「ありゃ、音代先生は」
「用があんだとよ」
コーヒーカップを2つ持ってきた金髪が「え〜」と肩を落とした。
また面白いのに懐かれたものだと神城は笑った。
そして金髪は何故かコーヒーカップをテーブルに置いたあと先ほどまで音代が座っていた椅子に腰を下ろして自らが持ってきたコーヒーを一口飲んで「にが」と顔を顰めた。何をしている、仕事中じゃないのか、というかコーヒーを飲むな、と九条の行動につっこみを入れる前に九条はテーブルに両腕をおいて身を前に出す。
「おっさん」
「なんだ」
「俺、色々きこえちゃったんだけど」
声を顰めてそう言った九条。
周りの店員が九条を怪訝そうにみているが九条は気にしていないようだった。
そして話を続ける。
「橋田のこととか色々気になるけどよ、音代先生が音楽で人を殺したってあれ、どういうことだよ」
「何バイト中に客の会話盗み聞きしてんだアホガキ」
正面にある綺麗な額を軽くはたいた神城。
九条ははたかれた額を両手でおさえながら「だってきこえちゃったもんは仕方ねぇだろ」とボソボソと呟く。偶然聞こえたというより、意識的に集中して、仕事をそっちのけで2人の会話をきいていたのだ。
自分が初めて尊敬に値する先生に出会い、その先生が何か抱えているのだとしたら次は自分が力になりたいと、九条はそう思っていた。照れくさいので絶対に人前では言えないが。
「俺は、少なくとも音楽で先生に救われたよ。だから知りたいんだ。先生が音楽で人を殺したって意味を」
九条の真剣な顔に神城は困ったように笑った。
音代、お前本当にちゃんと先生しているんだな、と心の中で呟く。
「音代のことは話せないが、昔話をしてやる」
音代、ごめんな。と、神城は言葉に出さず音代に謝罪した。お前は誰かを頼って生きていくべきだよ。そしてさっきの言葉を訂正させてくれ、お前は何からも逃げていない。
「ある男は、天才音楽家の息子として生まれた」
「それが音代先生のこと?」
「だまってきけクソガキ」
再び九条の額にぺし、と簡易な衝撃がくる。九条は口をつぐんだ。
「息子の父親は音楽で金を稼ぐようになってから、音楽漬けの日々を癒すために家庭では音楽を持ち込まない人だった。
だから奥さんも音楽とは無縁の人を選び、生まれた息子にもピアノ一つ与えず、家にある仕事部屋にはいつも鍵がかかっていて父親以外誰も入れないようなそんな家だった」
「なんか意外だな、天才の子供って同じ道に育て上げたりするもんだと思った」
「まあ、結局は息子も音楽の道にのめり込むようになる」
「なんで?」
「父親のライバルだった男がいた。ずっと張り合って負け続けた男は、腹いせに父親の息子を音楽家に育て上げたんだよ。自分が負け続けたその男を超えるために、すべてを注いだ。
そして、息子は父親をも超えるような音楽家になった。父親がピアノを極めれば息子は平気で世界の頂点にたち、父親が作曲をすれば息子が超えるものをつくり話題をかっさらう。そんな日々が続いていた」
「なんか世界観すごすぎてよく分かんねぇ」
「はは、だろうな。俺もよく分からん。そんで音楽の世界にいるやつじゃないと話題も掴みにくいだろうしな。だがそのよく分からないことが起こるのが天才たちのすむ世界だよ
息子の師匠は、かつてのライバルを超えることだけを考えて育て上げたんだろうが、息子も息子で色々限界がきてたんだろう。
クラシックから距離をとってジャズやポップスにも手をだしていた。まあ、そこでも才能を発揮してたけどな」
「ガチの天才だな」
「まあ、話はここまでにしたいところだが。その後、息子の父親は自ら命を絶った」
「え」
「詳しい理由が分からないから、憶測でみんなが好き勝手言う。お前ら若者もよくあるだろ。憶測で人を追い詰める。
『息子の脅威に打ちのめされて死んだ』そんな噂が飛び交ってたよ。実際の理由なんて誰にも分からないのに」
「それが、音代先生が『音楽で人を殺した』って言う理由?」
「昔話だって言ってんだろう。その息子は父親が死んだ後いろんな憶測をたてられて周りからひどい言葉を浴びせられた中で、自分自身が父親を追い詰めて殺したとずっと自分を責め続けてるわけだ。口では『なんてことない』と言っているがな」
生ぬるくなってしまったコーヒーを神城は一口飲んだ。九条は乾いた口をきゅっと結ぶ。
九条はなおさら橋田のことが許せなくなった。
何が憧れだ。そう言うことで音代が追い詰められるのを楽しんでいる愉快犯ではないか。
怒りのあまり拳を握る。
「おっさん」
「なんだ」
「俺、自殺の曲歌ってる女のこと、知ってます」
外は薄暗く曇り始めていた。