「おつかれさま、七生」

 いつもの、駐車場前のベンチ。そこに座っていた雀が七生を見つけて立ちあがる。

「あのさ、森川――」
「雀!」

 七生の言葉を遮って、雀は片頬を膨らませてこちらをにらむ。

「何度も説明したでしょう。七生と私は幼なじみなの。スケートをがんばる七生を私は小さい頃から支えてきて……。大きな大会で金メダルを取った夜、七生はついに私に告白。そして恋人になったの。それなのに名字呼びはおかしいでしょう?」
「俺、大きい大会で金メダルは一度も取ったことない……」

 全盛期ですら、自分はわりとシルバーコレクター気味だった。金メダルにはあと一歩届かないタイプの選手だ。

「それに、幼なじみってなんか古くないか? 昔の少年漫画みたい」
「じゃあ今どきっぽく、マッチングアプリで知り合ったことにする? なんか青春ポイントがさがらない?」

 正直、『ごっこ』にしても恋人らしさは微塵もないが、それでもつらい練習のあとに待っていてくれる人がいる。それも、かわいい女の子というのは想像以上に気分があがる。

「ほら、座って」

 雀はベンチの自分の横をポンポンと手で叩く。

 雀と初めて出会った夜から一週間。
 七生の練習は毎日だが、彼女は毎日やってくるわけではない。けれど来なかった次の日は、たいていやってくる。いつも、車のなかでひとり母を待っていた一時間が彼女とのデートタイムに変わった。

 雀はマフラーみたいな生地のチェック柄の小さなトートバッグから水筒を取り出す。蓋になっているコップに琥珀色の液体を注ぐと、白い湯気が立ちのぼった。

「はい。ホットレモンティー。七生はアスリートだからお砂糖は入れてないよ」
「……どうも」

(これはちょっと、彼女っぽいかも)

 意識すると妙に照れくさくて、コップを受け取るときに彼女の手に触れないようビクビクしてしまう。そんな七生の心情を読み取ったかのように、雀はクスリとする。

「ふふ。スポーツする彼に差し入れって、彼女っぽいよね」
「恋人のイメージがいちいち古いな」

 自分だって同じことを思ったくせに、憎まれ口を叩く。

「今日の練習はどうだった?」
「う~ん、あいかわらず。でも久しぶりに一度だけ四回転サルコウを回りきれた」
「おぉ! 知ってるよ~、四回転って難しいジャンプなんでしょう」

 雀は、もはやタレント並みの人気を誇る白雪依子のファンというだけでフィギュアスケートという競技にそう詳しいわけではない。でも、それがかえって気楽だった。
 彼女は多分、七生の崖っぷち具合を理解していない。だから本心で『がんばれ』と応援してくれる。七生が最近聞く『がんばれ』はどれも、〝かなり厳しいと思うけど〟という心の声つきだったから。