今日は誰かと話がしたい。だから、いてくれたらいいのに。
 そう思う夜は不思議といつも、雀が待っていてくれた。

「あれ、なんか嫌なことあった?」

 七生の顔を見るたび、彼女はそう言い当てた。バツが悪そうに黙り込む七生とは対照的に、雀は桃色の唇はほころばせた。

「七生、思ってることがすぐに顔に出るよね」
「顔に出るだけなら、まだいいんだけどな」

 数年前、まだ怪我をする前のこと。当時日本男子のトップを走っていた選手に対してのコメントを求められたとき、『三年後には追いつける』と口走ってしまい彼のファンから『傲慢だ』と大バッシングを食らった。
 彼は卓越したスケーティング技術と表現力を持っていたけれど、四回転ジャンプの確実性が弱点だった。三年もすれば、七生や瞬太といった若手選手との実力が逆転するのは客観的事実ではあったが……。

(事実が一番人を傷つける。身をもって知ることになるとはな~)

 謝罪しに行った七生に、『三年は傲慢すぎる。五年はかかることを証明してやるよ』と明るく笑ってくれた彼は、実力も人格も偉大なチャンプだ。

「すぐ言葉にもするから、『失言王子』ってネタにされる」

 七生のぼやきを、雀は楽しそうに笑い飛ばす。

「たしかに。不登校の私にも無神経な発言したしね~」
「やっぱり怒ってたのか」
「私は怒っていないけど。でも普通は怒られるから言っちゃダメよ」

 七生をたしなめるその様子は本物の彼女のようで、『ごっこ』遊びを真実と錯覚しそうになる。

「で、今日はなにがあったの? 優しい彼女が愚痴を聞いてあげるよ」

 ストンとベンチに座る、雀のひらひらしたロングスカートの裾がふわりと揺れた。

「……コーチと喧嘩になった」

 実の母親とはいえ、氷の上では師弟関係だ。だから普段の七生は従順だ。あんなふうに反抗したのは初めてかもしれない。

『自分のために滑らせてくれ! どうして、あんたと夢を共有しなきゃならないんだ!』

 自分が母に投げつけてしまった言葉が心にズンとのしかかる。
 彼女は紙一重のところでオリンピック出場を逃し、失意のままに引退した。だから、オリンピックに賭ける思いは七生本人より強いくらいだ。順風満帆だった頃は、決してリップサービスではなく本心から『母のためにもオリンピックに出たい』と口にしていた。

 でも今は……跳べない自分が背負うには、オリンピックという夢はあまりにも重すぎる。

「私、七生のスケート好きだよ」

 一番星の笑顔が、夜の闇にキラキラと輝く。
 ほんの一瞬、嬉しく思ってしまった自分がなんだか恥ずかしい。七生はしかめ面で突っ込む。