四神邸に向かうことになったが、とても立派な漆黒の車が迎えに来た。
お金持ちの人しか乗れないだろう車だ。四神家はきっと計り知れない財産を所有しているのだろう。
国をも動かす権力があるという噂もある。
さっき聞いた一億という言葉が頭をかすめる。
お金よりも愛情が欲しい。この人ならば、愛情を注いでくれるだろうか。
見上げると彼はこちらをじっと見つめて丁寧に車の扉を開けて座るようにうながした。
「愛情ならばいくらでも注ぐことは可能だ」
心を読まれていたとは。それほどまでに、強い願望があったのだろうか。
恥ずかしい。でも、そっと寄り添ってくれる四神至という人をもっと知りたくなった。
こんな歌恋にでも、優しくしてくれる人。救ってくれた人。これから居場所ができるかもしれない。
光が少しだけ見えたような気がする。
まるで今、夜に走る車のライトの如く、わずかな光が少しずつ前向きにしてくれるかもしれない。
「四神の家には連絡してある。部屋はとりあえず準備してある」
事務的に淡々とした口調で話す至。感情があまり見えない。
「心配するな。後日ちゃんとした部屋を準備するから」
まなざしが柔らかい。
美しい人だ。女性だったら美人枠間違いなしだ。
それに比べて、歌恋は背が高いわけでもなく、女性的な魅力を持ち合わせているとは思えない。
直感と言っていたけれど、赤い糸が見えるらしいけれど、本当に私でいいのだろうかと不安がよぎっていた。
今まで男子に告白されたこともなく、恋愛とは無縁だった。
交際したこともないのに、急に結婚前提で同居だなんて、話が早すぎる。
よくよく冷静に考えてみると歌恋は本当に無能だと思う。
秀でた才能もないし、勉強が特別できるわけではない。
普通という言葉がぴったりの人間。
特別という言葉は似合わないと思う。
でも、横に座っているのは特別な人だ。
「こんな私ですが、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
照れくさいな。こんなに近いと息遣いも感じてしまう。
運転手が丁寧な運転で森の方へ向かっている。
こんなところに自宅があるのだろうか。
「俺の転校の準備は既に進めてあるから、学校でも俺が歌恋を守るよ」
「私でいいのでしょうか?」
再度確認する。
「歌恋でなければだめなんだ」
この人は照れることなく歯の浮くようなセリフを無表情で吐く。
恋愛に不慣れな歌恋にはハードルが高いことばかりだ。
心臓がさっきからドクドクして胸を締め付ける。
森の中に大きな洋館がそびえたつ。
あまり目立たない場所に四神家はあるらしい。
「四神の家は全国にある。ここは、その一つに過ぎない。嫁となる女性の近くで生活することが四神の家の当たり前だからな」
「四つの神様がご先祖様なの?」
「四神の家は世襲制度で四つの名前を継承している分家の者がいる。皆、親戚だ」
「四神さんと呼んだらいい?」
「至でいいよ。この家に慣れたら今後は一緒に死神の仕事を手伝ってほしい。その報酬が生活費や支援金なんだ。支えてもらうことが配偶者にとって大切な仕事となる」
「こんな私でもお役に立てるのかな」
「当然だ。俺たちは結婚するのだから、俺が判断したことだから大丈夫だ」
結婚という言葉はあまりにも自分には無縁で考えたこともなかった。
日々生活することで必死だった。
本当に結婚することになるのかときつねにつままれたような気がしてしまう。
「ここが我が家だ」
素敵なデザインの家具がたくさんある。アートとかオブジェのようなものもある。
「おまちしておりました」
メイドさんや執事のような人がたくさんいる。皆一堂に礼をする。
ずいぶんと歓迎されているようだ。
「待ってたのよ。はじめまして歌恋さん」
出てきたのは上品で美しい女性だ。見た目は若い。お姉さんだろうか。
「至の母です」
お母さんは何歳なのだろう。若いなぁ。至に似ているなと思う。
「はじめまして。お待ちしておりました」
イケメンのお兄さんがやって来た。至に顔立ちが似ている。
「至の父です。よろしくね」
お父さんというともっと威厳があって、ダンディーなのかと思っていたけれど、普通の大学生みたいに見えるな。
年齢不詳すぎて親だという感じもない。
「私、娘が欲しかったのよ。かわいいお洋服をたくさん用意しているから、好きに使ってね」
おちゃめなお姉さんみたいなお母さんはウインクをする。
「お母様は元々は普通の人間だったのですか?」
「そうよ。高校生の頃に彼に出会って、大恋愛の末に結婚したのよ。死神の花嫁はあまり歳を取らないのよね」
嘘みたいな本当の話だ。
「死神はとても深く一途に配偶者を愛する生き物なの。だから、女性にとってこの上ない幸せなのよね」
「このおうちにはいつもお母様方も住んでいるのでしょうか?」
「四神の家は、全国にあるの。ここは生活拠点にしているから比較的いることが多いけれど、その時によって対象者が変わるからいつもいるわけじゃないのよ」
「妻の清華にはずっと一緒に仕事をしてもらっている。公私共にずっと一緒なんだ。かけがえのない妻だよ」
お父さんが微笑む。お兄さんと言ったほうが見た目はしっくりくるんだけど。
「弟の戦は今日はお仕事で県外に行っているのよ。今度ご挨拶に伺うわね」
育ちのよさそうなお母さんはとても若くてかわいらしい。
「クールに見えるけど、すごく愛情深いのが死神族の特徴だから。仏頂面の至だけど、心の中は愛情でいっぱいなのよ」
そうなのかな。出会ってすぐに愛情が芽生えるものなのだろうか。
普通は少しずつ相手を知っていくものだよね。
結婚相手が死神なんて恐れ多いというか、なんというか。
まだ感情の整理がつかない。
この家に慣れるのはどれくらいの月日がかかるのだろう。
