「目が覚めたかい」
「え……私」
「倒れて、数日眠っていたんだよ」
 靄のかかった意識が、数秒でクリアになっていく。あの日、失意の中屋敷へと帰ったロザリーは部屋に引きこもり、博士の呼びかけも無視して数日間ストライキを起こした末に意識を失ったのだった。
 肘をついてベッドの上で上半身を起こすロザリーを、博士が抱きしめる。
「とても心配したよ、ロザリー。一体どうしたんだい」
 その声は至極切なげで、心からロザリーの身を案じているのが伝わってくる。しかし、今の彼女には露とも響かない。
 博士が見ているのは自分ではない。その心配は、自分ではなく、自分の中にある恋人に向けられたもの。
 それが、悲しかった。全てを、自分という存在そのものを否定されたようで、悲しかった。
 けれど、ロザリーは博士の背中に腕を回し抱きしめ返した。
 例え、身代わりだとしても、自分の中には博士を愛する恋人の記憶とは別に、ロザリー自身の博士への愛が存在している。そのことから目を背けることはできなかった。
 ロザリーにとって、博士こそが世界だったから。
 だけど、自分が機械であることも、死んだ恋人の身代わりであることも、「はいそうですか」と受け入れられるようなものではなかった。
「ねぇ、博士。私、ここを出るわ」
 抱きしめた腕の中、博士の体が強張る。ゆっくりと体を離した博士は、ロザリーの顔を覗き込んだ。
「な……、何を言っているんだい……」
 ロザリーの両肩を掴む手に力が入り、指が食い込んだ。しかし、痛覚のないロザリーは気づかない。
「少し、考える時間がほし」
「ダメだ! そんなことは許さない! きみは、どんな時だって僕のそばにいると約束したんだ!」
 ――その約束をしたのは、()じゃない。
 ロザリーは心の中で叫ぶ。自我が目覚めた今、死んだ恋人の感情や思い出はもはや別人の単なる「記憶」と化していた。例えるならば、小説で読んだ架空の人物の物語だ。
「私は……、私はもう博士の(・・・)ロザリーじゃないわ!」
 博士は、雷に打たれたかのように固まり、息を呑む。ややしてロザリーの肩を掴んでいた腕は力なく項垂れた。
 ロザリーの目に迷いがないことに気づく。
 自我が芽生えた彼女は、ここから……自分から離れることを選んだのだ。
「……そう、だな……、きみはもう、あの時の(・・・・)ロザリーではないんだな。きみの人生だ、きみが笑顔でいられるなら……僕は、快くきみを見送るべきなんだろう……」
 博士は虚ろな目で椅子から立つと、ロザリーに背をむけてドアの方へと歩いていく。
「旅の準備に必要なものは、僕が準備しよう。あと数日だけ猶予をおくれ」
 ドアに手を掛けた博士は、振り向かずにそれだけ言って部屋から出ていった。