「本当にこんな家でいいのか?」

 最後に窓の格子を『固定』しながら、コノハに尋ねる。

「大丈夫でありまする。某、これくらいの住処が落ち着きまするゆえ」

 俺とユズリアの家の隣にコノハの家を建てた。別に一緒に住んでくれて構わなかったのだが、何でも空気が甘すぎて胃もたれがするとか、なんとか。
 別に普段の料理に砂糖類を過剰に使っているわけでもないし、そもそも空気に味なんて無くないか? あるとすれば、匂いだろ。
 そこら辺に関しては、狐の嗅覚を持ちうるコノハにしか分からないのかもしれない。

 コノハの家は俺とユズリアの家同様のつくりで、大きさはコノハの希望に合わせた。まず天井を低くして、家具などもコノハの身長に合わせて高さを調節する。玄関は俺やユズリアは頭を下げないと入れない。そういえば、月狐族の住まいもこんなサイズ感だったか。
 俺やユズリアが暮らそうと思ったら、随分と腰が痛くなりそうな家だ。でも、コノハは満足げにはしゃいでいるから、問題はないのだろう。

 完成したコノハ宅を見上げ、額の汗を拭う。なんて、心地よい疲れだろうか。
 ごろごろと時間を浪費するだけがスローライフじゃない。畑を育てたり、生活の質を上げたり、毎日少しずつ、のんびりと作業をする。
 なんだかんだ、ここ最近まではドタバタしていたからな。ようやく、俺の理想のスローライフが始まったんだ!
 とりあえず、コノハの家はつくり終えた。畑も順調。食料の備蓄も今のところ問題はない。
 一週間くらい、惰眠を貪ってやるんだ。もう、誰にも俺は止められない!

「あの~、すみませーん」

 そんな聞き覚えのない声が聞こえてきた。
 失礼かもしれないが、ひっじょーうに嫌な予感がする。俺の冒蓄センサーが鳴り響く。

「はいはーい。どなたですか?」

 ちょうど、ユズリアが玄関を開けて外に出てくる。そんなご近所さんが訪ねてきたみたいな感じでするようなことじゃないんだけど。
 見ると、一人の女性だった。
 白い生地の立つ大きめの神官服に、装飾のついた錫杖(しゃくじょう)。腰まで伸ばした乱れなき白金色の髪。真紅と紺碧の異色の双眸。

「妙でありまするね」

 コノハが袖に手を隠し、耳打ちする。倣って、俺も二本の指をこっそり立てる。
 神官がこんな場所に一人でいるはずがない。それに、錫杖の先端に付着する微かな赤い痕。

「どなたですか?」

 ゆっくりと近づき、ユズリアの少し前へと自然に立つ。
 おっとりした表情の神官はぐるーっと平原を眺望し、また向き直る。

「もしかして、こちらにお住まいなんですか?」

 まあ、そういう反応になりますよね。

「そうですけれど……」

「なるほどなるほど。なんて奇特な方々なんでしょうか」

「某はさほど変だとは思わないでありまするが」

「まあ!? 月狐族の方まで!? 面白いご家族ですねえ~」

 家族? いや、まあ、ある意味家族みたいなものだけど。

「えへへ、分かりますー?」

 ユズリアがなぜか照れたように身体をくねらせる。やめなさい、はしたない。

「はい、もちろんですよぉ。奥さん」

 ん?

「分かっちゃいますよねえ!?」

 んんん?!

「もちろんですぅ!」

「ちょっと待て! ……いや、待ってください」

 通じ合ったかのように微笑みを交わす二人に、思わず横槍を挟む。

「夫婦じゃ、無いです」

 どうして、毎回そういう風に見られるんだ。しかも、今回に至っては何も喋っていないというのに。

「あら? そうなんですか? ……えっ、もしかして……」

 言葉を詰まらせる神官。その視線は俺とコノハの間を行き来している。

「ちっがう! どっちもちっがう!」

「今はまだ、ね!」

「毎回、それを言うな! 本当に夫婦漫才みたいになるだろ!」

 重く息をついた。なんか、どっと疲れた気分だ。
 コノハは未だに袖に手を隠したままだが、俺は馬鹿らしくなって二本指を解いた。
 神官はくすっと笑って、「どんな愛でも、陽光神様はお許ししてくれます」なんて分かったように頷いている。