初めての家、初めての家族、初めての婚約者。
こんなに初めてづくしだと、正直どうしたらいいのかわからなくなる。
「疲れただろう。夕飯を食べて風呂に入ってゆっくり寝ればいい。明日は車で送迎する。そして、俺もおまえと同じ高校へ入学するから」
夢みたいな贅沢な時間を至はプレゼントしてくれた。
「こちらにお料理が用意してあります」
使用人の妙齢の女性が丁寧に案内する。
なんて長いテーブルなのだろう。そして、なんて豪華なディナーなのだろう。
ため息が漏れる。こんな料理は食べたことがない。
分厚いステーキに色鮮やかなサラダ。艶やかな白米にビシソワーズのスープが用意されていた。
鮮やかな食材が彩を倍にさせる。そういえば、今日はあまりちゃんと食べていなかった。
朝食は用意されておらず、わずかなおこずかいでおにぎりを買って食べただけだ。
最近、お金の事情があって、こっそりバイトを時々やっていた。
学校では進学に影響するからバイトは禁止ということもあり、あまり表立った仕事はできずにいた。
そんな時に、時々レストランの裏方で調理をしていた。
まかないもあり、非常に嬉しいことだった。
食に困ることが度々あり、親と学校にばれないようにバイトをしていた。
そのお金は時として食料となり、時として未来のための貯蓄となっていた。
虐待という言葉が浮かんだが、どれが虐待なのか、どこまでが許容範囲なのかわからなかった。
自分は違う。高校に通えているのだから、親は親の役目を果たしてくれていると言い聞かせていた。
「もっと早くに手を差し伸べてあげていたらよかったのにな」
寂しそうな顔をしてため息をつく至。
心から思ってくれているんだな。優しい人だ。
「初めての食事だ。俺も一緒に食べようと思うが、いいか?」
目の前には二人分の食事が置いてあり、断れるわけがない。
しかもここは四神の家だ。謙虚な人なのだろうか。
「もちろん。もっと至のお話がききたいな」
するとふいに少し表情が変わる。嬉しいと感じているのだろうか。
死神族は表情が豊かではないというのだから、わずかでも笑えば、心の底からの笑いなのかもしれない。
「俺は歌恋の話が聞きたい」
「何も話をするようなことはないよ。でも、私が好きなこととか、少しずつ話したいと思う」
テーブルに案内されて、すごく緊張する。白いテーブルクロスに食べ物をこぼしたらしみになるなと考えてしまう。
ナイフとフォークを使った食事には慣れていない。
無作法な人間だとすぐに化けの皮は剥がれるのはわかっていた。
「いただきます」
ていねいにおじぎをする至からは育ちの良さを感じる。
ナイフやフォークの持ち方から口に運び食する瞬間まで上品な所作をする。
この人の生きざまを食事から感じ取ることができた。
これから色々な場面で彼の本当の性格が見えるのかもしれない。
些細なことでも、彼を知ることができるのはとても喜ばしいことだ。
「口に合わないか?」
少しばかり心配そうな顔をする。
色々と考えていたせいで、つい口に運ぶのを忘れてしまっていた。
おいしい食べ物を前にしているにもかかわらず、至の美しい食べ方に見とれていたとは不覚だ。
「おいしいです」
美しい食べ物を少しずつ口に運ぶ。
これが光野歌恋の生き様というか食べ様だ。
少しばかり食器の音がしても仕方がない。
慣れていないのだから。
「学校ではどうなんだ?」
「普通だよ。転校してきても、私が普通過ぎて呆れちゃうかも」
「歌恋は歌恋らしくしていればいい。そのままでいいんだ」
優しいまなざしを向けられる。心地いいな。こんな感覚は本当の母がいた時以来かもしれない。
さっきまでのお母さんのハンカチのことが嘘のような気がする。
色々調べたっていうけど、どこまで調べたのだろう。
死神族にとって結婚相手を調べることは普通なのかもしれないけれど。
もし、至が好きになれそうもない人だったとしても、無理して結婚するのかな。
まだ恋というものを知らないし、愛なんてもっとわからない。
それでもきっと彼を好きになるのかもしれない。
無償の愛情を注いでくれる彼と永遠に一緒にいられるのならば怖いものはないような気がする。
それがイコール愛なのかというとまだわからない。
きっと恋からはじまって、深いところで彼を愛する日が来るのかもしれない。
もっと彼を知りたい。光野歌恋という存在を知ってほしい。
それが恋の始まりなのかもしれない。
ふわふわした気持ちの中で緊張しすぎて何を話したのかいまいち覚えていなかった。
美味しいという感覚とドキドキする緊張感と慕われるうれしさと。
たくさんの気持ちが入り混じった夕食となった。
「ごちそうさまでした。すごくおいしかったです」
「それは料理も喜んでいるな。この食卓には我々のために犠牲となった食べ物がたくさんある。肉や魚や野菜たちは命を我々に捧げてくれた。そのおかげで生きられるんだ。生きるということは連鎖しているんだよ。死神なんていう仕事をしていると些細な命だとしても考えさせられるものなんだよ」
今まで気づかなかった。小さな命に私たちは支えられている。無意識に食物となった生物たちは私たちを生きることへと導いてくれる。
「いただきますとごちそうさまは敬意を払って彼らを称えるための儀式なんだよ」
もっと冷たい人かと思っていたけれど、案外律儀で深い感謝の念を持った人なんだな。
まだ出会って少ししか経っていないけれど、すごく優しいなと思えた。
同時にこの人と出会えて、選んでくれたことに感謝の気持ちでいっぱいと感じた。
「これから入浴してゆっくり休んでくれ。部屋は整えてある。もちろん一人部屋だから安心しろ」
いくら婚約したからと言って至と同じ部屋に泊まるわけにはいかない。
もし、同じ部屋だったらなんて自分で考えておきながらはずかしくなって赤面しそうになってしまう。
