── その娘は、夜になるといつも泣きそうな顔で我の元に来る。

 仕事と、交際中の男との関係に悩み苦しんでおり、いつも我に上手くいくようにと願いに来るのだ。

 正直、愚かだと思う。
 人間なんぞ、百年経てば殆どが荼毘(だび)に付されるというのに、何故今を悩むのであろう?
 私からしたら人間の一生など、一瞬の事に過ぎないのに……。


 月夜の夜。
 今日もあの娘が、我の元にやって来た。
 そして我を見るなり頭を下げ、鈴を鳴らし、金を投げ入れたかと思ったら、手を叩き拝んでくる。

「……私は、また仕事で失敗しました……。彼との約束も守れず、喧嘩をしてしまい全て終わりです……。助けて……、神様……」

 この者が言う通り、我は神社の神。
 神と言っても、天にいらっしゃる神様とは違い、この世を司る力などなく、人間一人の人生を変える力もない。


「もう、私なんて……」

 娘はまた泣き出した。
 いつもそうだ。同じ事を幾度(いくど)もなく繰り返し、愚かしとは思わないのだろうか?

 ……だから、我はその娘に声をかけた。人間に声をかけるなど、何十年ぶりだろうか?

『……娘、もう泣くな』

「へ?」

 娘は驚いた表情を見せ、周辺を見渡す。


 我が声をかけた人間は必ずこの反応をする。……我に願掛けに来たくせに、全くもって意味が分からない生き物だ。

『我は、お主の目の前に居る』

 その声を聞いた娘は、(やしろ)を見る。
 築年数が経ち、塗料が剥がれ、一部が破損している。
 娘は、破損した部分を目を凝らすように見てくる。なんて失礼な奴なんだ。


「誰?」

 呆然とした表情。人間は本当に我らの事を信仰しているのか?

 苛立ちや疑問を一旦端に寄せ、話を続ける。


『お主の悩みは分かっている。短き人生の中で、そんなつまらぬ事で悩み苦しみ、愚かと思わぬか?』

「あの! 私、お金持っていませんから!」

 娘は我の話を聞き、叫ぶ。


 金? 何の話をしているんだ?

「私を騙しても、払えるお金ありませんから!」


 ……会話にならない。だから我は、話を一方的に進める事とした。


上田美咲(うえだみさき)、二十五歳。某企業に務める会社員。大学を卒業し就職して三年。しかし、仕事の段取りが悪く失敗が多い。同僚は企画を任され独り立ちしていく中、お主はまだ仕事を任せてもらえない。それが憂鬱の一つなのだろう?』

「段取りが悪くて失敗が多い……。や、やっぱり私はそうなんだー!」

 娘は余計に泣いてしまう。


『待て。我はお主の心を読んで話しているだけであり、お主は懸命に生きていると思っている。だから我の思考ではあらぬ』

「……どうして心を読めるのですか!」


『神だから……』

 我はそう呟き、社前の木の葉を一気に揺らす。
 神社の神とは言え、それぐらい容易いことだった。

 その言葉と、風が吹かないのに葉が揺れた姿を目の当たりにした娘は、涙を拭い、我の社を見つめてくる。


「……神様……。あの私……! あ、あ、騙されちゃだめ! 新手の詐欺だから!」

 そう言ったかと思えば、娘は自身の耳を強く塞ぐ。

 あ、なるほど。今の人間の世界はそうであったな。

 しかし、娘を信じさせないと力になる事は出来ない。だから我は話を続ける。


『交際相手は井上渉(いのうえわたる)。大学で出会い交際を始め、年齢はお主と同じく二十五歳。仕事ばかりのお主に不満を持っている。相手は要領良く仕事をこなす為、お主の気持ちが分からないのだろう。最近はつまらぬ争いばかりしているな』

「え? え?」

 その後も、この娘にしか知らない事を話し続けると、ようやく我の存在を信じたようだった。

 ……全く、悪き心を持つ者が増えたせいで、純心な者でも疑念を抱くようになった。
 神の存在を受け入れてもらえない現状も仕方がないのだと、嘆かわしい現実に溜息を吐いた。


「ごめんなさい! 私に理解力がないから!」

 娘は謝罪の言葉を口にし、頭を下げ許しを(こうむ)ろうとする。


『……悪かった。別にお主に怒りの感情を向けている訳じゃない。だから止めてくれ……』

「……はい」


『我がお主の前に現れたのは、話がしたいからだ。お主は幾度となく後悔の念に駆られているが、短き人生を悔いて生きていくのは愚かしいと思わぬか?』

「愚か……?」

 娘は黙り込む。


 やはり娘の心より聞こえてくるのは、多数の負の感情。自信の無さに溢れていた。


 ……我には、この娘のこれからの人生が見えている。この娘の価値観からすれば、その人生は幸福だと言えるであろう。

 だから娘に、我が見えている未来を話した。
 神が告げる予言。これほど信憑性のあるものはないだろう。

 ……しかし、この娘はその話を全く信じようとせず、より悲観していった。


 おそらく自信のなさが強く現れ、全てを悲観して考えてしまうのだろう。

 この娘の記憶を辿ると、自信の無さが顕著に現れていた。

 だから我は、この提案をする事にした。


『未来に行ってみないか?』

「え?」


『百聞は一見にしかずと言うだろう? お主の幸福の未来を見れば、現在の憂鬱から解放されるだろう? だから見に行かないか?』

「そんな事、出来るのですか?」

 娘は驚く。……まだ我が誰か分かっていないようだな。


『ああ、我は神だから……』

 そう話し、次は神社全ての木の葉を揺らす。

 娘は、その情景をただ見つめていた。


「神様……。神様! お願いします!私を未来に……! あ、でも、奨学金あるし、お金が……」

 目を輝かせた娘の目は、落胆へと変わる。


『今までの賽銭で充分だ』

「……え? お、お願い……します……」

 娘の歯切れは悪い。
 心を読めば分かる。まだ、迷いがあるのだと。


「我はお主が心から願った事でないと叶える事は出来ぬ」

「え?」


「我は神社に宿る神。人間の願いに反した事は出来ぬ」

「あ……」

 娘の心は乱れる。用心深い性格……、いや今の人間の世界が、娘をそうさせているのだろう。


「……私、未来を見てみたいです! 私を未来に連れて行って下さい!」

『ああ、いつぐらいが良い?』

 私の問いに、また娘は黙り込む。


「……十年後……。そうだ、十年後! 三十五歳の私の元に行かせて下さい!」

『なるほど、良かろう』

 娘は心より十年後の未来に行きたいと願い、我は神力を使う。娘一人を十年後に行かせるぐらい容易いものだった。



 ……しかし、この事が娘の未来を変えることになるとは思いもしなかった……。