家を飛び出して商店街を走り抜けるのは、今日2度目のことだ。
しかし、抱えている思いも表情も全く違う。たったの数時間で、忘れていた思い出の欠片を見つけ、きっと私は何歩も成長した。
はあはあと吐き出す白い息が、リズミカルだ。
「ついた」
しかし、そうしてたどり着いたあの場所に<記憶屋>は存在しなかった。狭い空間にただの空き地が広がっているのみ。
隣には、本屋のおじいちゃんが書いた「本日は営業しておりません」の殴り書きがあるから、この場所であることは間違いない。
「そっか。そうだよね」
もう一度会ってお礼を言いたくて家を飛び出したけれど、もう会わなくても大丈夫だと、私にはもう記憶を見る必要はないのだと、心のどこかで悟っていた。だから、不思議と落ち込みはしなかった。
それから私は、商店街の中心部に向かった。ストリートピアノに腰を下ろし、少し硬くなった蓋を持ち上げ、鍵盤にそっと親指を置く。
ドーーー。
下唇をぎゅっと噛んだ。
私の音は、弱くなんかない。細くなんかない。クラスの皆に聞こえなくたって、どこかの誰かの心には必ず届いている。
奏でているのは、優しい音色なんだ。
私は、人生で最初に感じた幸福な記憶を辿るように目をつむり、深く息を吸った。
うん。覚えている。しっかりと今、あの日4人で歩いた夕暮れの道を思い出した。
目を開き、ゆっくりと奏でるのは、小学校の卒業式以来遠ざけ続けたパッヘルベルのカノン。
名前の由来になった、大好きな曲。
私が演奏をはじめると、カノンのリズムに合わせるように、冬に咲くはずの無いソメイヨシノの花びらが一枚はらりと宙を舞った。
「お兄ちゃん、これからも見守っていてね。ありがとう」