一緒の部屋に泊まる時が来たらどうしたらいいのだろう。
ちらりと見つめると優しく見守ってくれた至は少しばかり口角が上がったように感じた。
もしかして、今の妄想を読まれてしまったのだろうか。死神の特別な力は時として赤面を倍増させる。
同じ家に住む同級生であり、結婚する相手に今日出会い今日から生活を共にするなんていう急展開。
事実をすぐにのみ込むことはまだ不可能だ。思考が追い付かない。
「こちらがお風呂になります」
案内されたのは大きなバスルームだ。バラの花びらが浴槽に浮かんでいていい香りがする。
いい感じに浴室は温かくなっており、ちょうどいい湿度だった。
「バラ風呂でございます」
バスタブにはピンク色の入浴剤が入っており、花弁は赤い色。
美しい景色が広がる。
「こちらは歌恋さま専用の浴室でございます」
「専用?」
思わず聞き返してしまう。この家はそれぞれの風呂があるのだろうか。
きれいに掃除が行き届いたお屋敷はやはり風呂場も丁寧な掃除が行き届いていた。
というのも、今まで家事全般を担っていたので、掃除の大変な場所は何となくわかる。
ここにカビが生えやすいとか、排水溝はぬめりやすいとか、ほこりがたまりやすいとか。
もう掃除をしなくてもいいのだろうか。
「とりあえず入浴させていただきます」
丁寧に一礼すると浴室に入った。
深呼吸をして今日一日の目まぐるしい動向を思い出す。
銀髪の美しい男性を思い出す。
今日の優しさを思い出す。
バラの香りと温かな湯に包まれて、私は目を閉じた。
久しぶりにこんなにゆったりとした気持ちになったような気がする。
何かに怯えることはない時間はずっとなかった。
いつも視線や言動に怯えていた。
四神の嫁という自覚を少しだけ感じる。
ゆっくりと体と髪を洗い、用意された寝間着に着替える。
シルクのパジャマだろうか。
この肌触りは初めてだ。
鏡を見てこんな私でいいのだろうかと疑問に思う。
なぜ九十日の命しか残っていないのだろうか。
今後、幸せな生涯を送ることができるのだろうか。
不安でいっぱいだけど、あの人の口角がほんの少し上がる時、少しばかりの幸せを感じる。
風呂上がりに、至がそっと声をかけてくる。
「おやすみ。ゆっくり休め。また明日」
冷たい雰囲気なのに言葉は優しい。
「おやすみなさい。素敵なバラ風呂をありがとうございました」
一礼する。
シャンプーもいい素材のものなのか、サラサラした手触りだ。
寝室は柔軟剤の優しい香りに包まれており、布団がふかふかして少しばかり慣れない。
優しさに包まれながら疲れていたのかいつの間にか眠っていた。
気づくと朝日が窓を照らしていた。
時計を見ると、そろそろ起きたほうが良さそうな時間だった。
今までならば、歩いて通っていたのだが、ここからは歩いて通えそうもない。
交通費がかからないからという理由で選んだ高校でもあった。
そこそこの進学校だったけれど、何とか独学で入学した。
妹は小さな頃から塾や習い事をしていたけれど、どれも長続きはせず、勉強もあまりできるほうではないようだ。
歌恋はコスパのいい娘。そんな言葉を耳にした。
育児にコスパなんていう概念があること自体、親の考えが乏しい人間だということを痛感していた。
でも、親を選ぶことはできない。親には育てる義務があり、できるだけ親の元で生きるように国は方針を定めている。
そうとうな事件でもない限り、簡単に施設に入る手続きなどは、無力な子供にできるわけがない。
ずっと我慢をして生きてきた。
長い髪の毛も美容院代の節約のため、ただ伸ばしていた。
枝毛がひどいかなと最近感じていた。
昨日浴室で使用した洗い流すトリートメントは一度使っただけで髪がさらさらになり、傷んだ髪が補修されているような気がする。やっぱり特別なトリートメントなのかな。贅沢すぎる品物だ。今朝は洗面所にある洗い流さないトリートメントをつけてみる。黄金色のきれいなボトルに入った新品のトリートメント。少しつけただけで、いい香りが広がり、つやが出る。
制服に着替えて、リビングへ行くと、お父さんお母さんと至がいた。
まるで兄弟のように和やかで美しい風景だ。
朝食もホテルの食事のような洋食のあっさりしたベーコンサラダとスクランブルエッグ。
分厚い食パンにバターが塗られていた。
野菜と果物のスムージーが鮮やかな色を発していた。
栄養のバランスが満点な朝食。
パンの耳を口にする機会が多い私には、厚切りのふわふわした食パンは相応ではないような気がする。
慣れないメニューに贅沢を感じる。
「いただきます」
手を合わせてから、食パンを口に運んでみる。
何、これ。給食の食パンとは全然違う味がする。
中にバターが染み込んでいるというか、なんとも贅沢で美味しい。
サラダのレタスはシャキシャキしていて西洋野菜なのか見慣れない野菜も混じっていた。
ドレッシングも初めて食べる美味しいお味。
シーザーサラダというのかな。
「どう? お口に合うかしら?」
優しく目を細めるお母さんは一般的なお母さんとは違うように思えた。
苦労を感じさせないガ―リーなファッションに優しい口調。
品があって、夫を愛する尊敬できる女性だ。
お父さんも若く見えるし、至よりはずっと穏やかな表情をしている。
本当に死神なのだろうか? 怖いよりも美しいという印象が強い。
たくさんの死と向き合う仕事をしているのに、こんなにも穏やかなんて不思議だ。
「今日から同じクラスに転校させてもらうことになったから、一緒に登校するぞ」
当たり前のように手続きを済ませ、至は同級生になっている。
「よろしくおねがいします」
改めて挨拶をすると、ご両親も至も丁寧にお辞儀をした。
初めての豪華な朝食を見ていると、きつねにつままれているのではないか?
