ピッ、ピッと、心電図を映す機械音が響いている。私は今、ひとりぼっちの病室のベッドに横たわっている。

「ふふっ」
「……なんだよ」
「いや、結局乗っ取らなかったんだなぁと思って」

 心の声に答えてくれるのはもう一人の私の様な存在、あの日からずっと一緒に生きてきた、大事な私の人生の相棒であるココロ君。

「早くしないと死んじゃうよ? もう私、君の言う寝たきりの婆さんだし」
「……そうだな」
「私の事は良いからもう行きな。君のおかげでこんなに長く生きられて、私は君に感謝しかないの」
「…………」
「本当にずっと一緒だったから、これでお別れだと思うと寂しいけれど、それ以上にもう満足です。私は満足、とても幸せな人生でした。君はどう?」
「…………」
「君は私と一緒に、君の人生を生きられた?」
「…………」

 ……いくら待っても彼からの返事が無い。もしかしたらもう、次の器を探しに行ったのかもしれない。
 あの日、彼の魂が入り込んだ後。目を覚ました私はそこからみるみる回復していき、文字通りの奇跡の生還を果たした。「言った通りだろ?」と、心の中の彼がおそらくドヤ顔であろう声色で言っていて、失敗するかもと逃げ腰だったのは誰だと言ってやりたいのをグッと堪えたのを覚えている。
 それから続いた二人で一人の私を作り上げる毎日はとても楽しかった。初めての高校生活で大きな壁にぶつかった時、泣いてる私の心の中にはいつも彼が居てくれたし、彼が私となって登校して解決してくれる、なんていう漫画みたいな事もあった。もちろん庇うだけでなく、私が悪い時はきっちりみっちり叱られたりもして、気づけば両親を見送れた後、幸せな老後を過ごす事も出来る程に長生きする事が出来ていた。いつ終えるかも分からない命だったというのにだ。
 私は彼なしにここまで真っ直ぐ生きられたのかという問いに、頷く事は出来ない。彼が居たから今の私が居るし、私は彼で、彼は私であったから。それ程までに長い期間、ずっと私達は一緒にいたのだ。今日この時まで、彼はいつも私を立てて、私としての人生を共に歩んできてくれた——だからずっと私には不安があった、彼は自分の人生を歩めているのだろうかと。だってこれは彼の為に始まった、二人で一つの人生だったのだから。
 乗っ取らないのかと何度尋ねてもはぐらかされ、探しに行かないのかと聞けばそう簡単には見つからないのだと答えられ、そのままずるずると今、私達はここにいる。余命僅かの私はベッドに横たわり、病院内には以前の私と同じ様な患者が居るはずのこの状況。これは彼にとって身体を乗り換える最後のチャンスだった。

「……ココロ君?」

 心細くなって心の中で問い掛けてみるものの、彼からの返事は無い。やっぱり、次の人を探しに行ってしまったのだ。彼にとっての私はもう用済みなのだから。……寂しい。
 寂しい。一人は寂しい。これだけ長くずっと一緒だったのに、あまりにも薄情だ。せめて最後に挨拶くらいしてくれても良かったのに。

「……裏切り者」
「誰が裏切り者だよ」
「! ココロ君! 居たなら返事してよ、寂しいよ!」
「なんだよ、早く出てけって態度だったくせに」
「それはもうすぐ私が死んじゃうから……っ、ココロ君も死んじゃうでしょ?」
「まぁな」
「まぁなって……」

 なんだか焦っていない様子の彼の心情が、いまいち理解が出来なかった。いつもそう。私の気持ちはダダ漏れなのに、ココロ君の気持ちはさっぱり見えてこない。同じ身体を持つ様になって表情が見えなくなったせいで余計に分からないのだ。

「……手遅れになっても知らないからね」
「…………」
「なんか言ってよ!」
「……俺は楽しかったよ」
「……え?」
「俺は、おまえと生きたおまえの人生が楽しかった。そこに俺が居たんだって、隣でおまえが俺の人生を証明してくれたから。だからもう、俺も満足してるんだ」
「……ココロ君」

 「楽しい人生だったな、俺達」と、感慨深げに呟くココロ君の言葉に、しわがれた瞼の裏から涙が込み上げてくる。まさかココロ君が、そんな事を思っていてくれたなんて。あのココロ君からそんな言葉が返ってくるなんて。今日までずっと、一片たりとも見えてこなかった彼の気持ちを今、私は初めて受け取ったのだ。

「……っ、うぅ……」
「あーもう、泣くなよいちいち。おまえはいつもそうだ」
「……だってぇ」
「だってじゃない。ほんっと俺がいないとしょうがないよな、おまえって……だから、最期まで付き合ってやる」
「……え、」
「死ぬ時は一緒なんだろ? あの時からもうこっちの覚悟は出来てんだよ。おまえはどうなの?」
「……そ、それって……」

 ——一緒に、死んでくれるって事?

 彼が言ったその言葉は、二人で一つの人生を生きられるのか挑戦しようと彼を誘った時の私の言葉。あの時私と彼は互いに命を掛けた結果、それが成功し、今のこの状況がある。確かにあの日、私達は共に死ぬ覚悟だった。あの日の言葉を、覚悟を、彼はずっと覚えていてくれたのだ。彼はもしかしたらずっと、そのつもりで今日までずっと、私の傍に居てくれた——。

「……うん。うん。ごめんね、ありがとう」

 こんなに私を思ってくれて。最期まで傍に居てくれて。

「だから泣くなって……俺も、ありがとう。おまえと生きられて幸せだった」

 彼の言葉に何度も何度も頷いて、私達は共に身体の外に出る。久しぶりに見た彼の表情はスッキリと穏やかで、反対に私はぐちゃぐちゃに泣き腫らして酷い有り様なのが鏡を見なくても手に取るように分かった。だって彼が一瞬ギョッとした後、やれやれと涙を拭ってくれたから。
 そしてそのまま私達は空気に溶けていくように、スッと天に吸い込まれていくのだった。