きみは、月の光

「昴!!」
 私が彼の名前を叫んだのと、玄関の扉が勢いよく開かれたのが同時だった。
 昴が、鬼の形相をした女の人に、袖を捲り上げられた左腕を掴まれたまま、玄関扉を蹴って開けていた。30代後半ぐらいの女の人は乱れた髪の毛に、白目を血走らせ、昴を決して離すまいと必死になっている。玄関に据え付けられたライトがぱっと光ったせいで、女に掴まれている昴の腕が、赤く変色しているのが見て取れた。
「光莉……?」
 私の姿を目にした昴が、亡霊でも目にしているかのように驚愕で目を見開いていく。
「昴、こっち!」
 私は彼に駆け寄って、空いている右手を掴んだ。子供とはいえ、二人分の体重に負けた女の人の手が、昴の左腕から離れた。
「誰だ、お前は!?」
 彼女の発狂しそうなその声が、私たちの全身に浴びせられて、恐怖で足がすくんだ。でも、私を見つけて我に返ったかのように歯を食いしばっている昴を、これ以上この人のそばに置いておきたくなくて、私は昴の手を握ったまま走った。
「待ちなさいっ!」
 母親と思しき人物は玄関からそう叫びながらも、私たちを追いかけようとはしてこなかった。近所の人に見つかるのが怖いのだろうか。私たちは昴の家から少し離れたところで、二人で膝をついて息を整えた。
「はあ、はあ。光莉、どうしてここに。こんな時間に……」
「だって……だって、昴の様子が変だったんだもん!」
 私は、イルミネーションから帰る時の昴の様子や、身体から覗く痣が気になって、今日を逃すともう会えないかもしれないと思っていたことを話した。
 昴は罰が悪そうに俯いて、「……そうだね」と呟いた。
「もしかしたら、光莉の言う通り、僕はもう光莉と会えなくなっていたかもしれない」
 昴の瞳がいつもとは違い、暗い深淵に沈んでいくようなくすんだ色をしていた。
「昴……何があったの?」
 彼の抱えているものを、私はすべて知りたかった。同情なんかじゃない。私は彼の心を、守りたいと思った。
「それは——」
 昴が口を開きかけたところで、背後から「昴ー!!」という怒号が再び聞こえた。反射的に私たちの身体が跳ねる。
「か、母さん……!」
 振り返った昴の顔が恐怖で引き攣った。あの母親だ。やっぱり追いかけてきたのだ。私は咄嗟に、震えている昴の腕を引っ掴んだ。
「逃げようっ」
 私の叫び声を合図に、昴の足が呪いから解かれたかのように動き出す。私は、痺れるほど消耗していた体力をもう一度奮い立たせるように、身体に鞭を打って走り出した。
 今逃げないと、昴とはもう会えない。
 それだけは絶対に嫌だ。私は、昴と出会ってたくさんの光を知った。二度と日の光を浴びられなくなった私が、たった一つ見つけた希望。

 月は、気がつけば西の空に傾いていていた。
 こんな時間に外にいたことはない。寒くて仕方がないはずなのに、昴と一緒ならば寒さなどまったく感じられなかった。電車もバスも動いていない時間帯なので、私たちは追いかけてくる昴の母親から必死に走って逃げるしかなかった。