実は夢だったというオチではないかと不安になる。
きつねの嫁入りと呼ばれるお天気雨の日に出会った。
もしかしたら、何かのいたずらで、全部嘘なのかもしれない。
でも、嘘でもいいから、優しい家族と共に生きていたい。
そんな願望が芽生えていた。
血のつながりよりもずっと深い絆。
「車を用意してあるから、あとは登校するぞ」
食べ終わるといつの間にか制服に着替えている。
いつの間に制服を揃えたのかもわからないが、四神の家は普通ではないのだから、何でもできるのかもしれない。
四神家だからという言葉で片づけられる。
長身に細身の体型にブレザーは良く似合っていた。
銀髪の生徒なんていないからかなり目立つであろうと予想はできる。
しかも、美しい顔立ちにモデルのようなスタイルが目立つ。
この人と一緒に登校して交際を公にするのだろうか。
不安もつきまとう。
出る杭は打たれるのが学校社会だということはわかっていた。
目立たないように生きてきたのに、こんな素敵な人といたら、目立ってしまう。
「行こうか」
「いってきます」
新しい家族に挨拶をする。
また昨日の車に乗る。運転は安全運転で揺れが少ない。
こんなに丁寧な扱いを受けるなんて。
「こんなに早く転入手続きをできるの?」
「今はまだ仮入学だが、手続きを進めている。歌恋一人で行かせるなんて心配なんでな」
「学校では婚約のことを公にするの?」
「当たり前だ」
でも、死神族だからこんな時期に転入できるのだろうし、一目でわかる銀髪の特徴はすぐにばれてしまうだろう。
好きとか嫌いとかそういうことを表現して生きてきたことはない。
なんだかムズムズするな。
校門の前に車が停まる。いつもと違う景色と空気に包まれる。
こんなに立派な車が停まることは滅多にないし、皆が振り返る。
背の高い美男子が車から降りると女子のまなざしが痛い。
そして、おまけのような歌恋を好奇のまなざしが刺す。
目立っていることに冷や汗だ。
「銀髪の美男子ってもしかして……」
「死神とか?」
「転校生かな?」
「横にいる女子ってうちの学校の生徒?」
そんな声が耳に入ってくる。
この学校の生徒だという認識すらされていないという現実。
今まで、妹や家族のことで学校のみんなのことまで頭が回らなかった。
ようやく楽しい生き方ができるのだろうか。
「心配することはない」
初めて登校するのに堂々としていて風格がある。
近くにいるとローズの香りがする。昨日はやはりバラ風呂だったのだろうか。
柔軟剤の香りも同じだ。この香りに包まれていると自然と安心した気持ちになっていることに気づく。
至の髪はさらさらしていて、傷んでいない。
白い肌のきめも細かくて羨ましく思う。
死神のお嫁さんになるという事実に実感はわかない。
でも、今すぐではないので、少しずつ相手を知って好きになればいいと思っている。
気持ちをじっくり温めたいと思う。
いつもの教室は噂で持ち切りだ。
仲がいい友達もいないから、みんな聞きづらそうで遠巻きに見ている。
ホームルームが始まる。担任が転校生を紹介した。
「転校生の四神至くんだ」
落ち着いた年齢の男性担任が紹介をする。
「よろしくおねがいします」
銀髪は死神族の証。この国では滅多にお目にかかることはない上級国民。
みんなの関心はとどまることを知らないようだ。
「四神くんは死神族なんですか?」
歌恋の近所に住む元気系男子が遠慮なく質問する。
「その通りだ。光野歌恋を花嫁とするため、転校することにした」
一瞬でどよめきが起きる。
「光野さんが……」
「嘘でしょ?」
否定的な言葉が耳に入る。そりゃそうだ。歌恋自身だってそんなことがあるはずはないと思っていた。
「死神の仕事って死者の思い残しに寄り添うっていうのは本当ですか?」
相変わらず元気な青龍葵。
「死にゆく者と言ったほうが正しいな」
大人びた転校生に既に婚約者がいると知ると、女子特有の嫌な視線が刺さる。
もっと美人で何でもできる生徒もたくさんいる。
美人の生徒が選ばれないのは不思議でもある。
でも、死神の仕事には適性というものがあるらしく、本人の努力でどうにかなるものでもないらしい。
正直、今後歌恋自身が死神の手伝いをできるのかも不安だ。
どうしたらいいのだろう。視線も痛い。
歌恋の隣の席が空けられている。至が席を指定したのだろう。
元々、隣には子供の頃からうちの事情を察しながらも普通に接してくれていた葵がいた。
葵は一番後ろの席へ移動していた。
「一番後ろの席に移ってラッキーだったな」
ヤンチャなのに勉強をやる時はやるタイプで、正直同じ高校に入って来るとは思わなかった。
家が近所だと登下校で会うことも多く、一番話す男子だった。
滞りなく、一限目が始まる。
至はノートを丁寧に書いており、本当はもっと先まで勉強していたのか充分理解しているようだった。
至はわからないところを休み時間に教えてくれる。
「四神くん」
女子生徒が話しかける。
「はじめまして」
愛想はないが丁寧な対応をする。表情は変わらない。
「お二人は婚約者?」
恥ずかしそうに聞く女子たち。
「結婚前提で同居してるけど」
同居していることは伏せていたいけれど、無理だろうとは思っていた。
同じ車で登校していたら目立ってしまうし、死神が転校してきた理由も秘密にはできないと思っていた。
「歌恋のどこが気に入ったんだ?」
青龍葵だ。あからさまに嫌味な態度を取る。
「直感だ。俺たちは運命の赤い糸で結ばれているんだよ」
どや顔の至。いつも自信満々な人。
「こいつ、とんでもなくおっちょこちょいだし、抜けてるし、死神の仕事なんかできるのか疑問だけどな」
相変わらず失礼な葵。
また葵の毒舌発揮だ。
「失礼なこの男は昔からの知り合いなのか?」
「まぁ、そんなところ。近所の同級生なの」
すると真面目な顔をして葵の所に行く至。
今からケンカでも始めるのだろうか。
やっぱり至の雰囲気は少し怖いかもしれない。
沈黙が少しあり、葵を睨む至。第一声は、意外なものだった。
「歌恋がどんな子供だったか教えてくれないか」
まさかの質問? ケンカ腰に見えたから冷や冷やした。
至は表情があまりなく、目つきが鋭いからそう見えてしまうだけなのかもしれない。