「それで、あんたは一体何者なんだ?」

「おっと、自己紹介がまだでしたね。私、神官のセイラと申します」

 横掛けの鞄からセイラはギルドカードを取り出す。
 やっぱり、S級冒険者だ。というか、それ以外は考えずらいから当然だ。俺たちもそれぞれギルドカードを見せる。

「ひとまず、セイラが怪しい人じゃないことは分かった。でも、一人でどうしてこんな場所に?」

「一人じゃありませんよ。もう一人、旅の共がおります」

 セイラが肩の上で立てた指をくるっと一回転させる。

「あっ……本当だ」

 ユズリアが呟く。遅れて、俺の気配察知にも引っかかる。
 気配を消していたのか。それにしても、神官一人で行かせるってどうなんだ?

「エルフの射手がおりまして、もちろん同じS級冒険者です」

「エルフ!?」

 思わず、声が出た。
 エルフといえば、人族に一切干渉せず、森の奥深くで暮らす種族だ。とびきりの美男美女しかおらず、優れた弓矢の使い手ばかりだと聞く。そんな噂も真実かどうかは定かじゃない。なぜなら、エルフを見たことのある人はほとんどいないからだ。

「エルフ族でありまするか。某もお目にかかったことはございませぬな」

 気配に引っかかる存在が、徐々にこちらに近づいてくる。

「ねえ、ロア」

「なんだ?」

「どうして、にやついているのかしら?」

 そりゃ、エルフだぞ!? とびっきりの美女をお目にかかれるんだから、しょうがない。男って、そういう生き物なんだ。
 何て言えるわけもなく、慌てて口角を下げる。ユズリアの冷ややかな視線が痛い。

「ドドリーさーん! こっちですよー!」

 セイラがまだ姿見えぬエルフに呼びかける。
 そうか、ドドリーというのか! まだ来ないのか!? 早くその絶世の姿を見せてくれ! 全く、最近は見た目麗しい女性と出会うことが多いな。セイラもとびっきりの容姿だし、これがスローライフバフなんだな!
 ……しかし、ドドリーか。何だか、女性らしくない名前だな。まるで――

「おう、待たせたな!」

 俺は膝から崩れ落ちた。
 現れたのは、紛れもないエルフだった。その証として耳がツンと上に向かって立っている。顔も確かに整っていた。
 しかし、筋骨隆々の〝男〟だ。
 いや、違うな。これは〝漢〟だ。
 なぜかテカテカと輝くオイリーな焼けた肌。服がはち切れんばかりのもりっもりな筋肉。短く揃えられた新緑色の髪に甘い(マスク)がよく似合う。が、熱い身体(ボディー)だ。

「紹介します。ドドリーさんです」

「うむ、よろしくな!」

 力なく垂れる手を取られ、ぶんぶんと上下に振り回される。同じ男なのに、手の大きさが全然違う。コノハなんて、指二本で握手される始末。
 俺の中のエルフ像が音を立てながら崩れ行く。こんなのって、無いよ。あんまりだよ……。

「それで、お二人は何でこんなところに?」

 ユズリアは何も気にしていないようで、変わらぬ口調で尋ねる。
 流石は貴族。越えてきた難関の数が違うと言うことか。

「実は依頼でとある魔物を追っていまして、破岩蛇(ヴェベリット)なんですが、この辺りで見たりはしていませんか?」

「いや、俺たちは見ていないな。もしかしたら、もっと奥の方に生息しているのかもしれん」

「そうですか。貴重な情報、ありがとうございます」

 セイラとドドリーは二人で何やら今後の方針を話し合っているみたいだ。ほとんどソロでやって来た俺から見れば、少し羨ましいものだ。

「ねえ、破岩蛇ってどんな魔物なの?」

「某も名前しか聞いたことないでありまする」

 首を捻る二人に仕方なく説明をする。

 破岩蛇は岩石に身を包んだS級指定の蛇型魔物だ。文字通り岩のように硬い肌は剣や矢を弾き、魔法耐性にも優れているため、まず攻撃が通りずらい。それだけならば、まだA級どころかB級の冒険者にも対処できる。
 破岩蛇がS級指定の魔物たる最大の特徴は、その固有魔法にある。受けた攻撃を蓄積し、何倍にも増幅させて跳ね返す『反転(アダナクラシィ)』だ。
 少し小突いただけで、高火力な一撃が飛んでくるうえに、攻撃が通りずらいという、馬鹿げた魔物だ。

