朝日が射し込んできた。
素顔の時間はおしまいだ。

「んぅ……」

まだ目を開けるのが惜しくて、目をつむったまま顔を撫でる。
額、頬、顎。いつもと同じ感触だ。
そして鼻先。やはりいつもと同じく、少しざらついて腫れぼったい。
仕方ない。許容範囲として割り切ろう。
今日は仕事なのだ。
さあ、仕事用の顔で出かけなければ。

リビングに足を踏み入れると同時に、向かいの白い壁に昨日のニュースのダイジェストが投影される。
骨董品レベルの動画専用受信器(テレビジョン)を手放してからは投影型に変えたけれど、壁にそれぞれ違う情報が映し出されるのは、チャンネルを変える手間が省けて楽だ。
私は四方をニュース、天気予報、スケジュール、備忘録に分けている。朝の忙しい時間帯では部屋の中央でくるりと一回転すれば把握出来る情報だけで充分なのだ。
……壁周りに背の高い家具が置けないことだけが難点なのだけれど。

食事を摂りながら眺めるニュース画面では、彗星がどこかの小惑星をかすめたらしく、小規模な流星雨で星間移動パイプに穴が空いたと報じていた。
こういう話を聞くと流星シェルター内に引っ越したくなるけれど、いかんせん庶民には高価過ぎる。
それにシェルター内の人工ソーラーだと天然物の太陽より紫外線が弄られているせいか、肌に色素の沈着が起きやすいらしいし。
あちらを立てればこちらが立たずだ。健康第一でいこう。体が資本なのだから。
そう自分に言い聞かせて、庶民らしく働きに行く支度を進めることにした。

顔を洗って鏡を見る。
素顔を見るのは朝と晩の洗顔時くらいだ。

「ああ、やっぱりまた赤くなってる」

あまり触らない方が良いのはわかっているけれど、つい鼻先の赤みに触れてしまう。
この生活様式になってから付き物のこの悩み。どんな皮膚科もお手上げなのだそうだ。
つまり、目に見えないだけで誰もがこの症状を抱えながら生きているのだろう。
そう思えばストレスも軽く……はならないが、そう簡単に見せない素顔に秘密のひとつやふたつあったところで、どうということはない。

もう一度、鏡をじっと見る。
この顔を、他人に見せる日が来るのだろうか。

途端にものすごい孤独感に襲われて肩を抱く。顎から滴る水滴を手の甲でぐいと拭い、あらためてタオルで水気を拭き取った。

化粧台に置きっぱなしになっているケースに手を伸ばす。
「スエツムハナプロジェクト」と書かれ、赤い花があしらわれたロゴは、今やどの家庭でも見られる必需品だ。「仕事」と書かれたケースの蓋を開ける。まだ買い足さなくても良さそうだ。
ティッシュケースとよく似た大きさだと言われるけれど、私達の世代になるとティッシュケース自体をよく知らない。というか、ティッシュを使ったことがある人間が少ないのだ。
水溶性の低い使い捨ての紙は、あらゆる用途に使われていたと授業で習ったことがある。森林保護のため、材質やその比率をあれこれと変えていたそうだが、その際の紆余曲折が今日の技術へと繋がっているそうだから、昔と今は地続きなのだと授業のレポートで書いた内容を今は文字通り「肌」で感じているのだ。

ケースから一枚「仮面」を抜き取る。
ぺらぺらの半透明なシートだ。
水分を含んだそれを広げ、鏡を見ながらまず鼻の形に添わせて押し当てる。それから鼻筋を上に上がって額、こめかみ、頬骨、顎──と指の腹でタップして馴染ませる。
水分の作用で肌に貼り付く技術は、これまた昔の通信料金支払い手形──切手、とか言ったか──その原理を応用しているそうだ。
即溶性が高く、皮脂と融合して適切な発色作用をもたらす素材のおかげで、健康的な肌色に仕上がってくれるのは有難い。
大昔のティッシュは使うとごみになったそうだが、これは違う。肌に浸透して用途別の「顔」そのものになるのでごみは出ない。

さあ、仕事用の「顔」が完成だ。

鏡を見て完成度を確認する。
昔の人は憂鬱な仕事の朝でも笑顔を作れば気分が上がるなどと言って、無理に顔の筋肉を引き攣らせていたようだが、私達は自分の意思に反してまで笑顔を作らずとも良い。

鏡の中にはあらかじめ笑顔の私がいるのだから。

接客用の笑顔を固定した仮面。これが今日の私の顔だ。