少し拍子抜けした葵は、冷たい言葉を放つ。
「歌恋のことなんて覚えてないし。ドジだったということくらいしか記憶にないな」
「おまえは俺の嫁に失礼な態度を取っているようだな。歌恋が傷ついているのがわからないのか」
至は普通の高校生とは全然違う。普通自分の彼女のことをあからさまに好きだという態度を取る彼氏はいない。
同級生に照れることもなく結婚するとか宣言するなんて、至はずれているのかもしれない。
不機嫌な葵。この世界で死神族に取って突くような態度を取ることは常識的に厳禁とされている。
命を亡くす最期の時を司る神聖な存在だと言われている。
大昔は、逆らうと刑罰に処せられた者もいると聞く。
葵は歌恋にだけ基本冷たい。他の女子には比較的優しいように思う。
なんだか葵に嫌われているのかなとは思っていた。
クラスメイトの好奇の視線を浴びながら一日が過ぎた。
「人間は慣れるものだ。すぐに話題が古くなると何も興味を示さなくなるものだ」
「そうだね。今日はありがとう」
一日がなんとか終わり、帰路につく。
部活も何もない歌恋はいつも退屈な高校生活をただ送っていた。
初めてときめきとか刺激という感覚を味わえた。
「さっそくなんだが、今日の放課後に死亡予定者に話をしにいくぞ。例の海で溺れた少年だ」
ずっとさがしていたけれど、こんな形で対面するなんて。
胸が高鳴る。
お金持ちの人しか乗れないだろう車だ。四神家はきっと計り知れない財産を所有しているのだろう。
国をも動かす権力があるという噂もある。
さっき聞いた一億という言葉が頭をかすめる。
お金よりも愛情が欲しい。この人ならば、愛情を注いでくれるだろうか。
見上げると彼はこちらをじっと見つめて丁寧に車の扉を開けて座るようにうながした。
「愛情ならばいくらでも注ぐことは可能だ」
心を読まれていたとは。それほどまでに、強い願望があったのだろうか。
恥ずかしい。でも、そっと寄り添ってくれる四神至という人をもっと知りたくなった。
こんな歌恋にでも、優しくしてくれる人。救ってくれた人。これから居場所ができるかもしれない。
光が少しだけ見えたような気がする。
まるで今、夜に走る車のライトの如く、わずかな光が少しずつ前向きにしてくれるかもしれない。
「四神の家には連絡してある。部屋はとりあえず準備してある」
事務的に淡々とした口調で話す至。感情があまり見えない。
「心配するな。後日ちゃんとした部屋を準備するから」
まなざしが柔らかい。
美しい人だ。女性だったら美人枠間違いなしだ。
それに比べて、歌恋は背が高いわけでもなく、女性的な魅力を持ち合わせているとは思えない。
直感と言っていたけれど、赤い糸が見えるらしいけれど、本当に私でいいのだろうかと不安がよぎっていた。
今まで男子に告白されたこともなく、恋愛とは無縁だった。
交際したこともないのに、急に結婚前提で同居だなんて、話が早すぎる。
よくよく冷静に考えてみると歌恋は本当に無能だと思う。
秀でた才能もないし、勉強が特別できるわけではない。
普通という言葉がぴったりの人間。
特別という言葉は似合わないと思う。
でも、横に座っているのは特別な人だ。
「こんな私ですが、よろしくお願いします」
「こちらこそ」
照れくさいな。こんなに近いと息遣いも感じてしまう。
運転手が丁寧な運転で森の方へ向かっている。
こんなところに自宅があるのだろうか。
「俺の転校の準備は既に進めてあるから、学校でも俺が歌恋を守るよ」
「私でいいのでしょうか?」
再度確認する。
「歌恋でなければだめなんだ」
この人は照れることなく歯の浮くようなセリフを無表情で吐く。
恋愛に不慣れな歌恋にはハードルが高いことばかりだ。
心臓がさっきからドクドクして胸を締め付ける。
森の中に大きな洋館がそびえたつ。
あまり目立たない場所に四神家はあるらしい。
「四神の家は全国にある。ここは、その一つに過ぎない。嫁となる女性の近くで生活することが四神の家の当たり前だからな」
「四つの神様がご先祖様なの?」
「四神の家は世襲制度で四つの名前を継承している分家の者がいる。皆、親戚だ」
「四神さんと呼んだらいい?」
「至でいいよ。この家に慣れたら今後は一緒に死神の仕事を手伝ってほしい。その報酬が生活費や支援金なんだ。支えてもらうことが配偶者にとって大切な仕事となる」
「こんな私でもお役に立てるのかな」
「当然だ。俺たちは結婚するのだから、俺が判断したことだから大丈夫だ」
結婚という言葉はあまりにも自分には無縁で考えたこともなかった。
日々生活することで必死だった。
本当に結婚することになるのかときつねにつままれたような気がしてしまう。
「ここが我が家だ」
素敵なデザインの家具がたくさんある。アートとかオブジェのようなものもある。
「おまちしておりました」
メイドさんや執事のような人がたくさんいる。皆一堂に礼をする。
ずいぶんと歓迎されているようだ。
「待ってたのよ。はじめまして歌恋さん」
出てきたのは上品で美しい女性だ。見た目は若い。お姉さんだろうか。
「至の母です」
お母さんは何歳なのだろう。若いなぁ。至に似ているなと思う。
「はじめまして。お待ちしておりました」
イケメンのお兄さんがやって来た。至に顔立ちが似ている。
「至の父です。よろしくね」
お父さんというともっと威厳があって、ダンディーなのかと思っていたけれど、普通の大学生みたいに見えるな。
年齢不詳すぎて親だという感じもない。
「私、娘が欲しかったのよ。かわいいお洋服をたくさん用意しているから、好きに使ってね」
おちゃめなお姉さんみたいなお母さんはウインクをする。
「お母様は元々は普通の人間だったのですか?」
「そうよ。高校生の頃に彼に出会って、大恋愛の末に結婚したのよ。死神の花嫁はあまり歳を取らないのよね」
嘘みたいな本当の話だ。
「死神はとても深く一途に配偶者を愛する生き物なの。だから、女性にとってこの上ない幸せなのよね」
「このおうちにはいつもお母様方も住んでいるのでしょうか?」
「四神の家は、全国にあるの。ここは生活拠点にしているから比較的いることが多いけれど、その時によって対象者が変わるからいつもいるわけじゃないのよ」
