ってしまった。