二〇××年、札幌。冬季オリンピック。

 いつもと同じように、コーチが力強く七生の背中を叩く。

「ここは、七生が自分の力でつかみとった舞台よ。ラスト一秒まで、自分のためだけに滑っておいで」
「はい」

 これまでの日々を噛み締めるようにうなずいて、七生は飛び出していく。
 彼女の待つ、まっさらな銀盤に――。

『さぁ、大怪我から奇跡の復活を遂げた生駒七生の演技が始まります。勝負のフリープログラムは【子雀(こすずめ)に捧げる歌】』

 雀が旅立ってしまったあの日から、リンクは七生にとって闘いの場ではなくなった。

 ここに来れば、いつでも雀に会える。何度氷に叩きつけられても、彼女の優しい手が助け起こしてくれるから痛くはない。ふたりきりの、甘く幸せな時間が永遠に続くのだ。

 大勢が固唾をのんで見つめる静かなリンク。そこに美しい旋律が流れはじめる。

 雀がふわりと天から降りてくる。暗闇のなかにいた当時の七生を照らしてくれた、あの一番星みたいにきらめく笑顔で。

『流れのある、美しいジャンプ! これまでのジャンプ、すべて大きな加点がついています』

 なにも考える必要はない。ただ雀と、手を繋いで踊るだけだ。大好きな彼女の笑顔が見たい、理由はそれだけ十分だった。

『そして、生駒七生はジャンプだけの選手ではありません。このあとのステップも、大きな武器となります』

 ドラマティックに盛りあがる音楽に応えるように、七生のスケートもぐんぐんと加速していく。
 深いカーブを描いて、足元が旋律をなぞっていく。大きく、しなやかに七生は舞った。

『さぁ、最後のジャンプです。今大会で三人が挑戦している、最難関の大技、四回転アクセル。――お、降りたぁ! 成功です。これは……きっと……』

(まだ終わらないでくれ。もっと、もっと、雀と一緒にいたいんだ。手を繋いで、ずっと、ずっと、ずっと……)

『圧巻の演技でした、日本の生駒七生! キス&クライで点数を待ちます。現在の一位は同じ日本の八神瞬太。ふたりのどちらに五輪の女神はキスをするのか……で、出ました! 生駒七生の得点は――』

 キス&クライ。
 フィギュアスケート競技において、選手が得点を待つ場所。ショートプログラム出遅れからの大逆転、一点にも満たないわずかな差での明暗、祝福のキスと頬を伝う美しい涙。この小さな空間で、様々なドラマが生まれてきた。
 そしてこれからも、生まれ続けることだろう。

                                                     END