「妻の清華にはずっと一緒に仕事をしてもらっている。公私共にずっと一緒なんだ。かけがえのない妻だよ」
お父さんが微笑む。お兄さんと言ったほうが見た目はしっくりくるんだけど。
「弟の戦は今日はお仕事で県外に行っているのよ。今度ご挨拶に伺うわね」
育ちのよさそうなお母さんはとても若くてかわいらしい。
「クールに見えるけど、すごく愛情深いのが死神族の特徴だから。仏頂面の至だけど、心の中は愛情でいっぱいなのよ」
そうなのかな。出会ってすぐに愛情が芽生えるものなのだろうか。
普通は少しずつ相手を知っていくものだよね。
結婚相手が死神なんて恐れ多いというか、なんというか。
まだ感情の整理がつかない。
この家に慣れるのはどれくらいの月日がかかるのだろう。
初めての家、初めての家族、初めての婚約者。
こんなに初めてづくしだと、正直どうしたらいいのかわからなくなる。
「疲れただろう。夕飯を食べて風呂に入ってゆっくり寝ればいい。明日は車で送迎する。そして、俺もおまえと同じ高校へ入学するから」
夢みたいな贅沢な時間を至はプレゼントしてくれた。
「こちらにお料理が用意してあります」
使用人の妙齢の女性が丁寧に案内する。
なんて長いテーブルなのだろう。そして、なんて豪華なディナーなのだろう。
ため息が漏れる。こんな料理は食べたことがない。
分厚いステーキに色鮮やかなサラダ。艶やかな白米にビシソワーズのスープが用意されていた。
鮮やかな食材が彩を倍にさせる。そういえば、今日はあまりちゃんと食べていなかった。
朝食は用意されておらず、わずかなおこずかいでおにぎりを買って食べただけだ。
最近、お金の事情があって、こっそりバイトを時々やっていた。
学校では進学に影響するからバイトは禁止ということもあり、あまり表立った仕事はできずにいた。
そんな時に、時々レストランの裏方で調理をしていた。
まかないもあり、非常に嬉しいことだった。
食に困ることが度々あり、親と学校にばれないようにバイトをしていた。
そのお金は時として食料となり、時として未来のための貯蓄となっていた。
虐待という言葉が浮かんだが、どれが虐待なのか、どこまでが許容範囲なのかわからなかった。
自分は違う。高校に通えているのだから、親は親の役目を果たしてくれていると言い聞かせていた。
「もっと早くに手を差し伸べてあげていたらよかったのにな」
寂しそうな顔をしてため息をつく至。
心から思ってくれているんだな。優しい人だ。
「初めての食事だ。俺も一緒に食べようと思うが、いいか?」
目の前には二人分の食事が置いてあり、断れるわけがない。
しかもここは四神の家だ。謙虚な人なのだろうか。
「もちろん。もっと至のお話がききたいな」
するとふいに少し表情が変わる。嬉しいと感じているのだろうか。
死神族は表情が豊かではないというのだから、わずかでも笑えば、心の底からの笑いなのかもしれない。
「俺は歌恋の話が聞きたい」
「何も話をするようなことはないよ。でも、私が好きなこととか、少しずつ話したいと思う」
テーブルに案内されて、すごく緊張する。白いテーブルクロスに食べ物をこぼしたらしみになるなと考えてしまう。
ナイフとフォークを使った食事には慣れていない。
無作法な人間だとすぐに化けの皮は剥がれるのはわかっていた。
「いただきます」
ていねいにおじぎをする至からは育ちの良さを感じる。
ナイフやフォークの持ち方から口に運び食する瞬間まで上品な所作をする。
この人の生きざまを食事から感じ取ることができた。
これから色々な場面で彼の本当の性格が見えるのかもしれない。
些細なことでも、彼を知ることができるのはとても喜ばしいことだ。
「口に合わないか?」
少しばかり心配そうな顔をする。
色々と考えていたせいで、つい口に運ぶのを忘れてしまっていた。
おいしい食べ物を前にしているにもかかわらず、至の美しい食べ方に見とれていたとは不覚だ。
「おいしいです」
美しい食べ物を少しずつ口に運ぶ。
これが光野歌恋の生き様というか食べ様だ。
少しばかり食器の音がしても仕方がない。
慣れていないのだから。
「学校ではどうなんだ?」
「普通だよ。転校してきても、私が普通過ぎて呆れちゃうかも」
「歌恋は歌恋らしくしていればいい。そのままでいいんだ」
優しいまなざしを向けられる。心地いいな。こんな感覚は本当の母がいた時以来かもしれない。
さっきまでのお母さんのハンカチのことが嘘のような気がする。
色々調べたっていうけど、どこまで調べたのだろう。
死神族にとって結婚相手を調べることは普通なのかもしれないけれど。
もし、至が好きになれそうもない人だったとしても、無理して結婚するのかな。
まだ恋というものを知らないし、愛なんてもっとわからない。
それでもきっと彼を好きになるのかもしれない。
無償の愛情を注いでくれる彼と永遠に一緒にいられるのならば怖いものはないような気がする。
それがイコール愛なのかというとまだわからない。
きっと恋からはじまって、深いところで彼を愛する日が来るのかもしれない。
もっと彼を知りたい。光野歌恋という存在を知ってほしい。
それが恋の始まりなのかもしれない。
ふわふわした気持ちの中で緊張しすぎて何を話したのかいまいち覚えていなかった。
美味しいという感覚とドキドキする緊張感と慕われるうれしさと。
たくさんの気持ちが入り混じった夕食となった。
「ごちそうさまでした。すごくおいしかったです」
「それは料理も喜んでいるな。この食卓には我々のために犠牲となった食べ物がたくさんある。肉や魚や野菜たちは命を我々に捧げてくれた。そのおかげで生きられるんだ。生きるということは連鎖しているんだよ。死神なんていう仕事をしていると些細な命だとしても考えさせられるものなんだよ」
今まで気づかなかった。小さな命に私たちは支えられている。無意識に食物となった生物たちは私たちを生きることへと導いてくれる。
「いただきますとごちそうさまは敬意を払って彼らを称えるための儀式なんだよ」
もっと冷たい人かと思っていたけれど、案外律儀で深い感謝の念を持った人なんだな。