「それって、普通に倒せないんじゃない?」

「そうだな。戦士職なんかには絶望的な魔物だな。ただ、状態異常を使える魔法使いがいるならば、話は別だ。毒は効くから、じわじわと体力を削っていくしかない」

「なるほど、毒でありまするか。会得している魔法使いは少ないでありますなあ。かくいう某も、覚えておりませぬ」

 魔物の大半は麻痺や石化などは効くが、毒や昏睡が効くものは少ない。だから、毒の状態異常魔法を覚えている魔法使いは変な奴扱いされるのが一般的だ。

「ロアは戦ったことあるの?」

「ああ、セイラたちと同じように依頼を受けたことがある」

「どのようにして倒したのでありまするか?」

「あー……、『固定』をかけて餓死するのを待った……」

 何とも言えない生温い視線が二人から送られる。

「し、仕方ないだろ! 俺の魔法は元々支援系の魔法なんだから」

 攻撃手段が無いわけじゃない。ただ、それを使うと納品素材が残らないから、結局大半の依頼は『固定』でこなすしかないのだ。
 俺だって、本当は派手な魔法とか、武器を振り回してかっこよく戦いたい。当たり前だ、男の子なんだから。

「あの、大変厚かましいのですが、一晩この場所で野営を張らせてもらってもいいでしょうか?」

「何言ってるんですか! ぜひ、ウチに来てください! 寝室も二つありますし」

 ユズリアがどうぞどうぞと玄関を開ける。それ、俺の家でもあるんだが。嫌ってわけでもないし、冒険者は助け合いとも言う。俺も快く頷いておいた。

「うむ、それでは世話になるとしよう! わっはっはっは!」

 この剛胆マッチョ、本当にエルフなんだろうか。巨人族の間違いじゃないか? 二回りも大きいドドリーを軽く見上げて思う。

「セイラさん! 今日は私と一緒に寝ましょう! 色々とお話聞きたいです!」

 ユズリアの言葉に玄関先で足が止まる。
 なぜだ。なぜ、危機察知を知らせる警鐘が頭の中で鳴り響いているんだ。

「いやー、某の家が完成していてよかったでありまするな。寝床が足りぬところでした」

 寝床が足りている……? ユズリアとセイラは同じ部屋で寝るらしい。つまり、俺はどこで寝るんだ? コノハの家は寝室が一部屋だけ。それもコノハの希望でとても小さいベッドだ。ウチに残った寝室はあと一部屋。残っているのは、俺と――

「はっはっはっは! では、俺はロアと同じ部屋か! 夜通し、筋肉について語り明かすとしようではないか!」

 ガシッと組まれる肩。わあ、なんてたくましい腕なこと……。
 俺はドドリーを無視して、コノハの肩を掴む。

「コノハ、頼む! 今日は俺と寝てくれ!」

「どうしたでありまする? 別に某はかまわ――」

「――げふっ!?」

 コノハが言い終わる前に、俺は間抜けな声と共に勢いよくすっ飛んだ。わき腹に感じる強烈な痛み。

「まあ、ユズリアさん。旦那さんに何てことを!」

 セイラの声がぼんやりと遠巻きで聞こえた。薄れる意識の最中、辛うじてユズリアの表情が見える。まるで虫でも見るような視線。

「変態ロリコン……。浮気は許さないって言ったはず」

「り、理不尽……だ……」

 力なく倒れる俺の背にドドリーがそっと手を置く。

「分かるぞ、ロア! 女とは時に恐ろしいものだ」

 なんで、こいつは共感したような態度なんだ!? 元はといえば、ドドリーのせいだというのに!

「あら? ドドリーさん? 何か言いましたか……?」

「いや、何でもない……。わっは……はっ……ははっ……」

 打って変わって弱々しく笑うドドリー。
 あれ? もしかして、この二人……。
 結論が出る前に、俺の意識は暗闇に吸い込まれていった。