「もしもし、渉。ごめん、今日も会うの難しくて……」
『え? またかよ?』
美咲は、会社の休憩室からの夜景を見ながら交際相手に電話する。
「ごめん! どうしてもやりたい仕事があって! だから、週末……会ってくれない?」
『別に無理しなくていいし!』
美咲の交際相手は、強い口調で話す。
「そうじゃないの! 私が会いたいの! だからお願い……」
『……分かったよ……』
「ありがとう! 渉! 大好き!」
『……俺も』
美咲は電話を切り、ニヤつく表情を抑え仕事に戻る。
あれから、変わらず仕事の失敗を繰り返していた。しかし時間を重ね、頼もしくなり一人前の会社員になっていた。
美咲は我が憂うぐらい必殺に働いていた。……後悔しない為に……。
「この仕事をやり遂げたら、溜まった有給使うぞー!」
キラキラ輝く夜景を見て、美咲は仕事を再開する。
交際相手との関係も順調だった。
以前は仕事を理解してくれない男に、美咲もどこか喧嘩腰だった。
しかし美咲は交際相手の態度の悪さは淋しさの裏返しだと気付き、出来るだけ愛を言葉にし、優しく接するようにしていた。
一人が変わると相手も変わると言う事なのか、交際相手は少しずつ優しくなり、会うたびに喧嘩となる事は無くなっていた。
そして美咲は、頻回に参拝しに来る。昼に交際相手を連れて、夜は一人で。
「また、この神社かよ?」
「ごめん、ごめん! 少しだけだから」
「まあ、別に良いけど」
以前のこの男なら嫌味を言っていたが、現在は何も言わなくなっていた。この男も、美咲を通して成長したのだろう。
二人は神社の社に向かい手を合わせている。そして、お参りが終わると、私の元に来て必ず触れて来る。
「お前、いつもこの木に触るよな? 何かあるのか?」
「うーん、分からない。なんか安心するって言うか……」
美咲はそう言いながら、私を摩る。
美咲にはタイムスリップの記憶がある。
つまり、周りの人間達が自分に愛想を尽かし離れていった記憶を保持している。我との最後の約束も……。
美咲は社の前で何度も話しかけてくるが、我は答えない。いや、答えられない。
最後に偽りを告げた事は仕方がなかったが、美咲はまだ最後の約束を信じて通っている。
あれから五年の月日が経っているのに……。
我は神力を使用する前に、これからの人生を生きていく為に辛い記憶は消した方が良いと諭したが、美咲はそれを聞き入れなかった。
怠慢により失敗したのは自分だと言い、記憶を保持した状態で今を生きると決意したのだった。
今の仕事関係の人間や、交際相手に離れていかれた記憶は、美咲を時折苦しめているが、自身への戒めとして乗り越えようと懸命に生きている。
全く、あの泣き虫がここまでの変貌を遂げるとは。正直、喜びに震えている。
だから美咲が我に触れると、我は精一杯葉を揺らす。もう話す事は出来ない為、態度で示すしかないからだ。
我はあの日、神の掟を破りその罰から消滅した。
神社の神は本来、参拝者の願いを聞き僅かな神力を与え、願いを叶えやすくするのが務めだった。
当然ながら生物の生き死に、他人に負の影響を与える事、無謀な事を聞き入れるのは出来ず、真っ当な願いでも僅かな神力しか注げず、力になれぬ事など幾度とあった。
だから我は、未来を話す事で救われる人間がいるならと、何千年も前から人間に声をかけていた。
勿論、声をかけるのは未来が分かっても、命や他人への影響を与えない、成功が分かっている人間だけにしていた。
そして、未来が気になり今を大事に出来ない人間。美咲のような人間だった。
何千年としてきた行いの中で、何故、美咲だけ人生が変わってしまったのか考えた。
おそらく時代が変わってしまったからだろう。
数十年前までなら、美咲が言っていたような怠慢と呼ばれる事を繰り返せば、仕事場の上司や交際中の男が美咲を嗜めていただろう。
美咲は素直な性格。叱ってくれる人間が一人でも居たら、未来が変わる事なんてなかったと我は思う。
殺伐とした人間の世界、気薄な人間達の関係。
美咲が悪き心を持つ者に警戒している姿から、時代は変わっている事に気付くべきだった……。
だから我は掟を破り、消滅の道を選んだ。
一人の人間の人生を変え、その命を絶とうとしていた者も救えない存在など、崇められるべきではないからだ。
しかし、我はまだこの世に存在する。
それは掟を破り消滅した後。この世を司る天の神様が、我に二つの慈悲をかけて下さったからだ。
一つ、我は神力を全て失ったが、美咲と交際相手のみの心を読む事が出来る。
だから、美咲が今どんな思いで生きているのか分かっている。我が子だけでなく、この男を心から愛している事も……。
二つ、天の神様が我の消滅理由を知り、消えた魂をかき集めて下さり、この神社に魂を置いてくださった。我の魂は、この樹木の中に存在する。だから、美咲の寿命が尽きるまでこの場所で見守ると決めている。
人生はその人間の選択や生き様により変わっていく。だから儚くて美しいのだろう。
だから我は、美咲がどんな人生を生きていくのか楽しみにしている。
すると男の心から、やり慣れていないであろう企てが聞こえて来た。
── なるほど、美咲の三十歳の誕生日にか……。なかなか憎い奴だ。
一カ月後、美咲より嬉しい報告を聞く事が出来そうだ。
二つの命も、きっと戻ってくるであろう。