まだ出会って少ししか経っていないけれど、すごく優しいなと思えた。
同時にこの人と出会えて、選んでくれたことに感謝の気持ちでいっぱいと感じた。
「これから入浴してゆっくり休んでくれ。部屋は整えてある。もちろん一人部屋だから安心しろ」
いくら婚約したからと言って至と同じ部屋に泊まるわけにはいかない。
もし、同じ部屋だったらなんて自分で考えておきながらはずかしくなって赤面しそうになってしまう。
一緒の部屋に泊まる時が来たらどうしたらいいのだろう。
ちらりと見つめると優しく見守ってくれた至は少しばかり口角が上がったように感じた。
もしかして、今の妄想を読まれてしまったのだろうか。死神の特別な力は時として赤面を倍増させる。
同じ家に住む同級生であり、結婚する相手に今日出会い今日から生活を共にするなんていう急展開。
事実をすぐにのみ込むことはまだ不可能だ。思考が追い付かない。
「こちらがお風呂になります」
案内されたのは大きなバスルームだ。バラの花びらが浴槽に浮かんでいていい香りがする。
いい感じに浴室は温かくなっており、ちょうどいい湿度だった。
「バラ風呂でございます」
バスタブにはピンク色の入浴剤が入っており、花弁は赤い色。
美しい景色が広がる。
「こちらは歌恋さま専用の浴室でございます」
「専用?」
思わず聞き返してしまう。この家はそれぞれの風呂があるのだろうか。
きれいに掃除が行き届いたお屋敷はやはり風呂場も丁寧な掃除が行き届いていた。
というのも、今まで家事全般を担っていたので、掃除の大変な場所は何となくわかる。
ここにカビが生えやすいとか、排水溝はぬめりやすいとか、ほこりがたまりやすいとか。
もう掃除をしなくてもいいのだろうか。
「とりあえず入浴させていただきます」
丁寧に一礼すると浴室に入った。
深呼吸をして今日一日の目まぐるしい動向を思い出す。
銀髪の美しい男性を思い出す。
今日の優しさを思い出す。
バラの香りと温かな湯に包まれて、私は目を閉じた。
久しぶりにこんなにゆったりとした気持ちになったような気がする。
何かに怯えることはない時間はずっとなかった。
いつも視線や言動に怯えていた。
四神の嫁という自覚を少しだけ感じる。
ゆっくりと体と髪を洗い、用意された寝間着に着替える。
シルクのパジャマだろうか。
この肌触りは初めてだ。
鏡を見てこんな私でいいのだろうかと疑問に思う。
なぜ九十日の命しか残っていないのだろうか。
今後、幸せな生涯を送ることができるのだろうか。
不安でいっぱいだけど、あの人の口角がほんの少し上がる時、少しばかりの幸せを感じる。
風呂上がりに、至がそっと声をかけてくる。
「おやすみ。ゆっくり休め。また明日」
冷たい雰囲気なのに言葉は優しい。
「おやすみなさい。素敵なバラ風呂をありがとうございました」
一礼する。
シャンプーもいい素材のものなのか、サラサラした手触りだ。
寝室は柔軟剤の優しい香りに包まれており、布団がふかふかして少しばかり慣れない。
優しさに包まれながら疲れていたのかいつの間にか眠っていた。
気づくと朝日が窓を照らしていた。
時計を見ると、そろそろ起きたほうが良さそうな時間だった。
今までならば、歩いて通っていたのだが、ここからは歩いて通えそうもない。
交通費がかからないからという理由で選んだ高校でもあった。
そこそこの進学校だったけれど、何とか独学で入学した。
妹は小さな頃から塾や習い事をしていたけれど、どれも長続きはせず、勉強もあまりできるほうではないようだ。
歌恋はコスパのいい娘。そんな言葉を耳にした。
育児にコスパなんていう概念があること自体、親の考えが乏しい人間だということを痛感していた。
でも、親を選ぶことはできない。親には育てる義務があり、できるだけ親の元で生きるように国は方針を定めている。
そうとうな事件でもない限り、簡単に施設に入る手続きなどは、無力な子供にできるわけがない。
ずっと我慢をして生きてきた。
長い髪の毛も美容院代の節約のため、ただ伸ばしていた。
枝毛がひどいかなと最近感じていた。
昨日浴室で使用した洗い流すトリートメントは一度使っただけで髪がさらさらになり、傷んだ髪が補修されているような気がする。やっぱり特別なトリートメントなのかな。贅沢すぎる品物だ。今朝は洗面所にある洗い流さないトリートメントをつけてみる。黄金色のきれいなボトルに入った新品のトリートメント。少しつけただけで、いい香りが広がり、つやが出る。
制服に着替えて、リビングへ行くと、お父さんお母さんと至がいた。
まるで兄弟のように和やかで美しい風景だ。
朝食もホテルの食事のような洋食のあっさりしたベーコンサラダとスクランブルエッグ。
分厚い食パンにバターが塗られていた。
野菜と果物のスムージーが鮮やかな色を発していた。
栄養のバランスが満点な朝食。
パンの耳を口にする機会が多い私には、厚切りのふわふわした食パンは相応ではないような気がする。
慣れないメニューに贅沢を感じる。
「いただきます」
手を合わせてから、食パンを口に運んでみる。
何、これ。給食の食パンとは全然違う味がする。
中にバターが染み込んでいるというか、なんとも贅沢で美味しい。
サラダのレタスはシャキシャキしていて西洋野菜なのか見慣れない野菜も混じっていた。
ドレッシングも初めて食べる美味しいお味。
シーザーサラダというのかな。
「どう? お口に合うかしら?」
優しく目を細めるお母さんは一般的なお母さんとは違うように思えた。
苦労を感じさせないガ―リーなファッションに優しい口調。
品があって、夫を愛する尊敬できる女性だ。
お父さんも若く見えるし、至よりはずっと穏やかな表情をしている。
本当に死神なのだろうか? 怖いよりも美しいという印象が強い。
たくさんの死と向き合う仕事をしているのに、こんなにも穏やかなんて不思議だ。
「今日から同じクラスに転校させてもらうことになったから、一緒に登校するぞ」
当たり前のように手続きを済ませ、至は同級生になっている。
「よろしくおねがいします」
改めて挨拶をすると、ご両親も至も丁寧にお辞儀をした。
初めての豪華な朝食を見ていると、きつねにつままれているのではないか?
実は夢だったというオチではないかと不安になる。
きつねの嫁入りと呼ばれるお天気雨の日に出会った。
もしかしたら、何かのいたずらで、全部嘘なのかもしれない。
でも、嘘でもいいから、優しい家族と共に生きていたい。
そんな願望が芽生えていた。
血のつながりよりもずっと深い絆。
「車を用意してあるから、あとは登校するぞ」
食べ終わるといつの間にか制服に着替えている。
いつの間に制服を揃えたのかもわからないが、四神の家は普通ではないのだから、何でもできるのかもしれない。
四神家だからという言葉で片づけられる。
長身に細身の体型にブレザーは良く似合っていた。
銀髪の生徒なんていないからかなり目立つであろうと予想はできる。
しかも、美しい顔立ちにモデルのようなスタイルが目立つ。
この人と一緒に登校して交際を公にするのだろうか。
不安もつきまとう。
出る杭は打たれるのが学校社会だということはわかっていた。
目立たないように生きてきたのに、こんな素敵な人といたら、目立ってしまう。
「行こうか」
「いってきます」
新しい家族に挨拶をする。
また昨日の車に乗る。運転は安全運転で揺れが少ない。
こんなに丁寧な扱いを受けるなんて。
「こんなに早く転入手続きをできるの?」
「今はまだ仮入学だが、手続きを進めている。歌恋一人で行かせるなんて心配なんでな」
「学校では婚約のことを公にするの?」
「当たり前だ」
でも、死神族だからこんな時期に転入できるのだろうし、一目でわかる銀髪の特徴はすぐにばれてしまうだろう。
好きとか嫌いとかそういうことを表現して生きてきたことはない。
なんだかムズムズするな。
校門の前に車が停まる。いつもと違う景色と空気に包まれる。
こんなに立派な車が停まることは滅多にないし、皆が振り返る。
背の高い美男子が車から降りると女子のまなざしが痛い。
そして、おまけのような歌恋を好奇のまなざしが刺す。
目立っていることに冷や汗だ。
「銀髪の美男子ってもしかして……」
「死神とか?」
「転校生かな?」
「横にいる女子ってうちの学校の生徒?」
そんな声が耳に入ってくる。
この学校の生徒だという認識すらされていないという現実。
今まで、妹や家族のことで学校のみんなのことまで頭が回らなかった。
ようやく楽しい生き方ができるのだろうか。
「心配することはない」
初めて登校するのに堂々としていて風格がある。
近くにいるとローズの香りがする。昨日はやはりバラ風呂だったのだろうか。
柔軟剤の香りも同じだ。この香りに包まれていると自然と安心した気持ちになっていることに気づく。
至の髪はさらさらしていて、傷んでいない。
白い肌のきめも細かくて羨ましく思う。
死神のお嫁さんになるという事実に実感はわかない。
でも、今すぐではないので、少しずつ相手を知って好きになればいいと思っている。
気持ちをじっくり温めたいと思う。
いつもの教室は噂で持ち切りだ。
仲がいい友達もいないから、みんな聞きづらそうで遠巻きに見ている。
ホームルームが始まる。担任が転校生を紹介した。
「転校生の四神至くんだ」
落ち着いた年齢の男性担任が紹介をする。
「よろしくおねがいします」
銀髪は死神族の証。この国では滅多にお目にかかることはない上級国民。
みんなの関心はとどまることを知らないようだ。
「四神くんは死神族なんですか?」
歌恋の近所に住む元気系男子が遠慮なく質問する。
「その通りだ。光野歌恋を花嫁とするため、転校することにした」
一瞬でどよめきが起きる。
「光野さんが……」
「嘘でしょ?」
否定的な言葉が耳に入る。そりゃそうだ。歌恋自身だってそんなことがあるはずはないと思っていた。
「死神の仕事って死者の思い残しに寄り添うっていうのは本当ですか?」
相変わらず元気な青龍葵。
「死にゆく者と言ったほうが正しいな」
大人びた転校生に既に婚約者がいると知ると、女子特有の嫌な視線が刺さる。
もっと美人で何でもできる生徒もたくさんいる。
美人の生徒が選ばれないのは不思議でもある。
でも、死神の仕事には適性というものがあるらしく、本人の努力でどうにかなるものでもないらしい。
正直、今後歌恋自身が死神の手伝いをできるのかも不安だ。
どうしたらいいのだろう。視線も痛い。
歌恋の隣の席が空けられている。至が席を指定したのだろう。
元々、隣には子供の頃からうちの事情を察しながらも普通に接してくれていた葵がいた。
葵は一番後ろの席へ移動していた。
「一番後ろの席に移ってラッキーだったな」
ヤンチャなのに勉強をやる時はやるタイプで、正直同じ高校に入って来るとは思わなかった。
家が近所だと登下校で会うことも多く、一番話す男子だった。
滞りなく、一限目が始まる。
至はノートを丁寧に書いており、本当はもっと先まで勉強していたのか充分理解しているようだった。
至はわからないところを休み時間に教えてくれる。
「四神くん」
女子生徒が話しかける。
「はじめまして」
愛想はないが丁寧な対応をする。表情は変わらない。
「お二人は婚約者?」
恥ずかしそうに聞く女子たち。
「結婚前提で同居してるけど」
同居していることは伏せていたいけれど、無理だろうとは思っていた。
同じ車で登校していたら目立ってしまうし、死神が転校してきた理由も秘密にはできないと思っていた。
「歌恋のどこが気に入ったんだ?」
青龍葵だ。あからさまに嫌味な態度を取る。
「直感だ。俺たちは運命の赤い糸で結ばれているんだよ」
どや顔の至。いつも自信満々な人。
「こいつ、とんでもなくおっちょこちょいだし、抜けてるし、死神の仕事なんかできるのか疑問だけどな」
相変わらず失礼な葵。
また葵の毒舌発揮だ。
「失礼なこの男は昔からの知り合いなのか?」
「まぁ、そんなところ。近所の同級生なの」
すると真面目な顔をして葵の所に行く至。
今からケンカでも始めるのだろうか。
やっぱり至の雰囲気は少し怖いかもしれない。
沈黙が少しあり、葵を睨む至。第一声は、意外なものだった。
「歌恋がどんな子供だったか教えてくれないか」
まさかの質問? ケンカ腰に見えたから冷や冷やした。
至は表情があまりなく、目つきが鋭いからそう見えてしまうだけなのかもしれない。
少し拍子抜けした葵は、冷たい言葉を放つ。
「歌恋のことなんて覚えてないし。ドジだったということくらいしか記憶にないな」
「おまえは俺の嫁に失礼な態度を取っているようだな。歌恋が傷ついているのがわからないのか」
至は普通の高校生とは全然違う。普通自分の彼女のことをあからさまに好きだという態度を取る彼氏はいない。
同級生に照れることもなく結婚するとか宣言するなんて、至はずれているのかもしれない。
不機嫌な葵。この世界で死神族に取って突くような態度を取ることは常識的に厳禁とされている。
命を亡くす最期の時を司る神聖な存在だと言われている。
大昔は、逆らうと刑罰に処せられた者もいると聞く。
葵は歌恋にだけ基本冷たい。他の女子には比較的優しいように思う。
なんだか葵に嫌われているのかなとは思っていた。
クラスメイトの好奇の視線を浴びながら一日が過ぎた。
「人間は慣れるものだ。すぐに話題が古くなると何も興味を示さなくなるものだ」
「そうだね。今日はありがとう」
一日がなんとか終わり、帰路につく。
部活も何もない歌恋はいつも退屈な高校生活をただ送っていた。
初めてときめきとか刺激という感覚を味わえた。
「さっそくなんだが、今日の放課後に死亡予定者に話をしにいくぞ。例の海で溺れた少年だ」
ずっとさがしていたけれど、こんな形で対面するなんて。
胸が高鳴る。